2021-11-17

マツコ会議Creepy Nuts

Creepy Nutsをとりあげたマツコ会議見て泣いてしまった。

GROOVE LINE で初めて「たりないふたり」を聞いて衝撃を受けてから、あれよあれよという間に大きな存在になってしまった。すごいなぁと思いつつ、やはりテレビは怖いと思った。

日本HIPHOPを広めるために現在テレビメディアを使うなら、華麗な技術応酬というエンタメにするしかなかったというテレビのものの有り様の話でテレビ批判だったのだが、それをテレビでやったために大切に言葉を尽くすべき部分を編集され、涙がクローズアップされエンタメになってしまった。

ミソジニーに触れながら、成功をおさめた30代男性が泣き出し、ボス母親存在の年上男性かわいいと慰められるという「図」になってしまって、それがテレビダメなところだぞ、と。

しかも、「力」をもった人間言葉制限されたなかでどう表現するのかという現在とても重要論点提示されたにも関わらず、「勝者」同士にしか理解できない苦悩を分かち合う涙で「まとめ」られてしまった。

あの場でどこまで語られたかは分からないが、テレビ業界で戦って「勝っている」人の苦悩にクローズアップする編集がされてしまい、やはり涙が切り売りされ消費されてしまったのだ。

Creepy Nuts への批判でもマツコへの批判でもない。

マツコの言うように、テレビ限界なのだろう。

マツコの知らない世界」も好きだが、テーマの内容よりもゲストキャラクターに焦点が当たってしまいがち。

一番興味深いのは人間であるのは確かなのだが。

切り取り加工し編集して魅せて、それを気取られずに見てる側を感動させるのがテレビ魔法

何が切り捨てられ、盛られ、焦点を当てられなかったものは何か、他に語られるべきものはなかったのかというテレビ批判テレビでやって、DJ松永テレビで伝えたかったHIPHOP文化については伝わりきらなかった。

伝わったのは、マツコもCreepy Nutsわたしたちの知りえない苦労をしているんだな、ということ。

まさにマツコのパンチライン

「伝わるのは熱量だけ」

だった

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