はてなキーワード: トリアージとは
倫理的に叩けないということがわかったのはよいことだが、反Apeman派にもいろんな立場があることは自覚した方がいいよ。
そうだな、「産む機械」発言と同程度には叩けないよ。その話もう終わりな。
ていうか、「反Apeman派」などという派閥が存在するの? まあ自称する人が少なくとも一人はいるんだな。
いつ集まったよw
wikipediaにさえ書いてあるぞ。
小規模の災害なら赤になる例でもSTART法では黒になってしまう事が多くなるが、これは(現場に混乱を来してしまうほどの)大規模災害のために考え出されたものである。
例えば、いわば「黒に近い赤」と「黄に近い赤」の負傷者がいたとした場合、前者の治療順位が高くなるべきところだが、トリアージではいずれも同じ「赤」となってしまうため、適切な治療順位が選定されないおそれがある。
また、トリアージは野戦病院でいかに早く軽傷者を前線に再投入するかという発想であり、平時の救急医療にはなじまないという批判も存在する。
この辺は、緊急性からくる限界なのだが、批判されてるね。
今まで出てなかった話を今更持ち出してまでどうしても何が何でもトリアージを否定したい、その動機は何?
俺の書いてることがトリアージの否定に見えるというのがよくわからんのだが。ほかにそう読解してる人いる?
倫理的に叩けないということがわかったのはよいことだが、反Apeman派にもいろんな立場があることは自覚した方がいいよ。
この「時間がないので簡易の判定法で」ってところに痛みも伴うし、批判はそういうところに集まってる。
いつ集まったよw
どっちにしても、こういう場合は「時間」も制約の対象である資源の一つなのだから別に問題は何も起こってません。もうちょっと勉強しようね、学生さん。
一般の経営判断を論じるにはいらない含みが入ってしまうので、あまり適切な例示ではないのではないかと思われる。
今まで出てなかった話を今更持ち出してまでどうしても何が何でもトリアージを否定したい、その動機は何?
別の話だが、修正主義者はそうやってうやむやにできれば「勝利」なんだから困った話だよなあ。
倫理的な批判は産む機械云々でぶっとんじゃったので、あくまで論理的な妥当性の話をする。
トリアージのすべての傷病者に十分な治療を施すことはできない。という特殊な条件で、
・現状で治療をしても救うことのできないひと
・今すぐ治療をしなくても、死亡しないであろうひと
の優先度を下げて、それ以外の人の治療に限られた資源をあてる。
ということを、経営学における、有限の資源からいかに最大の成果を引き出すか、というモデルとして
扱うのはそれなりに合理的に思える。
説明を読む分には、それを「時間がないので簡易の判定法で行う」ところまで含めて狭義の「トリアージ」なんだろうね。
この「時間がないので簡易の判定法で」ってところに痛みも伴うし、批判はそういうところに集まってる。
経営判断にも、情報収集の時間が限られて、必ずしも最適配分とは限らない簡易の判断をさせられるようなケースがあるかもしれないが、学問的に通常想定されているものではおそらくないんじゃないだろうか。少なくとも初学者向きではなさそう。
一般の経営判断を論じるにはいらない含みが入ってしまうので、あまり適切な例示ではないのではないかと思われる。
とはいえそれに対して、そこからホロコーストに飛んで非難するのは、飛躍しすぎじゃなかろうかさすがに。
これは別の話だろ。「トリアージ概念を一般的判断に不用意に援用すること」をまとめてhokusyuさんが論じているので、「トリアージ」だけ取り出して論難してるわけではない。
なぜならば、トリアージがいったん、たとえば我らが経営学者様の手にかかって、救急救命の手を離れ一般的に通用する理論としてみなされたとき
限定の話なんだし。
いまさら、ここまでこじれてるのは、もはやどっちもどっち感もあるけど。
別の話だが、修正主義者はそうやってうやむやにできれば「勝利」なんだから困った話だよなあ。
あー、彼は切り捨てられたのか、おつかれ。
まあ、あんだけ失言多ければなあ。
トリアージ概念を根本的に誤解してるし、ぶっちゃけ福耳先生発言は産む機械発言ほどには叩かれてないわけで、節子、それ撤退してるだけや!w
ところで、えーと、……「サイレントマジョリティ」にすがらなきゃいけないほど劣勢なの?
