はてなキーワード: どっちもどっちとは
全然違う。
1. 「牧畜した家畜を『人道的に』屠殺することには問題はないが、それ以外は動物虐待」という分け方は、日本では大きな賛同を到底得られる考え方ではなく、多くの感情的に反発を受ける。
2. むしろどんな形であれ、生物を殺すこと自体が業であり、それの一部なり全部なりだけを理由付けて全面正当化できると思っていること自体がおためごかしだ、という考えが現代日本では主流である。
3. この2.の考え方が、1.のような考え方に比べて劣っているという根拠はどこにもない。文化的背景に起因する生物観の違いなので、「どっちもどっち」とすべきである。
以上。
1は字面的には正しい。ただ西洋にそういう意見がまずない日本固有の発想って含意があるなら、その限りではない。
2は微妙。「全面的」を外しただけでだいぶ変わってくる。現実問題として屠殺や動物実験において苦痛の低減は行われている。もちろん、これを偽善とする意見もあるが、事実問題として苦痛を減らす試みが行われている以上、単純に主流とはいいが高い。「全面的」とおいう形容をつけたことによる詐術じゃない?
もちろん、アニマル・ライツの人に言わせれば、数多の問題点が出て来るだろうけど、君が主張するように西洋と比べて格段に軽視されているということはないと思う。
3は正当化が必要。
だから?そんなの織り込み済みで話してるっていうか俺はそれを否定しているわけでも何でもないんで。藁人形と戦うのは勝手だが俺に勝利宣言するのはやめろと。
これが藁人形だとすると、実際の君は何を言ってるんだ?こっちが「日本はアニマル・ライツが徹底された国だった」と主張しているものとして、それに反論しているの?それこそ藁人形だよ。
意味がわからん。一方が他方に優越するという理由がどこにもないのなら対等だと考えるべき。そもそもこれは「等価」ではなくて「前提が違うから議論にならない」という問題なんだよ。
いや、アニマル・ライツや動物福祉の理論体系は理屈としてはそれなりに一貫しているという立場をこっちは取っているわけだよね?実践的には受け入れていないにせよ、論理ゲームとしては評価している。「業」論者の主張はさっぱり理解できないので評価していない。
そこを批判しているはずなのに、「一方が他方に優越するという理由がどこにもないのなら」なんていわれても困る。
それが俺のことのつもりなのかどうか知らんが、「牧畜した家畜を『人道的に』屠殺することには問題はないが、それ以外は動物虐待」という主張自体に、文化的土壌によらない普遍的な根拠がないことは認めるな?
「文化的土壌」で何を言ってのかわからないし、「」内部がどの範囲の人や主張を指しているかも悩むけど、たとえば、キリスト教(西洋?)の教義から導かれたものとしてる狭義のアニマル・ライツとか、その手の議論を捉えているかと言われるとNOです。
広義で大雑把な欧米の動物愛護的精神を指すのであれば、”西洋”の文化的土壌の一部であるのは論理的に自明でしょう。なぜならそれは西洋の文化の一部だからです。それを指摘することに特段の意味はない。
狭義のアニマル・ライツについては、現代倫理学の議論からでてきたものとして理解していますが、議論によって育まれた理由付けの体系として把握しています。こういった議論の中で出てくる様々な前提を指して「文化的土壌」と言っているのなら、それが普遍的合意を得られるものではないと、私も思います。
道徳的直観ってのは常にそういうものです。絶対の公理なんてない。メタ的立場に立った議論はできるけど、その場合、あなたの主張もそれは適用される。たとえば「”異文化”に口を出すべきではない」の通文化性・自明性はそれほど高くない。もちろん、様々な文化の文献からそういった文章を集めることはできるが、普遍的価値とは言い難い。
そして、普遍的な根拠がないならば、それを拒否する権利があるということも認めるな?
