娯楽のための表現物(映像作品・マンガ・小説その他)の表現規制に対しては、殆ど例外なく反対するけれども、逆に報道の自由に対しては「メディアスクラムを許すな」みたいなノリで、制限されるのは公共の利益のために当然、って言いそうな気がするんだけど、実際の所はどうなんだろうな。
俺も表現の自由戦士だが、報道の自由はむしろ娯楽作品のそれよりも強く守られている必要があるとは思ってる。
ただ、メディアスクラムに代表される様な「俺達マスコミは社会的要請の下に仕事をしているのだから、取材対象側の受忍義務は大きいに決まっている。 メディアスクラムなどと騒ぎ立てる連中は報道の自由を犯している!」みたいな了見はやはり許せないし、そういう「我々は特権を持つ」と内心では考えてる連中の正義もおよそ信用できない。
だが、被取材側に受任すべき程度はある事、その部分の調整のもとでなるべく充実した取材が出来ることも大事であるから、相互にぶつかる権利の調整として「報道はどこまで被取材者の人権を侵害し得るか」のラインは公に決められているべきだと思うのである。
まあ、マスコミは「そんな事は長い報道の歴史で業界ルールとして固まっている。だから素人は……」と言い出すに決まってて、だから俺はマスコミの連中は全員クズだし、人間として信頼できるものなど一人も居ない、クズのやってるゴミ商売だと思っているが、マスコミという事業が民主主義社会にとって不可欠で重要であることは否定できないから頭が痛いのである。 ウンコは臭いし汚いが、それを排泄しないと人は死んでしまうのである。