何でそんなに必死なの?複数人をどうしても一人だと思いこみたいようだね。
トリアージの件でApeman周辺に批判的な人がサイレントマジョリティの中に多数いることをいい加減直視したら。
しかし、
トリアージのすべての傷病者に十分な治療を施すことはできない。という特殊な条件で、
・現状で治療をしても救うことのできないひと
・今すぐ治療をしなくても、死亡しないであろうひと
の優先度を下げて、それ以外の人の治療に限られた資源をあてる。
ということを、経営学における、有限の資源からいかに最大の成果を引き出すか、というモデルとして
扱うのはそれなりに合理的に思える。
リソースの最適配分一般の例として使うのは明らかに無理があるね。
って、あたりまえでしょ。
ある例として扱っての例、じゃなくて、ある条件における一つのケースとして考えるのは、十分適切じゃないかな。
まあ、自分の授業の学生をくさすような文章をブログ書くのはみっともないとは思う。
トリアージの判定の困難さの問題とかもあろうし、
十分な説明はなされたのか、という疑問もある。所詮素人だろうし。
それでも当事者じゃないから学べることもある。
とはいえそれに対して、そこからホロコーストに飛んで非難するのは、飛躍しすぎじゃなかろうかさすがに。
そもそもトリアージは全体のために個を犠牲にするというものじゃなくて、
限りある資源をまずは何処から当てていくかという話でしょうよ。
同じことだって言うんでしょうがね。でもやっぱり極端な例え話重ねてもうまくいかんでしょ。
それに、そんな極端なものを当てるのは印象操作のようにも見てしまう。
http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20080523/p1
こういう批判のやり方は卑怯としか思えない。
同じことを主張するにも、他にやりかたがあるでしょう。
あげくにHALTANに対する
あのような糾弾会や総括のようなやりかたは、醜悪ですらあるよ。
いまさら、ここまでこじれてるのは、もはやどっちもどっち感もあるけど。
特にHALTANの脇の甘さは・・・。
しかし、ひそかに尊敬していたapemanが御乱心という感じでなんだかがっかり。
そりゃあんな挑発したら、麻生も「軽率」くらいの言い方にとどまるでしょう。
それで、ナチスはいいのか!って。
なんだか、仲良しお仲間との盛り上がりっぷりもなんだか。
まだやってんの?
福耳先生の発言は「産む機械」発言と同レベル、ってことでケリがついたんだと思ってたがw
あと補足するが、トリアージはリソースの最適配分じゃないんだよね、そもそも。
擁護派のすがってるちゃぶ台根元からひっくり返しちゃうけど。
もちろん、極力最適配分に近づけようとしているものではあるけれど、時間も余裕もないところで行われる、「迅速さ」を重要視する簡易の判定基準であるということには変わりはない。
リソースの最適配分一般の例として使うのは明らかに無理があるね。
経営学にも迅速性が要求される状況での簡易な判断というのはあるのかもしれないが、常態化して考えるものではないだろうし、無論初学者向けではないのでは。
参考:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%82%B8
いずれにしても、事態の「緊急度」が重要なファクターであることに注意。
分かってないな、この世は全部トリアージ的な物なの。
まあトリアージは物凄くわかりやすくて便利だと思うからどんどん取り入れてもいいと思うけど。
この辺の大口はおおいに修正の必要ありだなあ。福耳先生の発言もこういう理解に基づいたものだとすれば修正の必要あり。
経営判断を下すのにそれなりの時間の余裕があるときにはトリアージ的でない判定基準を使ったほうがいいのは明白。
ポイントは、ここで問題になっているのは、(資金その他)経営リソースの多寡ではなく、「経営判断に使える時間」が十分であるかどうかということ。
「みんなはひとりのため」を外した「ひとりはみんなのため」が暴走するとアレなことになる、という話です。
暴走したときの危険を根拠にして元のものに倫理的な問題があると説くのはどう考えてもフェアではない。大抵なものは暴走したら有害に決まっていて、それは有用なものほどそうだ。問題は暴走のリスクがどれだけあって、それをどのようにすれば抑制できるかということであって、暴走の理論的可能性ではない。
これを度外視したこの批判は、類型的なレベルの低い原子力批判のようだ。原子炉が暴走したら確かにチェルノブイリのような悲劇が起こるには違いないが、チェルノブイリには機械系にも人間系にも、日本では存在しないような構造的な問題があって、それがあの事故の発生に不可欠だったこともわかっている。しかしこの種の原子力批判はそういうことを考慮した上でリスクを定量的に評価しようとは考えず、ただただ情緒的に危機を煽る。
