溢れ出るパトスそのままにここに書き捨てていく。自分の文章が難解だとよく言われることへの愚痴だ。
難解というかまず読まれない。これがとても虚しい。読まれようとしていないのもあるが、普通に書くとますます読まれないわけだ。
したがって非常にいろいろと精査して簡潔にしたり具体的にしたりぶつぶつ文句を言いながら改稿を繰り返す。これによって遅筆と化す。
思うがままに書いていくとねじれ文だのすっ飛ばしだのが表れて、自分では完全に把握できるのだけど周りにはなんじゃこれと思われるような文章が爆誕する。
人はよく言う。
北風と太陽のように、人に読んでもらうには風のようにびゅうびゅうと人に読ませそうとするのではなく、さんさんと照りつける太陽のように母性をもつのだと。
それで読んでもらえるのだと。
人間は読みたいものしか読まないのではないかというのが自分の考えているところだ。
だいたい必死に相手のことを考えてお膳立てしても、概念が難しいときはあらよっととスルーされることが多々ある。それは見事なものだ。親の心子知らずとでも言ってやろうか。
まるで恋愛のようなものだ。相手のことを考えて相手の欲するものをひたすら提示し続けても別に相手は振り向かない。
外見としてクールでファッショナブルでモテモテでいなければいけない。
コンテンツではなくアピアランスなのだ!オーソリティなのだ!コンフィデンシャルさも重要である!
見るがいいこの黒々と生い茂って、ときどきカタカナ語で色味付けがされている、一見するとおもしろそうにない我が文章を。マグロやタマゴばかりでなくイカやヒラメも食ってみろ。
シンプルな文を作りあげるのに時間を要することが憎い。そして可能なまでにシンプルにしたほとんど芸術とでも言えよう我が作品をなんの変哲もないゴミのように扱うそのさま、憤怒で死にそうになる。
貴様ら恥を知ってくれ。なぜ自分の文章が読まれないのか。それはこの俺が悪いのではない。俺はAIとともに生きる。カス地球人野郎どもめ。ファックユー、リードミー。
リズムはいいし文章はむしろ読みやすいけど、比喩が独特過ぎて「どういうこと?」ってなる。