はてなキーワード: はやくもとは
殺したいほど憎いのに、気づけばその人の一挙一動を追い一喜一憂している。
はやくもっと苦しんで無様に泣けば良いのにと、その気持ち一つでずっと生きている。
あの人は酷く自分に似ていて(それは外見でもだし内面でもだし、あるいは育った環境だってそうだ)だからこんなにも苦しい。
でもそれは自分だけれど決して自分じゃなくて、知らない場所で笑ったり怒ったり食べたり眠ったりしている。
それはとても不気味な事だ。
もう一人なんていらないのにと思うのだけれど、きっとあの人も同じことを考えているのだろう。
ふと考えた。
もし本当にあの人が死んでしまったら自分はどうするのだろうかと。
一晩考えて、多分、一緒に死んでしまうのだろうなと結論付けた。
そうですか。わたしはあさづけよりも、ピクルスがすきです。
おんなのひとは、あまりセックスでいけず、
おとこのひとは、つねにきもちいい、というもんだいについて、かんがえてみたんです。
やはり、ここでも、キーワードは、「いちまんじかん」でした。
勝間和代がいっていたことは、ただしかったんです。
つまり、
おとこのひとは、しょうがくせいのだんかいから、たえずオナニーをしつづけ、
おそらく、はやくもすうねんで、そのれんしゅうりょうが「いちまんじかん」にたっするのです。
ぎゃくに、おんなのひとは、れんしゅうりょうがたりないので、「いちまんじかん」にたっしておらず、
なかなか、セックスでいけないのではないか、とかんがえたんです。
やはり、れんしゅうは、だいじですね。
もっと、しょうじん、したいとおもいます。
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独立して十年。あのデリ暴動から三年。ま、日本企業だって尻込みして行きたがらないでしょ。東チモールへは。ところが、東チモールの油田はキタン油田に4000万バーレル、未開発のグレート・サンライズ油田には3億バーレルの埋蔵が推定されている。
ガス田もカス鉱区に120億ドル以上の埋蔵が推定され、このほかに金、銅、銀鉱山がある。
インドネシア政府が権利を主張するのは当然だが、保護国然として開発の中枢にいたのは豪州。開発競合関係が続いていた。
中国がやってきた。もとより92万人口のなかに3000人の中国系(客家)がいる。かれらは五百年前に漂着して東チモールに漢族コミュニティをつくっていた。
かれらが北京に働きかけ、官民あわせて中国からの投資ははやくも4億ドル、加えて水力発電所二基の工事契約は3億6000万ドルで中国企業が抑え、契約直後から実際の工事がはじまっている。労働者がどっと中国から東チモールにやってきた。
どんな手を使ったかは明らかではないが、日本がまったく関与しない場所にはやくも中国が本格参入している事実は驚きを越えている。
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通巻第2713号 (9月15日発行)
それでも国民党主席となって馬・胡錦涛会談で「ノーベル平和賞」目論む
台湾の国民党主席にどうしても復帰したい馬英九(台湾総統)は、いまの呉伯雄を五輪委員長に祭り上げ、第三次国共合作の一方の主人公をどうしても演じたいらしい。
国家主席同士では北京が台湾を国家と認めていない以上無理だが、国民党と共産党のトップ同士が話し合い、実際上の外交をなす、という中国史特有の手法を用いるわけだ。
馬英九はどうしても国民党主席に返り咲き、胡錦涛と党首同士の会談を行う。暫定の条約か何かを結び、金大中が見事に獲得したように、それでノーベル平和賞を獲得しようかと狙っているのでは? と書いたのである。
ところが7日発売の香港誌『開放』七月号(271号)が、まったく同じ分析をしている。『馬が党主席を狙うのはノーベル平和賞狙い』と。
中国資本が400もの分野に進出するが、台湾の国防産業などは禁止区域。法的手続きが不備な支店開設や資格のない業者の暗躍など、予測された通り
台湾の飛行場を八つ開放し、大陸から一般の観光客も待った。一日三千人が“とらぬ狸”だったが、過去一年間平均で一日二千人。当初の予測は年間45万人、現在32万人。観光客ひとりが台湾に落とすカネも見積もった予定額より遙かに小さく、「両岸旅客去多来少格差楡十倍」(『自由時報』、09年7月3日付け)。
台湾から大陸へ業務、観光で赴くのは346万人、大陸から来た人32万人。十倍以上の格差が開いた上、観光客がおとすカネたるや、予測の三割強という。
広東で民族対立のはて、流血の暴動が発生した
広東省で民族対立による大規模な暴動が発生、死傷者数百名をだした。
