(続き)たとえは不適切だったけど日常経験の中では確かに仮説の仮説を重ねてるというものはあるわけで…。
そういう可能性がある。それならある人はこうする可能性が高い。そのときあいつは前もそうだったしああするだろう、みたいな…。
もちろんどんな憶測も許されるような井戸端会議じゃなくてテレビの政治の専門家が政治家の今後を発言するみたいなときね。
そうじゃなくて逆に仮説に仮説を重ねていい境界はなんだろうってこと。
どういうときは仮説に仮説を重ねていいのか自律的に判断できるようになりたいというか、周りを見て判断するという今の段階から一歩抜け出したい。
あれ、昨日はもうちょっと言いたいことに肉薄していた気の利いた文が思い浮かんでたはずなんだけど…今書いてることを読み返してもほとんどしっくり来ないわ。
だめもとで吐き出してるという感じだけどまあ仕方がない。
一回の判断につき数分の猶予しかないようなリアルタイムに環境が変化するサバイバルの状況ではむしろ「仮説に仮説を重ねる」よりはもうちょっと蓋然性の高い意思決定法を無意識のうちのとってるような気はする。
熊が迫っているからと4mの崖から飛び降りても「骨折で済み死ななくても『不思議ではない』」ということで崖と飛び降りてしまうことは軽率であり、あまりとられない選択だろう
もうちょっと証明されているような熊の生態を利用した危機回避行動を咄嗟にとるんじゃないか?(正面向きながら後ろは崖なのでかにさん歩きするみたいな)
今日ワイドショーの軍事アナリストとかの話で 「弾頭の重さによるが射程が1万5000kmを越えている可能性がある。その場合はワシントンも射程に入る可能性がある。」 みたいな話してて...
(続き)まあ「~の可能性がある」と「~であっても不思議ではない」とは微妙に異なってるから同列にできるものではないとも思うわ。 おれはこの違いも分からん高卒だが、そもそも高...
(続き)たとえは不適切だったけど日常経験の中では確かに仮説の仮説を重ねてるというものはあるわけで…。 そういう可能性がある。それならある人はこうする可能性が高い。そのとき...
二段目の仮説の信憑性は一段目を超えないから分ける意味がなくなるというだけで 別に使っちゃだめということはない 「ワシントンまで入る15000kmの射程を持つ可能性がある」と書けば...
逆に相手の主張を二つに分けて仮説を根拠にした仮説だと批判する詭弁も成立するわけか。 まあ詭弁だし藁人形論法だよな anond:20220325180206 anond:20220325175918