特に話すときに勘違いが起きないように、物事を曖昧に話さない必要がある。
妻は、僕に話すときに理路整然と話すことができないので、曖昧な話から意図を汲み取らなければならない。
だが、すり合わせをする作業は妻にとってはかなり心理的な負担が大きいので、ある程度僕の独断で強引な理解をしなければならない
具体的には、気分がイライラモードにはいっているときに、僕はご飯を先に食べるか風呂に入るかを決めなければならない。
妻は物事の順序が自分の中で決まっていて、それを一日のはじめに脳内で予行練習をしている。
それに沿ってやらなければならない。僕は妻の脳内が見えないので、すり合わせをする必要があるが、ただでさえすり合わせは負担が大きいのにイライラモードのときにはもっと致命的に負担が大きいのでそれはできない。
失敗したら怒られるか塞ぎ込むかのどちらかだ。
こういう初見殺しみたいな性格は、実は妻の人生において今まで接してきた中で一番苦手なタイプだという。
それは当然だ。
曖昧な話は聞けないしすり合わせもできないタイプに、バンバン自分の感情を押し付けるタイプは合わない。
じゃあ、僕が妻と同じようなタイプの人間だったらどうなんだと、自分が人に求めることは当然自分もできなければならないと思わないでもない。
妻は人の顔色を伺って行動をすることができない。
だから顔色を伺わなければならない妻の性格と合わないのは必然だ。
自分がやられたら嫌なことは人にやってはならぬという話だ。
でも、そんなの誰もが健康で気分も落ち着いている人ばかりの空間のみでしか成り立たない話だというのがわかってきた。
自分がやられて嫌なことを他人にしてしまうかもしれないし、そうせざるを得ないタイプの人もいる。
損得の関係で見たらバランスが悪いなとも思うんだけど、人間ってのはそうじゃないんだな
隣人を愛せということだろうか
多様性とかいわれるけど、でも「こういう場合はこうしなきゃならない」みたいな規範を求めがちだけど
自分がやられたら嫌なことは人になるべくやってはならないけれど、それを破ってしまう人がいたらなにか事情があるかもしれないから無闇に恨んだりしてはならぬぞ。
常識とは、18歳までに身に付けた偏見のコレクションである。 っていう感じの話ですね。わたしの常識とあなたの常識は異なっているという。細かいすり合わせをしていくと、見えてい...