この事件は広東省東部の昭関市で09年6月25日に発生した。香港資本の「旭日電子玩具工場」で漢族従業員とウイグル人従業員が対立、武器を用いての大乱闘となり、流血の暴動に発展した。二名が死亡、百十八名が負傷、このうち十六名が重症という。
香港資本は労賃を安く上げるため仕事をさぼり文句が多いだけの漢族の雇用を忌避する傾向があり、五月にウイグル人を大量採用したばかりだった。ウィグル族は漢族に比べると従順で賃金も安く済むため、経営者が集団で雇用を招致するからだ。
このため漢族vsウィグル族のささくれだった対立が激化、寮内では万引き、強盗、強姦事件が続出していたという。漢族は「あいつらが来てからおかしくなった。ウィグル族は第二の日本鬼子だ」とすべてを少数民族の田舎物の所為にした。
博訊新聞網(6月28日付け)に拠れば、地元警察四百が直ちに現場に出動、パトカー、救急車の出動は48両におよび、六カ所の医院が緊急患者を受け入れた。このために152名の医者看護師が動員されたという。
少数民族の暴動を重視した党中央は直ちに連絡部会を開き対策を協議、周永康、孟建柱という二人の中央政治局常務委員が出席した。
トップの政治局員が直々の指示は、いかに党中央が、この問題を切実に受け止めたかを物語るだろう。周も孟も公安検察規律警察を束ねる中国版KGBの元締めだからだ。
また広東省党委員会書記の王洋は事件発生翌日に、はやくも省内関係部署に指示をだした。
死亡した犠牲者の遺族に補償問題を提示し、また義援金をあつめよ、公安警察は事件の真相究明を徹底し、早急に責任者を逮捕し、適切な処理を行うと共に香港企業に対しては新彊ウィグル自治区から大量の雇用をするのは好ましくない旨を警告した。
民族間のバランスを計ると共に、今後の治安回復のためにも新彊ウィグル自治区からきている女行員の安全を確保し、一刻も早い社会の安定を回復せよと訓令した(博訊新聞網、6月27日)。
世界的な金融危機の荒波をかぶって、ポーランド経済がふたたび窒息死直前にある。
ブームだった不動産投資が裏目にでて、市場が頓挫したのは、各国共通だが、ポーランドの相違点は、なぜか多くが、スイス・フラン建てで住宅ローンを組んでいるために、為替相場の変動で、二重の苦しみなのである。
もともと異様な投資境遇にあった。
ソ連崩壊後、いち早く投資が集中したのはポーランドで、米国にはブレジンスキーなどポーランド系の移民が多く、またカソリック教会のネットワークもあった。
筆者が最初にポーランドへ行ったのは90年だった。ワルシャワ駅前の(昔の)一流ホテルに宿泊、ジャガイモのサラダがいっぱいのったステーキが「一万ズローチ」と言われ、目を白黒させた。
すごいインフレだった。
ポーランド通貨は「ズローチ」。当時、一ドルが一万ズローチだった。ハイヤー(ベンツ)を雇ってグダンスク(グダニスク)を日帰り往復。高速道路をぶっ飛ばした。朝九時にでて、ワルシャワへ戻ったのは午後九時ごろ。途中、高速道路にドライブインが一軒しかなかった。
ハイヤーが往復わずか百ドルだった。グダニスクが「連帯」発祥の地、議長のワレサは、そのご、ポーランド大統領になった。
それから二年ほどして、再訪したら、はやくも証券会社が乱立し、株式市場が盛況を極めていた。
このときはワルシャワのホテルに一週間ほどいて、ヤルゼルスキー元大統領に会見したり、南のクラコウにも足を伸ばした。
ポーランド政府の招待で共同通信、日経、産経の記者と同じ政府系のボロ・ホテルが宿舎だった(招待と言ってもポーランド政府が出してくれたのは、このホテル代だけ)。近くの豪華ホテルには朝日、読売の記者もいた。
外国との合弁アパレル工場を見学し、社長とあったり、忙しかった。その時のルポは『財界』に連載し、なにかの単行本に収録した。
王宮跡の広場にあった有名なレストランへ行くと、素晴らしい鹿肉料理、音楽隊の伴奏もあった(余談だが、そのとき一週間隣室だったのが当時の産経ボン特派員の前田徹氏。その後かれはワシントン支局長から上海へ飛んで、先日まで上海からの特電を産経に書いていましたっけ。上海時代には二回あった)。
閑話休題。ワルシャワにはショパンの記念館もあり、昔の栄華の面影が甦った感覚があった。
駅前にはマリオット・ホテルの偉容が輝き、発展は約束されていた。駅裏にはホリディ・イン・ホテルもできていて、なんと日本経済新聞がデュッセルドルフから空輸されて読めた。
実際にポーランドは急激に発展したのだ。
西側から奢侈品が入り、ドイツや日本のクルマが疾駆し、レストランは満員。人々はスイスフランに投機を始める。
▲ドイツマルクにもユーロにも見放され? スイス通貨に依存した
ポーランドはドイツを憎み、ロシアを憎むが、それゆえにスイスが投資の的になるのか、或いはポーランド人というのは、もともとがギャンブル好きなのか。
スキームはこうだ。住宅ローンをスイスフランで借りると、金利が低い。
