2022-02-15

どんなに常識を辨えているように見えるフェミニストでも

あらゆる女性はあらゆる男性に、歴史的女性が受けてきた不利益迫害に対して復讐権利があるのだ、って感情が牢固としてあるんだなと思う。

歴史的女性差別存在やその悪は民主主義人権主義に照らして自明であるから、そこに依拠して「今の自分の過ちや誤解」を全部それで相殺して批判無効化しようとする。

 

頭が悪いと「ネトフェミ」がそうである様に、剥き出しの表現でしばしば理不尽憎悪が叩きつけられ、賢いフェミニストだと表現が婉曲になって悪意の指摘が難しくなる。

男の方もまた、頭が悪いやつはわかりやすミソジニストインセルになり、賢いやつは内なるミソジニーを隠しつつ「女性による復讐」の反人権性を全力で叩く、みたいになる。

燃え広がった革命復讐感情と切り離せないように、フェミニズムもまたあらゆる男性に対する復讐感情から切り離せず、出来ることは「民主主義限界ゴールライン)をどこまで動かすことが出来るか」って勝負になってきているのではないかと思う。 例えば、前提条件がなければ差別しかならない施策でも、アファーマティブアクションである認定されればそれが可能となる、という様な闘争方針だ。

 

どこまで行ってもフェミニズムは、両性の権利平等化を追求すると言うだけでなく、虐げられてきた女性による男性に対する復讐であるという側面を切り離せず、「どこまで復讐できるか」の線で全ての男性との永久戦争を戦う宿命にあると思う。 少なくとも個々の女性が「屈辱を覚えている限り」は。

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