その主張は普遍的(せめて通文化的、もしくは万人が認める道徳議論の前提となる公理)な根拠があるのでしょうか?そうは思えないのですが。ないのならその主張は自己論駁的です。
そうだね。君の主張は現代日本にはない、だったね。
全然違う。
以上。
ただ肉食の低減等は現実に起きたし、牛馬への配慮も一応は行われていたよ。
だから?そんなの織り込み済みで話してるっていうか俺はそれを否定しているわけでも何でもないんで。藁人形と戦うのは勝手だが俺に勝利宣言するのはやめろと。
とりあえず、あなたは、その双方の主張が等価だということを示す必要がある。
意味がわからん。一方が他方に優越するという理由がどこにもないのなら対等だと考えるべき。そもそもこれは「等価」ではなくて「前提が違うから議論にならない」という問題なんだよ。
自慢げに「業」を振りかざして周りを見下し、「馬鹿どもを論破できる!」って高言してる人には、たまに文句をつけることもあるが。
それが俺のことのつもりなのかどうか知らんが、「牧畜した家畜を『人道的に』屠殺することには問題はないが、それ以外は動物虐待」という主張自体に、文化的土壌によらない普遍的な根拠がないことは認めるな?そして、普遍的な根拠がないならば、それを拒否する権利があるということも認めるな?その二点はあんたも認めざるを得ないはずで、そしてそこを認めるのであれば俺はあんたが批判すべき対象ではない。
あっそうですか、俺の言葉の使い方はあなたの「普通」ではありませんでした。以上。おしまい。
「動物の苦痛などに配慮するのが西洋的発想」でそれをオゾマシイと感じるものとして提示された「業を自覚する東洋的発想」が前近代日本から存在していたとするためには、君の出してくる根拠はあまりに見当はずれと言ってるだけですが?
動物への配慮一般への反証等が必要になるんだよ。
意味がわからん。誰も日本では「動物に配慮する発想自体がない」なんて言ってないぞ。むしろそういうものはあるが、生類憐れみの令に見られるようにそういうものは弊害の大きさ故に「定着しなかった」という歴史的事実が何度も繰り返されてあるわけだよ。そしてそれに対する代替の思想がむしろ支配的に定着してきたわけであってだな。
私が君にからんだんかい!
途中から入ってきて前提を無視されも困る。
俺は最初から「横だけど」と言って入ってきているわけであって、あんたが最初にレスした元の人間と同じ発想だと最初から決めつけられても困るわけでね。
というか「人道的な屠殺の方がおぞましい」ってのが君の感じ方(西洋人wを説得できるとは考えてないにせよ)だったはずなのに同意しないんだ。
あのな。「人道的な屠殺の方がおぞましい」っていうのは俺の主観なんだよ。「犬や猫を食うのはおぞましい」というのと同レベルのな。俺は独善的菜食主義者じゃないからそういう考えを普段は口に出さないし、まして人に押しつけようとはしない。しかしあんたは最初からその考え方を
牛や豚相手には単なる自己満足にしか思えない。
ましてそれを大事なこととかいって偉そうにするのはやめて欲しい。
と切り捨てて、一方で独善的菜食主義者の意見は「自己満足でない」かのように「まだ納得できる」と言ったじゃないか。そのダブスタが気にくわない、というより単なるブーメランだと言ってるんだよ。
俺から見れば「人道的な屠殺」こそが「業を感じる」よりもよっぽど自己満足なわけ。要するに「独善的菜食主義者の意見と普通の日本人の意見は単なる主観の問題、どっちもどっちじゃないかよ」と言ってるだけなんだよ。どっちが正しいなんて視点はあんたが勝手に持ち込んだことだ。
前近代とか言い出したのはあんたなのでどうでもいい。
まさか西洋化後の近代日本を持って「東洋的価値観」の代表と言うわけ?
何でそれが平安時代の肉食禁忌令などの反証になるのかわからない。
というか、君の言う「動物も植物も東洋的価値観では」理論だと罪の意識にさいなまれるのは漁師よりもまず農家でなければならないのだが。
どっちにしても、「いのちの食べ方」とか「ブタがいた教室」なんて映画に象徴されるように、現代日本でそういう生物観が支配的なことは君も認めざるを得ないだろう。
そういう「動物も植物も同じ」「人道的屠殺は偽善」って主張の人が君みたくそれなりにいることは確かだが、「いのちの食べ方」とか「ブタがいた教室」はどちらも動物の話でしょ。
あとの点はもう面倒くさいから君が勝手に勝利宣言してくれ。俺は菜食主義は正しいか正しくないかなんて議論には興味ないんで、好事家だけでやってくれればそれでいい。
こちらとしては議論の適切さにしか関心がないので、立ったら最初っから首を突っ込まなきゃいいのにと思うわけです。
菜食主義や動物福祉が正しいと言ってるのではなく、元増田みたく薄弱な論理で勝利宣言する連中が気持ち悪いので。
誰がそんな主張した?