率直に言って、今回の件でトリアージ批判をしている人たちには同様の危うさを感じる。有り体に言えば、数式や統計が苦手な人が、定量的な判断を回避して情緒に頼るという反知性主義的後退だ。
そして現実に、倫理的な二重拘束において自身の選択や行動にひいては存在に過剰に苦しむ人が、ことに若い人にあるとき、その枷は解き放っていい、時に無用な苦しみでしかないのだから、と私は言いたくなることがあります。少なくともそれは学問するとき無用な枷でしかないこともあります。しかし、資源の有限性を前提とする経済的な合理化がそのダブル・バインドを倫理的な枷を解き放ったとき、かつてSSの無法がまた関東軍の専横が横行したことも事実です。
学問やってる人間をなめないでほしい、と正直思う。学問をやる上で基本的なことは、自分が何を前提においているかを意識することだ。仮に、倫理的な前提を度外視して最適解を求めるのが経営学だとするなら、そのこと自体は価値中立的なのだ。その解を無批判に現実に適用しようと政治的に動いた時点で、はじめて問題が生じる。
このことは進化論と優生学の関係を考えればすぐにわかるだろう。進化論を安直に理解すると(事実記述と価値判断を混同すると)直ちに優生学的な判断に至る。そして、優生学を嫌う人道的な気持ちが創造科学という反動を産む。まさに悪夢だ。本当の悪は「事実記述と価値判断の混同」であって、進化論じたいではないのに。
実際のところ、こういう「最適解」を現実に直ちに適用するのは学問的手続きとしても粗雑なものとしてしか扱われない。学問上の前提の倫理的判断という必要な手続きが省略されているからだ。
HALTANさんを「あたまがわるい」とは、多くの人がまず思っていない、むろん私も思っていない。fuku33さん個人が叩かれて然るべきであったとは私自身は思いません。
それが正しいと思う。だが、実際に福耳氏やHALTAN氏の上に降りかかったリンチはいったい何なのだろう。これこそファシズム、軍靴の足音と考えるのは私だけだろうか。
いやそれは事の単純化だと思うがね。あくまで福耳先生のあの経営学に関する発言についての議論なのだから。いちおうそこは指摘しとく。
曲解も何も、書いたとおり、君はユダヤ人絶滅ゲームを倫理的に擁護しうる人なんだろう?
まあその件はいいや、度外視で。早く終わらせたいしね。
「産む機械」発言が正当でありえて、ユダヤ人絶滅ゲームに対する倫理的判断も宙ぶらりんでいいという前提に立てば、福耳先生のトリアージ発言には問題はないかもしれないねえ。これで満足かな?
いや、だからもうやめようよ。というか、福耳先生発言には産む機械発言やユダヤ人絶滅ゲームと同じくらい問題がない、と言いたいのならそれはよく分かったから。
「あたまがわるい」のは君の方じゃないかね。「ユダヤ人絶滅ゲーム」に問題があるとはいっていないが、ないとも言っていないぞ。単に、あんたの話の設定が曖昧すぎるから判断できないと言っているだけだ。
それで、俺は、「なぜデリケートな話を比喩にだすことが問題だとあんたらは考えているのか」ということを問うている。その質問に答えろ。引用で構わない。
あと、君はまさか「産む機械」発言には自明に問題があると思ってるのか?それと同じ基準でトリアージ記事にも問題があると思っているのか?そりゃまたずいぶん自分の価値観の普遍性に自信をお持ちのようで。
Apemanさんにもhokusyuさんにもその通り言い聞かせに言ったらどうだね?
あんただけでなくApeman支持者全員に言いたいのだが、「比喩の適切性」というのがそれほどまで強く求められるという価値観は社会的に一般的ではないよ。たとえば「産む機械」騒動というのがあったが、あれも話の構造としては似たようなものだ。そして、「産む機械」という言葉を比喩と断ってでも使ってはいけないという意見はさほど広く支持されてはいなかったはずだ。少なくとも、比喩に目くじらを立てることに懐疑的な人間は多くいた。そのことには注意を喚起しておく。
当初の女子学生の「かわいそう」という発想の彼の考えるところの女性性への揶揄を踏まえて読めば、それ以上の含みがあったように読むのが自然だと思うけどね。
あんたらはそういうことを言うが、あれを「女性性への揶揄」と読むのは勘繰りが過ぎると思うし、仮に女性性への揶揄だとしてもどういう含みになるのか俺には理解できん。
現地でトリアージに当たった医師が専門家じゃないってのはとんでもない発想だなあ。
福耳先生という経営学の専門家も謝ってんだけどな。お前はどういう立場で専門家としてこの二人の専門家の判断に異を唱えてるわけ?