それを進めるファインス会社がたくさん出来た。またポーランドの輸出が好調だったので、通貨ズローチが切り上げになったことも大きな理由だった。
住宅ローンの60-70%がポーランドではスイスフラン建てである(ワシントンポスト、3月15日付け)。
欧米の銀行が機能しなくなって、突然ポーランド通貨ズローチが崩落、対スイスフランで半値、いや半値以下となる。
ズローチ建てに換算すると「天文学的な借金」が目の前に現出した。
つまり、日本で喩えると3000万円のマンションが、6000万円にいきなり化けたことになる。値上がりではない。債務が膨張するのだ。同様にフラン建てで不動産を借りている企業もオフィスレンタル急騰に悲鳴を挙げる。
同時期、ハンガリー、ウクライナ、ブルガリアなどの通貨も暴落を始めた。
他方、EU加盟を認められて以来、ポーランドからおよそ百万人がイギリスなどへ出稼ぎにでた。
レスゼク・ザルニッキという不動産王がいた。銀行も経営していた。いや、両方とも倒産の危機には至っていないが、このレスゼクが、スイスフラン建て不動産ビジネスとファイナンスをポーランド全土に広めてビリオネアになった張本人である。
「スイスフラン建てビジネスは失敗だった。しかしもっと悪いのは格付け機関と外国銀行だ。外国銀行は投資家に向かって東欧から資金を引き揚げろとアドバイスしているし、格付け機関はどんどんと投資不的確マークを東欧企業に打っているではないか」。
先日、彼女の家に泊まった。
前の彼女とは4年前に別れた。
彼女とは付き合って、まだ2週間程度。
雰囲気もよくなってきて、いちゃついて、そして挿入。
彼女の中はとても温かくて、まぁ気持ちもよかった。
でも、でない。射精できない。20分頑張っても、頑張ってもらってもでない。
ゴメンっていうと、お互いにいいことはなさそうなので、なぁなぁで終わらせて、ずっといちゃいちゃしていた。
どうやら僕は男性膣不感症のようだ。
オナニーのしすぎが原因。23歳にして毎日してたし、日によっては朝・夜の2回。
あと、仕方もよくない。足ピンは本当によくない。
こいつを治すには、とりあえずオナニーをやめて、夢精寸前まで溜めると良いらしい。
現在、禁欲5日目。
はやくも挫けそうだ。
今まで好きになったのとはちょっと違うタイプ。
今までは自分とはちょっと違う方向性に魅力を感じることが多かったけれど、
今回は自分と目指す方向性が似ていて、ただ、自分よりも先に進んでいる感じ。
早めに着いてのんびりしている私の隣の席にすっと座った彼。
配られた紙切れにマジックで名前を書いて、名札におさめ、首に下げて…そのあたりではじめて彼を見る。
その瞬間、私はまるで全身を雷に打たれたかのように痺れました。
ぱっと見は女性的でもあるのだけれど、よく見るとまっすぐで、男らしい力強さを秘めている感じ。
個性的ないでたちながらも、全体のバランスが取れていて…
そして私は完全に恋に落ちました。
…彼の字に。
それからというもの、私はもう気が気じゃありませんでした。
「名前だけじゃなく、はやくもっと彼の字を見てみたい」
幸いその日はグループワークだったので、今日一日は思うぞんぶん彼の字が見られるかと思うと、
私はもう胸のときめきを抑えることができませんでした。
心拍数は上がる一方で、研修の内容もまったく耳に入ってこないまま一時間が経過。
もうすぐ、もうすぐチャンスが来るはず…。
「それでは各グループ、プリントに記入した内容を順番に発表してください」
…きた!私は早速彼のプリントを見つめる。
ああ、そこには!みっしりと彼の字が!…ああっ、すごいしんにょう!!ごんべんは?ごんべんはどんな感じ?「題」の、「題」の、左下の2画がこう、一体となって絶妙なカーブを!直線的な漢字と曲線的なひらがなが入り混じって…お願いだからこれ以上興奮させないで……あああ、すごい!この「貝」の下のぶぶん!それに「新」の左半分と右半分のなんてシームレスなつながり、そして「生」のダイナミックな第1画と控えめな最終画によって生み出される絶妙なバランス…!このまま死んでもいい…!
そんなことを繰り返しているうちに、研修もあっという間に終わり。
このままもう彼の字に二度と会えなくなるのがつらくなって、今日一日ろくに会話もしなかった彼に「名札もらってもいいですか…?」と、後先考えずにお願いしてしまいました。
彼は、気味悪そうにしながらも「こんなのでよければ…」と名札をくれました。
そのときグループ全員(そして特に彼本人)の間に流れた、「え、何で…?」という凍てつく空気が忘れられません。
…でも今帰ってきて彼の名札をみてたらまたテンションあがってきた!!!!11
あきらかに開発工数が掛かってるであろうはてなワールドが・・・
はやくも人が居ない。
すごく惜しいのだけど・・・考えてしまうな。