大事なのは何を殺して食べるか、とかではなく
自分の命を大事に生きることでしょうよ
この人。そこからの流れなんだが。いまさら誰が、と言われても困る。
俺からすれば「人道的な屠殺」という偽善の方がよっぽどおぞましい。
要するにこれは西洋風の信仰(人間は動物を獲って食っても構わないが、同時によき支配者・管理者たるべし、)と、東洋風の信仰(植物・動物問わず生き物を殺すことは本来は罪である、殺してしか生きられない業の重さをかみしめよ)の対立の問題なわけよ。だから、どっちが正しいなんて決められないし、決めるべきでもない。
太字の部分が重要。要するに、向こうの信仰からみてこちらの生物観がおぞましいように、こちらから見て向こうがおぞましいということもあるから「どっちもどっち」であり、そこから先には立ち入るなという話だよ。
ただそこっから、前近代の日本が「動物を食べるのも植物を食べるのも同じ罪だから云々」な文化だって主張を成り立たせるのは誤りだろう。
前近代とか言い出したのはあんたなのでどうでもいい。
一応肉食禁忌の流れは平安時代からあったはずだが、色々な変遷はあっただろうけど。でもそれでさえあなたのいう「東洋的発想」の反証には十分。
とりあえず法然が漁師になにを言ったかぐらい調べてからそういうことを言ってくれ。どっちにしても、「いのちの食べ方」とか「ブタがいた教室」なんて映画に象徴されるように、現代日本でそういう生物観が支配的なことは君も認めざるを得ないだろう。あとの点はもう面倒くさいから君が勝手に勝利宣言してくれ。俺は菜食主義は正しいか正しくないかなんて議論には興味ないんで、好事家だけでやってくれればそれでいい。
誰がそんな主張した?もう一度俺が書いたことを抜粋するぞ。
俺からすれば「人道的な屠殺」という偽善の方がよっぽどおぞましい。
要するにこれは西洋風の信仰(人間は動物を獲って食っても構わないが、同時によき支配者・管理者たるべし、)と、東洋風の信仰(植物・動物問わず生き物を殺すことは本来は罪である、殺してしか生きられない業の重さをかみしめよ)の対立の問題なわけよ。だから、どっちが正しいなんて決められないし、決めるべきでもない。
太字の部分が重要。要するに、向こうの信仰からみてこちらの生物観がおぞましいように、こちらから見て向こうがおぞましいということもあるから「どっちもどっち」であり、そこから先には立ち入るなという話だよ。
勝手に独善的菜食主義者の裏返しみたいな俺様文化帝国主義者にしないでくれ。
あなたのいう「感謝の気持ち」や「業を背負う」ことが大事って主張は、「人道的な屠殺」だの動物福祉だのベジタリアンを偽善と見下す以外に何の意味があるのかわからない。
明らかに俺は「東洋風の信仰」と「西洋風の信仰」という風に相対化して書いてるわけで、東洋風の「信仰」こそが「大事」なんて思ってるわけないだろ。つまらんいちゃもんはよしてくれ。
増田は内心「俺は良い夫良い父、妻は悪い妻悪い母」と思ってるっぽいけど、まぁお互い様だよ多分。
変なメールであるとは思うけど
1.新入生・編入生であることはわかる。
別に、しなくてもいいけど、「なんで私にメールを送るの?」と比べて、
1.どっちが大人の対応か?という話しと、
2.大学院教諭は大人の対応が出来ないのか?