あんた、学部生かなんかだろ。「専門性」ってものがわかってない。ある意味では過大評価してるし、ある意味では過小評価しすぎてる。
たとえば、俺が数学の話をちょっとしたら俺の専門が数学だと断定したが、俺が披露した程度の知識はたとえば経済学においても常識レベルの話だ。そもそも、あの話は普通は工学に分類するものだが。
そういう意味で、あんたは「専門性」を狭くとらえすぎている。トリアージの話が経営学の話と極端に乖離しているように誤解しているのはたぶんそのせいだろう。
一方、専門家は自分の専門以外の分野では素人だ。福耳氏も医者氏も倫理的判断においては専門家ではない。もっと言えば、そんな専門家などいない。倫理学や宗教学はやや近いが、それであってさえ「倫理」や「宗教」という現象を説明しようという営みだ。従って、この件の倫理性に関する判断で、福耳氏がどういっただの、あるいは医者がどういっただのという意見は一当事者の主観以上の意味がない。
じゃあ、その「平易な言葉で過不足のない説明」を抜き出してみてくれ。それはいったいどこにあるんだ。あと、自分を基準にして物事の難易度を測るのはやめた方がいい。あんたはいい意味でも悪い意味でも特別な存在ではないから。
俺は「抗議されるのはもっともだ」といってるだろ。問題が有るからに決まってる。それとも、何の問題もないと思ってんのか?
あんたの話題の設定が曖昧すぎて何とも言えない。だからあんたのゲームの比喩については答えようがない。
露悪的にユダヤ人を描いたのであればそりゃもちろん問題があるだろう。だが、本人の内心に秘めていたはずの秘密が何らかの形で暴露されてしまったとかいうケースならそれはよくわからない。
似たような話として、ワーグナーの話がある。ワーグナーは死後に作品をナチスによって政治利用された人物で、イスラエルでは現在もタブーなのだが、彼が本当に反ユダヤ主義者だったかどうかはグレーゾーンとしか言いようのないところだ。
で、ワーグナーの曲をイスラエルで敢えて演奏したバレンボイムという音楽家がいて、非難を浴びたことがある。そしてバレンボイムは自身がユダヤ系のイスラエル人なのだ。
つまり、ちょっとのことで話の性質は変わってくる。一般的にああだこうだと言うことはできないだろう。ワーグナーとバレンボイムの件などは、もはや当事者の主観の枠内だけで話を付けるしかなかろうと俺は思う。程度の差はあれ、ゲームの問題(テトリスであろうと囲碁・将棋であろうと)にも似たようなことが言える。
ついでに言うと、俺は戦争ゲームが好きではない。たとえば、信長の野望や三国志には抵抗があるし、大戦略などは頼まれてもやりたくない。ホラーも嫌いだ。一方で、ドラクエやFFや囲碁・将棋はむしろ好きだ。こういう好みはあり得ることだと思うが、ただその線引きに倫理的な必然性があるとも思えない。単なる俺の主観だ。
そういうことから、ゲームの件にせよトリアージの件にせよ、「これが絶対正しい、これが絶対間違い」なんてことは言えると思っていないし、トリアージを比喩に用いるのは言語道断不届き千万という言説には強く反発を覚えるのだ。
俺は「左翼」という言葉を使っていないし、「人文系」という言葉は「今までのお前らの説明は高踏的な人文系用語の羅列と、過度に込み入った構文によるはしょった説明ばかりでとうてい理解できん」という一文で一度使ったのみだ。そして、「高踏的な人文系用語」を羅列する人間は別に人文系に限らんよ。俺も一時期やってたことがあるしな。
そして、「制約条件の下での最適化」を教えるのにトリアージという例示を使う必然性はまったくなく、それがデリケートな話題であるのに敢えて使った意図的な例示というわけでもおそらくはなく、だから現場の医師に怒られたらあっさり謝っている。不適切だったんだよ。話終わってんじゃん……。
終わってない。当事者がどう考えようと問題が消滅したことにはならない。少なくとも俺は、福耳氏は謝罪すべきではなかったと思っている。もっとも、福耳氏の立場なら、理非はどうあれ謝罪しておかなければ実害が及びかねなかったから、それはそれで仕方のない判断だとも思うが。
何度も言うが、デリケートな例を持ち出してはいけないという根拠はどこにあるのだ?不快感を覚える人間がいるかも知れないというのは理解できる。だが、不快感は倫理的判断の根拠にはならないぞ。
ついでに言っておくが、俺はトリアージに近い扱いを受けたことがある身分だ。
俺は阪神大震災で負傷した。全治十日程度の怪我だったが、しかし命に別状はなく、相対的には軽傷と言ってよかった。そこで、病院に行ったところ、俺の治療は徹底的に後回しにされ、重傷者ばかりが優先的に治療されていた。そして、包帯が不足していた当時、俺は包帯を没収されてガーゼと絆創膏だけで我慢させられた。当時は包帯を洗濯して使っていたのだ。
俺はまだガキだったが、それでもこの判断には感銘を覚えたものだよ。俺は不利益な扱いを受けたにもかかわらず、な。
わかったよ、うざがられてるので切り上げるけどさ。
そんなに自信があるんなら、
まあトリアージは物凄くわかりやすくて便利だと思うからどんどん取り入れてもいいと思うけど。
この辺のひどい意見を福耳先生のとこにでも貼り付けて同意を求めてくればいいんじゃね?
