2020-05-10

政治的な話をしないでほしいのは、お前がバカだと知りたくないか

僕はTwitterを主なSNSとして利用する。

Twitterではしばしば政治的話題が盛り上がる。

今日も #検察庁法改正案に抗議します が朝からずっとトレンド一位だ。

で、政治的発言話題になるたびに、もう一つ話題になることがある。

政治垢」「政治クラスタ」と呼ばれるように、はじめから政治的な討論をする為にアカウントを取っている人たちではなく、

なんらかの趣味の為のアカウントで突然政治的話題を出すことについて、だ。

当然そういった間柄は政治のためのつながりではないので、政治的話題が嫌いな人、興味がない人もいる。

それで「政治の話をするな」という派閥と、「自由にしゃべっていいだろ」という場外乱闘が始まるのだ。

個人的に、政治的な関心がある事は大変良い事だと思う。それについて話すことも。

だが、Twitter政治的な話はしない。

二つ理由がある。

一つ。

政治的な話をするのは好きだ。だがそれは「政治的な話をできる間柄の別の人間」とすればよいと思っている。

この政策どう思う?とか〇〇党の意見いいよねとか、そういうのが好きな友達と話せばいいと思っているので、そうしている。

それを趣味アカウントでやる事は、TPO観点から違うかなという判断だ。

もう一つ。

自分バカだとバレたくないからだ。

政治の話というのは難しい。国という大きな単位運営の話。結論ってそんなに簡単に出るものではないと思っている。

自分他人と討論しながら「それもそうだ」と意見を柔軟に変えていくものだと思っているからだ。

特に日頃から派閥を決めて活動している訳でもない以上は、自分の主張をいきなり結論付けてしまうことに一種の恐怖を感じるのだ。

ソースAでとても煽動的批判として描かれていた内容が、ソースBでは意外と穏やかで、ソースCでは肯定的で、ソースDはソースAの派手な報道批判したりする。

この時ソースAだけを見て反射反応するのは、他でもなく、バカだ。

自分バカになりたくないのだ。

誰かから「うわ、こいつあの記事だけ見て判断したのかよ。視野狭いし、情報リテラシーもないな……」と冷ややかな目で見られたくないのだ。

かといって後から「あの記事ダメだったんだね!主張変えるわ!」とかやった日には主張コッロコロで見るに堪えないことになる。

これがまさに、自分他人政治的な話を見たくない理由のものでもある。

「うわ、あの記事だけ見て判断したのか。視野狭いし、情報リテラシーもないな……しっかりした人だと思っていたのにこんな人だったなんてガッカリだ。」

なんて、趣味世界尊敬しているあなたに思いたくないのだ。

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