3.相手が無礼だから、無礼な応答を返して良いのか?大人として。
という事をあわせて考えれば、
どちらがベターかといわれれば、大人の対応をしたほうがベターでしょ。
すくなくとも学生の方は自分の何がいけないかわかっていないから、変なメールを送るんだろうから、
そういう学生相手に『なんで私にメールを送るの?』で 意図が伝わるか?といわれれば、伝わらない(善し悪しではなく、文化・経験が違うという)ことは容易に想像が付くのに、
なんで、そういう応答をしたのか?
というのがよほど、大人で、よほど経験を積んでいて、しかも、大学院教諭で、しかも、東大という事を考えれば、
『大人げない』
といわれても、仕方なかろうと。
これまた、返事したのも大学生なら、まぁ、そんな物だと思うが。
とはいえ、いわゆる指導をしないタイプの教諭ならしかたないといわれれば、仕方ないのかもしれないが、それは、それでどうかと。
どっちが悪いといより、どっちもどっちだなぁと。
どっちもどっち、なんじゃない。
オリエンテーションなりなんなりあるだろうから、それまで待つのが一般的だから元増田の方がおかしい。
というのは、至極その通りだが。
どうみても、東大大学院合格のうれしさの余り、勇み足というのもまた、わかるので、
普通に、
『一般的には初めての挨拶は、入学後の面と向かって合ったときに時にするのが普通です。気をつけなさい。合格おめでとう』
とでも返せばよいのではないだろうか?いちおう教職なわけだし。大学生にもなってという気持ちもわかるが、
「なんで私にメールを送るの?」
は、これまた、返す言葉もストレートすぎて、相手が年下で学生で
混乱しているか、勇み足が見て取れる時に送る文面じゃないなと。
と書いておきながら
>「効率的な」市場ではハイリスク、ハイリータンな商品を複数もつことが理にかなっているのだ。
というのは支離滅裂だろ。
どっちもどっちなら別に分散する必要はなくなる。
>個人向け国債は「低リスク、低リターン」の典型といわれているが、円安リスク、インフレリスクを考えると、この商品は「ハイリスク」といえるだろう。
>ということは、買っている人(市場)が「効率的」ではないということがいえる。
ハイリスク商品をもつことが理にかなっていて、個人向け国債がハイリスクなら、それを買うのも理にかなっているのでは?論理展開がむちゃくちゃすぎる。
ソクラテスの言葉に「無知の知」というものがあるが、本当に言いたかったことは
「知ってるとおもっていることが、実は本当は間違いであったことを知る」ことではないだろうか?
理由はペイオフで1千万円以上は返ってこないからだけではない。
一時は60円まで落ちたハンバーガの価格も、インフレや円安になった場合に、1個1億円になることもありうる。
こうなった場合、今まで一生懸命働いてためてきた1000万の貯金でもハンバーガ一個も買えなくなる。
世の中に「安全」というものはありえない。
すべてのものにリスクは内在している。
”より”安全を求めるということは、とどのつまり、起こりうるリスクに対してヘッジをすることなのだ。
つまり、
・円安のヘッジには外貨を複数もつ
といったところだ。
もう一歩踏み込んで考えてみよう。
市場は「効率的」である。ノーベル賞にもなったほど有名な言葉である。
これを端的にいうと、”まともな”商品であれば、リスクの分だけリターンが大きくなる確率が高くなるということだ。
ただ、リスクの分だけリターンもおおきいということを考えれば、購入のほうがリスクが高いので、
死ぬまでリスクがおきなかった場合にはその分だけ得だったということだ。
もちろん、定期の生命保険に入っていて期間内に死ななかったので損したということと同じことを言っているのではあるが。
購入のほうがリスクは高いというのは、下記の理由からである
・転勤リスク
・隣人リスク
なお、購入のほうが税金が優遇されるとか、有利な点もあることを付け加えておく。
リスクは分散することで少なくすることができる。
低リスク、低リターンのものをいくら組み合わせてもリスクはほとんど変わらないし、リターンも対して期待できない。
これにくらべてハイリスク、ハイリターンのものを分散させるとリターンの減少に比べて、リスクを大幅に減らすことができるのだ。
ここから導かれる結論は「効率的な」市場ではハイリスク、ハイリータンな商品を複数もつことが理にかなっているのだ。
個人向け国債は「低リスク、低リターン」の典型といわれているが、
円安リスク、インフレリスクを考えると、この商品は「ハイリスク」といえるだろう。
個人向け国債を買っている人はこのことをわかっているのだろうか?