多分迷惑がられると思うぞw撤退したい話題を蒸し返されてwww
いや「有限」と「足りない」は違うだろw 足りないのはお前の知性だ。
うっかりつられて有限/無限の話にのってたけど。
足りているリソースを配分するときだって経営学や経済学は必要だろうに。
モデルがどうであっても、共産圏なんかの悲惨な実証例が山ほどある事の方がわかりやすいからさ。
アメリカの悲惨な自由主義医療の例もあるし、世界大恐慌の例もあるなあ。
前者を支えているのが、ことさらに「社会主義医療」の恐怖を歌う議論上の詐術なんだけどな。
つか、そういう実例の評価の話じゃなく、あくまで学問的モデルとして提示しなきゃ話がおかしくないか?
hokusyu言うところの「バカリベ」の一言で終わるんで。
とりあえずさっきの投稿で、君の考える企業像が現実に即してないことは示したなあ。
まあトリアージは物凄くわかりやすくて便利だと思うからどんどん取り入れてもいいと思うけど。
なるほどなるほど。そんなに優れた例なのであればどうしてあの先生は謝ったりしたのかねえ。
出来てないw
お前の中の企業はそうなのかもしれんが、現実の企業は必ずしも利益の最大化だけを目的にしてるわけじゃないねえ。
そういう経営をしたら「必ず」倒産するということを暗黙に前提して話をしてるのがあんたの詭弁。
いや、かわいそうな百貨店を生かすのだって別に行政や政治の問題だけじゃないだろうに。経営者の判断の話だが。
で自動車のリコールの話はガン無視?ww 重要なところだけど。
知らない。経営学の授業という事を考えれば誰もが戯言だと思うはずだけど。
別にこちらはいくら見苦しくても構わないんだけど、一応ググれば一発でわかる
ぜんぜん適切な例じゃなかったけどなw
あれは個人的に私淑している相手に説教されたからじゃないの?
あほすぎるw 悪くないのに謝ったってか。
変な教育効果は絶大だったんだなあというのはよく分かった。
誰がそんなこと言ってんだ?w
自分の知能の希少性を十分思い知っているとは思うけどさ、もう少し慎重にレスできないかな。
>でも、あらかじめ「足りない」ことを想定はしてないなあ。
逆。「足りない」のはこの世の現実だから、想定する必要がなければ経済学は生まれない。
>経営学はどこにも有限なんて書いてないなあ。
有限じゃない物を効率的に利用するインセンティブは誰も持たないよ。
公害問題が台頭する以前の工場排煙なんかの事ね。空気ですらタダでも無限でもない。
ちょっと考えれば分かる事で粘る癖やめようね。相当頭悪いか必死なのかのどっちかだ。
>いや、モデルの話だろ? 経済学のモデルがそういうことを想定しているという例をくれ。
モデルがどうであっても、共産圏なんかの悲惨な実証例が山ほどある事の方がわかりやすいからさ。
モデルならワルラスモデル。市場の競争によってパレート最適が達成されるって理論。
>あと、過去レスにあるのは現実経済に対する君の勝手な解釈でしかないわけで。
新聞や歴史の教科書や日常生活や常識レベルの話だよ。否定したいなら逐一どうぞ。
>だから、トリアージは残酷なことじゃなくて経営学に大いに取り入れられるべきものだ、と言ってるわけ?
意味不明。まあトリアージは物凄くわかりやすくて便利だと思うからどんどん取り入れてもいいと思うけど。
でも普通はトリアージなんて持ち出す以前に理解していなければおかしい話なんでね、そうそう出番はないよ。
>常にリソースが欠乏しているという仮定をおかなければならない、というのは経営学のルールなの?
>経営的には赤だけど歴史ある本店だから残したい、なんてのはいくらでも現実の経営で起こってることだし、そういう想定の元に経営計画を立てるのにも経営学は使われるね。
それは単なる資源制約として処理される。あくまで企業は利益を追い求めるのみ。
あとそれって「かわいそうな」百貨店を生かすのとは別の問題だよ。行政や政治の問題じゃないから。
>以降、明らかに経営学じゃなくて、君の原理主義的資本主義の主張でしかないよな。
>百貨店がつぶれるのがかわいそう、という論理を女のたわごとと切って捨てたのは誰だったかね?
