少し愚痴を吐かせていただきたいのですけれど、九州の「男らしさ」というもの、未だに抜け出せない呪縛のように感じてしまいますのよね。
わたくしも九州の男性として育ちましたので、その価値観に悩まされることが多々ございましたのよ。
たとえば、幼い頃から「男は泣かない」とか「弱音を吐くべきではない」とよく言われてきましたわ。中学の部活で厳しい練習がありまして、もう本当にしんどくて限界に感じていたのですけれど、先輩から「お前も男ならもっと根性を見せなさい!」と言われましたの。こちらはもうヘトヘトで倒れそうなのに、「九州男児でしょう」と言われると、何も言い返せなくなってしまいますの。そんな考えが染みついてしまって、今でも素直に弱音を吐くことが少し難しくなってしまいましたの。
それに、わたくしの家族も未だに昔ながらの考えが強くて、父は「男は仕事、女は家庭」と信じているタイプでしてよ。小学生のとき、妹が「将来はバリバリ働きたい」と申しましたら、父が「女の子なのだから家庭を支える立場がよい」と、半ば冗談っぽく言いましたの。でも妹はそれを真剣に受け止めてしまって、そのあと「やっぱりわたくしは家にいるべきなのかしら…」と悩んでおりましたわ。家族の何気ない言葉でも、古い価値観がいまだに影響を及ぼし続けているのだと、その時、初めて実感いたしました。
あるいは、母が料理をしている横で、わたくしが少しでも手伝おうと台所に入りますと、「男の子が台所で何してるの!」と軽く叱られてしまいますのよ。このような家族のやりとりが積み重なると、「台所に立つ男性」というのが、家族全員にとって「ありえないこと」になっていくのですわね。そのせいもあって、台所は「女性の領域」という考えが、わたくしも長いこと拭えませんでしたわ。
さらに、地元の友人のお話ですけれど、自分の彼女が自分より成功していると気まずいとおっしゃる方もいらっしゃいましたの。「男がリードしないとカッコ悪い」とか言うのですけれど、その考え方で彼女に負担をかけるのは如何かと思いますわ。でも、そんな考えが当たり前になってしまっていることに、その方自身も気づいていらっしゃらないご様子。それどころか、その他の友人たちも「それが普通だ」と同調していらして、違和感を覚えましたけれど、いまだその価値観が当たり前に残っていることに驚かされましたの。
九州で育つと、このような「男らしさ」や「女らしさ」が深く染みついてしまうことが多いのですけれど、わたくし、これからはもっと自由で柔軟な考え方を持っていけたらと心から願っておりますのよ。
そんなわたくしも上京してから少しずつ自分自身を変えることができましたので、これからも少しずつ周囲も含めて意識を変えていきたいですし、いつか家族や周りにも新しい価値観が当たり前になってほしいと思っていますわ。
なるほど、極端から逆の極端に走った結果が、そのおかま口調なわけだ バカは中庸を知らない
会社に居た自称九州男児笑が毎朝嫁に靴下履かせてもらってるって聞いた時バカ笑った記憶ある 女が使用人だと思ってる文化