おそらくわかってないというか、考えてないだろう。
ということは、買っている人(市場)が「効率的」ではないということがいえる。
「効率的」ということを突き詰めていくと、市場にゆがみがある場合に無リスクで利益だすことでができるため、
誰しもが争って利益を出す行動をするということだ。
利益に対して最短距離で行動しないのは効率的でない(=無駄)。
なぜ、人はこんな無駄の多い行動をするのか?
それは「無知」だからである。
正確にいうと、「物事の本質を理解できてない」のだ。
もう一度言おう。「無知ほど怖いものはない」
id:ryankigzさん、id:y_arimさん、お気遣いありがとうございます。
ただ、もう、これは無理でしょう。特に数名……わかってくれる気がしない。
相手は人間だってことを、こちら側も忘れたらどうなるか……ああいう人も、それを支持する人も、それを見る人も、感情ある、それぞれの人間だってこと。
そりゃ、ああいう馬鹿げた……レイシズム丸出しのデモ主催者に名を連ねている連中は、もうダメでしょう。
でも、本当にそいつら相手でいいのか。
はっきり言うと、もうああいう在特会みたいな連中は直接相手するべきじゃないと思います。
そんなことで、無駄な行動を取る必要はないし、それで命が危険に晒されるとか、バカでしかない。だから「これはひどい」タグつけたんです。
やった人はそれで満足かもしれない。でもそれに何の意味が?
いましたよ、昔。
軽い仕返しをDQN的な人に仕掛けた人は。
で、結果突き飛ばされた。あんなことせずに何もしなければ、ああいう連中が白い眼で見られた、そんな状況だったのに。
同情はしなかった。でも庇った。胸倉つかまれた、殴られた。
ただでさえ嫌がらせうけてたのに、さらに酷くなった。
でも、そうせざるを得なかった。
ああいうのみたら、どう思うか。
はてサと呼ばれ、バカ扱いされるか、どっちもどっち扱いされるか、『関わらないでおこう』と思われるか。
それをするほうが悪い?
日本国民が悪い?
だけど、今、彼らがどこに生きてるか、何を食べて何を飲んで生きてるか、考えて欲しい。
相手だって、普通の人間だし、普通の感情持ってるし、普通に仕事や学校行ってるんです。
もう遥か彼方行ってる人は、そんなに多くない。
相手の論調にこちらが無条件で乗る必要もない。そんなことしても意味はない。
もう付き合いきれない。
私には、無闇に反応して煽ってるだけの連中が、いつまでも罵倒し続けることのできる存在を作りたいようにしか思えない。
そんなことに意味はない。
存在を忘れさせる抗議や、もっと高次元の活動……例えば以前こちらにいたいしけりさんみたいな……など、わざわざああいう連中と馴れ合いに行かなくてもいくらでもやり方はあるし、ましてこっちが向こうの「理想のダメサヨク」を演じてやる必要もない。
わざわざ向こうにあわせる必要も、向こうの次元に落ちる必要も何もない。むやみやたらに敵を作ってしまうこともない。
ガキの戯言やら、悪しきポストモダンやら、神の目線やら、お前の「一般性」やら言われるかもしれないですが、あえて言います。もっと回りからどう見られるか、回りがどういう風に動いてるか、ちょっとは考えて欲しい。
もう少し考えて欲しい。
関わらないようにしようって言うのに自分から飛び込んで、社会の放任というリンチをわざわざ引き出してしまえば、本当にどうなるか。
もう、政治関連なんか、真っ平です。言いたいこと言わせていただきました。
いい逃げとでもなんとでも言ってくれていいです。
……もう、正直この手のことには係わり合いになりたくない。