知らない。経営学の授業という事を考えれば誰もが戯言だと思うはずだけど。
>証明しなければならないのはどっちなのかは明白だよなあ。
もちろんトリアージが経営学の例示として使えないという論証ね。
短期的にも長期的にもトリアージ的な発想が資源の効率的配分をもたらし、
「かわいそう」を減らすリソースを生む事は散々論証例示済み。
>鏡をみよう。すごく見苦しいよ君は。
別にこちらはいくら見苦しくても構わないんだけど、一応ググれば一発でわかる
Wikipediaの記述をわざわざコピペしてあげたりしてるんだけどね。
まあ少なくとも君が、新書レベルの知識もなしに人様に突っかかってるのは明らかでしょ。
そしてこちらがいくら見苦しくても、件の粘着サヨクの皆さんの醜悪さは
ほぼ一般的に通用する認識だと思うね。
>週末にも働かないと利益をサイダイカできないじゃないかwww
きっと企業と労働者の行動原理を勘違いしているから、たとえば自発的・非自発的失業の項を調べる事をおすすめ。
>当の先生ですら撤退してるのにいつまで負けた議論を蒸し返し続けるのだか。
あれは個人的に私淑している相手に説教されたからじゃないの?
ブコメ見てもトリアージの例の教育的効果自体は物凄くはっきりしているよ。
出来の悪い生徒には多少の摩擦を恐れずにわからせてやる方が良い先生だと思うけどね。
経済学はまあ納得。でも、あらかじめ「足りない」ことを想定はしてないなあ。
経営学はどこにも有限なんて書いてないなあ。
しないよ。以降
いや、モデルの話だろ? 経済学のモデルがそういうことを想定しているという例をくれ。
あと、過去レスにあるのは現実経済に対する君の勝手な解釈でしかないわけで。
分かってないな、この世は全部トリアージ的な物なの。
誰もが常に何かの選択肢を切り捨てて(or無視して)何かを選択している。
だから、トリアージは残酷なことじゃなくて経営学に大いに取り入れられるべきものだ、と言ってるわけ?
常にリソースが欠乏しているという仮定をおかなければならない、というのは経営学のルールなの?
それは嘘だな。明確に現実に反する。
経営的には赤だけど歴史ある本店だから残したい、なんてのはいくらでも現実の経営で起こってることだし、そういう想定の元に経営計画を立てるのにも経営学は使われるね。
自動車のリコール費用が、リコール対象車の数x似たケースの平均賠償額を仮に上回っていたとしても、それでもリコールするべきだ、という判断は経営としてありうるよ。君の中ではありえないのかもしれないが。
以降、明らかに経営学じゃなくて、君の原理主義的資本主義の主張でしかないよな。
負けに気づいたからって逃げるなよw
百貨店がつぶれるのがかわいそう、という論理を女のたわごとと切って捨てたのは誰だったかね?
証明しなければならないのはどっちなのかは明白だよなあ。
なんないなんない。こちらは(あそこまでは)見苦しい行動なんかしてないし非難する事が目的じゃないから。
鏡をみよう。すごく見苦しいよ君は。
週末なんだからその辺の条件はもっと緩いよね。何より壊れたレコード状態の人が現にいるわけだし。
週末にも働かないと利益をサイダイカできないじゃないかwww
つか、壊れたレコードってお前のことだろw
当の先生ですら撤退してるのにいつまで負けた議論を蒸し返し続けるのだか。
ま、完全に必死モードだというのはよく分かった。
>別にちょろっと引用するくらい手間じゃないでしょ、引用してみてよ。あるんならさw
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%8C%E6%B8%88%E5%AD%A6
経済学(けいざいがく)とは、この世において有限な資源から、いかに価値を生産し分配していくかを研究する学問のことである。
しないよ。免疫力も無限だから。さらに自己免疫反応の可能性も無限に低い=ゼロ。
加工も輸送も瞬時。生存コストもゼロだから給料を払う必要がない。何ならロボットでもいいしね。
無限というのは文字通りあらゆる物が無限なわけ。この仮定のもの凄さはよく分かってもらえたかな?
