情報の宝庫でありなんでもすぐに調べられるのが当たり前になった
さらにAIの進化で対話型で頭に入りやすく情報が整理されるようになり、ますますネットはなくてはならないものになってきている
ただ、興味のあることに関してはどんどん深掘りできる反面、興味のないことについて圧倒的に知らない事も増えた気がする
といったところが主な情報源だった
専門的な書籍や専攻がある学校などは別として、テレビや雑誌は今思えば「興味のないこと」を知る機会が多かったんだなと感じる
自分が見たいものを選んで見てるのは変わらないけど、関係ないものを見る機会もネットに比べてずっと多かった
ネット主体になると広告なども個人向けに選抜された広告が表示されるし、今はまだ精度が高くないけど今後どんどん狭いスポットに向けた広告が作られていくんだろうと思う
それはつまり、ますます自分にとって興味がない事について知る機会が減るということでもある
興味がないんだから知る必要がない、合理的でいいじゃないかといえばそれもそうで、例えば自分の場合仕事に関してはノイズが減って良い事が多いかもしれない
一方でプライベートでいえばそうとも言い切れない気分がある
Twitterで自分好みのTLを作る、ニュースソースも厳選する、なんでもかんでも自分用にカスタマイズできるし、取捨選択ができる
自分で選べるというのは素晴らしいことなんだが、あまりに無駄がなくて息が詰まるようなところがあるのだ
改めて考えてみると、知らない事はほんとに全然知らなくなっていってるのだ
ネットだけ見てると、知らない世界の情報もちらちら目には入ってくる
でもそれらの情報ってけっこう入り口からして濃度が高くて、脳がシャットアウトしてしまう感覚もある
その事柄、ジャンルに興味のある人達の「濃い情報」がいきなり目に入ってくるからだ
こうなるといやーなんかめんどくさそうが先に立ってあんまり近寄りたくなくなったりもする
みんなそれぞれ興味のあることだけ縦に掘り続けていって、すぐ横に同じように別のことで深く掘ってる人がいる、例えるならそんな世界をイメージしている