薄々、感じてはいたんです。もう、こんなところでやっても確かに意味はないし、何もならないってことは。
ろくに読み返してもないですし、意味のわからないところもあるかもしれませんが、もういいです……。
まあどっちもどっちというか両方必死なので俺のような小心者はびびらざるを得ないが、それはそれとしてイライラとカルシウムは関係ないんじゃないかと思う。
http://psychodoc.eek.jp/abare/calcium.html
元記事はアンタ、10年前ですよ。一度広がっちゃった情報を打ち消すのって大変なんだな。
中小っぽいとこがワーっと参入して、ちらほら大手周辺も窓口を開くようにしてるよね
で、中小っぽいとこが扱い慣れてない萌え絵をホームページで前面に出してるのを見るとね…
オタに親しみやすいようにサイト名もそれっぽくしててね…
同人印刷ってクセのある客が多いから今まで敬遠されてたのに、そんなに仕事ないのかな…と心配になった
余談として、同人屋が印刷所を使ってよく起こすトラブルパターンは
〆切直前になって、あーだこーだ文句を言い出すことである
印刷所側が「無理です…」(内心:もっと前に聞けよ!!)と言うと逆ギレ
もしくはフツーに〆切を守らない。というかこれが一番多い
それで出来上がったものは、当然同人屋自身納得のいかないものである
「もっとアレがこうなってたらよかったのに」、「もっと時間があったらいいものができてたのに」
んなもん計画的に取り組まなかった同人屋が悪いのであって、まったくの自業自得なんだけど、
そのモヤモヤを印刷所に責任転嫁→同じ同人屋界隈へ口コミで広まる
対応が悪い、印刷が汚い、といった印刷所もあるけど、大抵は同人屋が〆切を守らないことでトラブルは起きている
でも〆切過ぎても受けちゃうところもたくさんあるので、まぁどっちもどっち
26歳 一般会社員 既婚(子無し)
そんな俺が、答えるよ。
1.オネエマンズみたいなオネェは多分ゲイでもめずらしいタイプなんだけど
俺も実際にLGBTの人々と出会うまではオネェ=ゲイだと思ってた。
でもオネェっていうのは性指向とは違うんだな、というのが今の理解。
オネェだけど女の子と付き合うっていう人も結構いるからね。
それに体オトコで心オンナの人がオトコを好きになるのは、ゲイじゃないと思ってる。
ゲイってのはあくまで心オトコがオトコを好きってことであって、入れ物はあんまり関係ないのでは。
2.ゲイの人権問題を言うのなら、性的倒錯の面でロリコンとかも一緒ではないか?
これは明快に違うよね。
違法かどうか、宗教的にどうか、は全く関係なくって、全然違う。同じにしちゃいけないよ。
ゲイっつーかLGBTっていうのは性的倒錯じゃないんだよね、ホントは。
さっきも言ったけど、入れ物とココロと好きな性の組み合わせによる呼称にしか過ぎないと思うんだ。
一方、ロリコンは完全に性的倒錯。社会的に受け入れられない性嗜好なんだよね。
ただ、これも過剰なロリコン狩りは逆に悲劇を誘発すると思っていて、それはまた別の話。
教育のあり方とか、社会の仕組みとか、その辺から語りたいからね。
3.腐女子の方々はいったいなにがしたいのか……。
腐女子的なコンテンツってあんまり見たことないから、この憤りは共有できないんだけどさ。
まあ、勝手にやらしときなよ、ああいう輩はさ。
彼女らも自分が「腐」った人種であることを自認しているんだろうし、何を言ってもロリヲタと一緒で暖簾に腕押しさ。
あと、あなたは性衝動はオトコに近いって言ってるけど、「オトコと同じ」という認識でいいと思うよ。
だって、心オトコなんだから。
4.実際カミングアウトして引くひとはどれくらいいる?