主張というより実証の問題だね。そこは過去レスにいくらでも例があるから調べてみてね。
>当たり前の話だけど、トリアージなんてしなくてすむならしないほうが絶対いいわけだが。災害・事故対策や、十分な救急リソースの準備が間に合ってれば、やらずにすむわけで。
分かってないな、この世は全部トリアージ的な物なの。誰もが常に何かの選択肢を切り捨てて(or無視して)何かを選択している。
個人個人の選好に応じてね。それを最もクリアに例示できるのがトリアージというだけ。リソース無限の仮定の馬鹿らしさと
場違いさは繰り返さないよ。資源が欠乏しているという前提から考える事が必要。
>で、君の考える利益の計算には、「百貨店がかわいそうだからなんとか残しましょう」というものは入ってないということだな。
いや、誰それの考えじゃなくて個々の企業の頭には利益の最大化しかないっていう、単なる現実だよ。
「かわいそう」の論理では、長期的に誰もが「かわいそう」になるという例は誰もがいくらでも思いつくから省きたいな。
まあ多少脱線して、行政の介入でみんなを生かせばどうなるかという例を考えてもいいよ。
たとえばかつての銀行の護送船団方式。これは最も弱い金融機関が維持可能なように、金利やサービスなどを
行政が細かく規制する事で達成されてきた。そしてこれは同時に最も競争力のある金融機関=強者が凄まじい
超過利潤を得る事を可能にしたが、その超過利潤は結局サービスの受益者である預金者や融資先の企業の負担だったんだね。
「かわいそう」の論理は「かわいそう」を他に転嫁しているだけだし、実は弱者でも何でもない連中に
援助の手をさしのべているだけかも知れない。そして社会全体のリソースの量はそうでなかった場合よりも下がる。
>百貨店を潰さないことを前提に考える経営学はありうるの? ありえないの?
逆だって。「百貨店を潰す論理=トリアージ」が経営学にとって許されないとそちらが論証する必要があるの。
何度も言うけど、有限な資源の下では、それを最も効率的に運用出来る人間に資源を集めるのが、
短期的には勿論長期的にも結局は社会の為になる。こと企業間の競争であればね。
>すっげえブーメランw
なんないなんない。こちらは(あそこまでは)見苦しい行動なんかしてないし非難する事が目的じゃないから。
本当に「あたまがわるい」人なのかな?率直な感想でいいんだよ。手近な身内に見せてもおk。
>そうかあ、相手が半日仕事したり飯くったりしてたら君に反論できなかったことになるのかあ。
週末なんだからその辺の条件はもっと緩いよね。何より壊れたレコード状態の人が現にいるわけだし。
手間なのでWikipediaでも見てくればいいんじゃないかな。
別にちょろっと引用するくらい手間じゃないでしょ、引用してみてよ。あるんならさw
寿命が無限なら病院や製薬メーカーはいらないし、食料がいつでも好きな時に無限に入手可能なら農家や食品産業はいらない。鉱物資源が無限であれば、または労働力が無限であれば、いくらでもタダで製品を作ることが出来る。経営や経済なんて物を考える必要は無い。
不老長寿でも病気はするんじゃねえ? 食料がどんだけあっても加工と輸送は必要じゃねえ? 資源と労働力がどんだけあっても給料0ってことにはならなくねえ? やっぱり経営と経済は重要じゃねえ?
当たり前の話だけど、トリアージなんてしなくてすむならしないほうが絶対いいわけだが。災害・事故対策や、十分な救急リソースの準備が間に合ってれば、やらずにすむわけで。
その辺無視してる時点で、それもうトリアージの話じゃないわな。
これはYESってことでいいよな?
で、君の考える利益の計算には、「百貨店がかわいそうだからなんとか残しましょう」というものは入ってないということだな。
君の考える利益ってなんだ?
逸らしてるようにしか見えないなあ。
百貨店を潰さないことを前提に考える経営学はありうるの? ありえないの?
「あたまがわるい」のでもない限り、こちらの伝えたい内容は実感出来るはずだよ。
すっげえブーメランw
でもその割りに半日ぐらい反論ないからさ。話してたのは君以外の人にも何だけど、何でだろうね。
別にそこまで興奮しなくてもいいと思うけどね。同じ話を蒸し返してるだけだよ。
>たとえばどんな? 勉強したいので教科書から引用してみてもらえる?
手間なのでWikipediaでも見てくればいいんじゃないかな。
というか簡単な話。寿命が無限なら病院や製薬メーカーはいらないし、食料がいつでも好きな時に
無限に入手可能なら農家や食品産業はいらない。鉱物資源が無限であれば、または労働力が無限で
あれば、いくらでもタダで製品を作ることが出来る。経営や経済なんて物を考える必要は無い。
学問以前のこの世の現実だよ。ドグマというのは、だから不適切かもね。悪い。
>それと、「(君が表現するところの)トリアージ的切捨て以外の方策が経営学上は許されない」という君の主張となんの関係が?
許さないって書いたっけ?そちらに「許されない」と論証する義務があるとは書いたけど。
それはいいとして、要はトリアージ的な方策がむしろ「かわいそう」を減らすのに有効という話だよ。
呪術医療の段階であればトリアージ以前に選択肢がそもそも存在しない。簡単簡単。
>つまり、利益の最大化以外の選択肢は経営学にはない、といいたいと理解していいか?
「利益」や「目的」を定義する必要があるけどね。現代どころか当時でもナチスのユダヤ人虐殺は戦争という、
目的からして効率的とは言えなかったらしいので。戦争が激化するほど虐殺のペースは上がって行ったとか。
>話を逸らさないで欲しいなあ。君の経営学では、この百貨店を潰さない、という前提での出題はありえないという理解でいいか?
