何度かこの内容のトラバをしてみた上で改めて考えてみたが、やはり結論は変わらなかった
もちろん森の発言は論外だと俺も思うし、辞めるべきだとも思う
しかしそこで今更「五輪精神」なんぞ持ち出されたところで、ただただ空しいばかりである
さらに言うなら2022年には再びそれが確かめられる予定だからである
はっきり言おう
北京で夏冬2回もやっておいて、今更五輪精神もクソもあるかボケが!
ソチに至ってはウクライナの件で、平和の祭典という建前すらも大概疑わしい代物となってしまった
しかし商業主義にどっぷり浸かった身の悲しさ、現実のあれやこれやには全く無力どころか、もはやまともな抵抗すら見られないという惨状である
言っておくが、もちろん日本も同罪だ
チベット問題は2008年当時からもう言われてて抗議の声もそれなりにあったし
アンサイクロペディアでは「エクストリーム聖火リレー」という、今から思えばしょうもないネタが盛り上がったりもした
しかし日本政府も含めて、結局は皆沈黙のうちに荷担したのである
そしてもちろん国民も、いざ大会が始まってみればいつものようにメダルの数で盛り上がるばかりで、何の関心も持たなかった
彼らの大多数は、香港やチベットやウイグルの一体何がヤバいのか、そもそもまともに理解すらしていないのかもしれない
そしてコロナで先行きは不透明だが、2022年には全く同じことが繰り返される見込みというわけだ
他人の人権のために自分の利権や娯楽を差し出せる者など、おそらくごく少数しかいないだろう
どこかで誰かが死ぬ思いしようが、イベントがなくなることの方がよほど我が身にとっては深刻というわけだ
ジェノサイド認定などしてみたところで、商業主義と「政治の犠牲になるかわいそうなアスリート」というわかりやすい図式の前には、ボイコットすら盛り上がりそうにない
だいたい今言われてる男女平等にしたって、それこそ中東やインドで五輪をやるとなったら、どうせしれっと見なかったことにされるのではないだろうか?
リベラルの皆様は、日頃人権に関心のない輩がチベットやウイグルの問題を持ち出してくることが、大変に我慢ならないそうだ
しかしオリンピズムこそそれと同じで、「日頃どうでもいい扱いをしていたものを都合よく引っ張り出してきた」ようにしか思えないのである