引くっていうか、結局はLGBTに対する偏見が、カミングアウトされた人間の恐怖を誘引してると思う。
つまり、何もわからない中でLGBTは良くないことだと社会的には抑圧されてて、一方ではメディアがLGBTを奇異なコンテンツとして生産しているわけだよね。
だから、「引く」一方でミョーに「好奇心を持つ」人もいると思っていて、それはどっちもどっちだよね。
5.人生経験上で結構ゲイがいたせいか(襲われたり、付き合えたり)
結構、潜在的ゲイ(もしくはバイ)はいると思うよ。
ただ、それも前項で言った通り社会的に抑圧されるなかで、各々の感覚として死んでるんだと思う。
余談だが、一つここで俺的なまとめを示したい。
LGBTに偏見を持つ人に、受け入れなくても理解はして欲しいことがある。
1.カラダ オトコ × ココロ オトコ × ラブ オトコ =ゲイ
2.カラダ オトコ × ココロ オトコ × ラブ オンナ =ストレートのオトコ
3.カラダ オトコ × ココロ オンナ × ラブ オトコ =性同一性障害 オカマと言われることもある
4.カラダ オトコ × ココロ オンナ × ラブ オンナ =性同一性障害 ある意味ビアン
5.カラダ オンナ × ココロ オトコ × ラブ オトコ =性同一性障害 ある意味ゲイ
6.カラダ オンナ × ココロ オトコ × ラブ オンナ =性同一性障害 オナベと言われることもある
7.カラダ オンナ × ココロ オンナ × ラブ オトコ =ストレートのオンナ
8.カラダ オンナ × ココロ オンナ × ラブ オンナ =ビアン
あくまでカラダ×ココロ×ラブの組み合わせで呼称が変わるだけ。
「セクシャルマイノリティ」と言われるが、こうして分類すると実はストレートが2例でそれ以外が6例。
つまり、ストレートかどうかなんて大した問題じゃないんだ。
1番と5番の恋愛は、一見すると「社会的には」普通な男女のカップルなんだけど、実は内面的には同性愛だったりするわけだよね。
性に普通なんてないよ、きっと。
あるのは純然たる違いだけだ。
2時間かかったよ!
新聞超読みづらいね!
『へぇ…アンタなかなかやるじゃん』的なやつだけ集めたよ!
後はしょうもなかったから無視!
(3年で200万人の仕事を確保)
(10年後に衆参両院議員定数の3割削減)
(地方分権の推進)
(早期の憲法改正を実現)
(月10万円支給の求職者支援制度)
(出産時55万円の一時金支給)
(公立高校の無償化)
(国家公務員の2割削減)
(天下り発生原因の根絶)
こうしてみるとどっちもどっちだね!
まぁ両方が天下りやめさすって言ってんのはいいんじゃないかな!
でも正直なんかピンとこないし今回も白票だね!
【アメリカ人は「希望駆動型」、日本人は「危機感駆動型」】
http://mojix.org/2009/07/31/us_kibou_jp_kiki
上の記事、おおざっぱにまとめると、
「アメリカ人は希望駆動型。やたら人を褒める。いい感じ」
「日本人は危機感駆動型。後ろ向きに考えすぎ。改めよう」
というおはなし。
特に不満は無いけど、「希望駆動型」「危機感駆動型」の良いとこ・悪いとこの比較がなかったので、こちらで考えてみました。
とりあえず、わかりづらいので「希望駆動型→ホメ派」と「危機感駆動型→アオリ派」に置きかえ。そんでもって、日本とアメリカという先入観も捨て置く。
総体的に言うと
デザイナーの悪い所 ⇒作業範囲を確認してない 必要な情報の要求をしてない 元増田の悪い所 ⇒作業範囲を確認してない デザインの仕事が解ってない
とりあえず元増田の発言見てると、WEBデザインが何か全くわかってないように見える
どこまでが1ページかってのはサイトの構成だから、これは発注側が指定する所
そこからやれって言うなら、そもそも価格設定がおかしい
こんだけ情報入れてくださいっつって、本当に文字だけのコンテンツが来たらどうすんの?
イメージとかサンプルというか、こういう感じのデザインで、とか指定は発注側がする方が良いだろ
その辺をすり合わせるのにラフが必要なんだよ
何もかもお任せなら、さっきと同じで価格設定がおかしい
と、ここまで書いて思ったんだが、納品物はデザインのペラ画像で良かったのか?
そのままアップできるファイルを発注したのか?
で大分変わるな。前者はラフ、カンプ。後者はコーディング含めた完成品だな
同じ発注でも、ソニーみたいなサイトイメージのもあれば任天堂みたいなの作ってくるデザイナーもいるし
その辺をコントロールするのがディレクションって奴なんだ
それが出来ないのに発注やらされてるのも不幸だが
ちなみに今の状態でディレクターとか名乗ると恥ずかしいから注意だ