別に逸らしてないよ。セミナーに招いた人は行政関係の人じゃないからね。
場違いな話をするのは非効率で無意味。初学者にとっても適当ではない。
>俺はhokusyuじゃねえもの。当たり前すぎてhokusyuは言ってないようだが。
じゃあどうでもいいや。何で絡んでんの?
>なんともブンガク的な表現だが具体的に何を指してるのかまったく分からないよねえ。
てにおはおかしいよね。まあHALTANさんのエントリへのブコメの数々を読めば、
「あたまがわるい」のでもない限り、こちらの伝えたい内容は実感出来るはずだよ。
>ごめん、すべて読んでも、君がアホというサンプルにしかなってないようなんだが?
でもその割りに半日ぐらい反論ないからさ。話してたのは君以外の人にも何だけど、何でだろうね。
たとえばどんな? 勉強したいので教科書から引用してみてもらえる?
好き嫌いの問題じゃないよ。ラッダイト運動の時点で、あるいは近代医療が呪術的医療を駆逐する以前の段階で、生産性が停滞していたらと考えればわかりやすい。
それと、「(君が表現するところの)トリアージ的切捨て以外の方策が経営学上は許されない」という君の主張となんの関係が?
返答は上と同じ。
つまり、利益の最大化以外の選択肢は経営学にはない、といいたいと理解していいか?
主体の問題を忘れている。百貨店の立場で考える場合は勿論経営学の問題だけど、その百貨店は
できれば他業種から顧客を奪いたいと考える。どう転んでも誰かが「かわいそう」になる事態は避けられない。
話を逸らさないで欲しいなあ。君の経営学では、この百貨店を潰さない、という前提での出題はありえないという理解でいいか?
でもそれってhokusyuさんのエントリからは出てこない話だよね。
俺はhokusyuじゃねえもの。当たり前すぎてhokusyuは言ってないようだが。
あれは衒学的な虚栄で内輪で相槌打って罵倒ごっこを繰り広げるという見苦しい、
どちらかというとトリアージの例示という行為なんかより、よほど醜くおぞましい
生態への(成功はしていないが)エクスキューズでしかないよね。
なんともブンガク的な表現だが具体的に何を指してるのかまったく分からないよねえ。
誰も論証してない、というか過去の駄記事の山を漁れば、似たような論理で
ごめん、すべて読んでも、君がアホというサンプルにしかなってないようなんだが?
>やっぱドグマ的だね。
教科書レベルの話だからドグマには違いないね。なので異論の余地はないよ。
>お前がそういう世界観を好いてるだけなんじゃね?
好き嫌いの問題じゃないよ。ラッダイト運動の時点で、あるいは近代医療が
呪術的医療を駆逐する以前の段階で、生産性が停滞していたらと考えればわかりやすい。
>利益の最大化だけを単一目的にしても悲惨極まりないのは目に見えてるがな。
返答は上と同じ。
>「あの時代遅れの百貨店をつぶさないという前提で最善の経営戦略を」という出題はありうるし
主体の問題を忘れている。百貨店の立場で考える場合は勿論経営学の問題だけど、その百貨店は
できれば他業種から顧客を奪いたいと考える。どう転んでも誰かが「かわいそう」になる事態は避けられない。
もし一切合切を避けようとするのであれば、それは百貨店ではなく政治や行政の問題。
>これを認めさせるのになんでこんだけのテキストを尽くさなきゃいけないんだろうなあ。
でもそれってhokusyuさんのエントリからは出てこない話だよね。
あれは衒学的な虚栄で内輪で相槌打って罵倒ごっこを繰り広げるという見苦しい、
どちらかというとトリアージの例示という行為なんかより、よほど醜くおぞましい
生態への(成功はしていないが)エクスキューズでしかないよね。
誰も論証してない、というか過去の駄記事の山を漁れば、似たような論理で
理想状態としてさえそのような想定を拒否しますか。やっぱドグマ的だね。
お前がそういう世界観を好いてるだけなんじゃね? それこそ不遇を内面化してるのかもしれんし、それは気の毒な話だが。
モデルの話をしてたんじゃなかったか?
利益の最大化だけを単一目的にしても悲惨極まりないのは目に見えてるがな。
これが致命的な勘違い。「あの時代遅れの百貨店をつぶさないという前提で最善の経営戦略を」という出題はありうるし、そこに経営学は応用できるはずなんだが、必死で否定してるよなあ。
まあ「人命が係わるから不謹慎」という言い草は認めるとしても
これを認めさせるのになんでこんだけのテキストを尽くさなきゃいけないんだろうなあ。