犬や猫に近づくにつれ頭の中のサイレンが大きくなる。僕は今まで一度も犬や猫を可愛いと思ったことがない。そもそも可愛いかどうかを考えたことがなかった。理由は単純で、人間じゃないから。見れば見る程、人間じゃない。「耳そこにあんの?」「顔面毛だらけじゃん」と、一度考え始めると止まらない。僕の基準では人間のフォルムが最も美しいものであり、それから少しでも外れたら、例えゴキブリであってもカラスであってもみな等しく、対象外になる。測定不能。可愛いかどうかを考える発想すら出てこない。そもそも、言葉を喋れる動物が人間だけって言うのがおかしい。人間でも、ずっと黙ったままで何を考えてるか分からない人は不気味なのに、人間以外の生き物がそんな真似をしたら、もうこっちは距離を取るしかない。尻尾で感情を表現するんだよと言われても、知らない。「喋れよ」って思う。全国の飼い主達に、本当に自分の飼ってる犬や猫の気持ちが分かるんですかと問いたい。もしかしたらエサを与えてる時も、心の中では「地べたに食いもん置いてんじゃねえよ汚えな」とか、「なんで俺が食うと"餌"で、お前らが食うと"飯"なんだよおかしいだろ」とか思ってるかもしれない。動物と心が通じ合える人は、アニメの中だけの話だし、もしリアルで会ったら、それはちょっとした宗教だと思う。死人に口無しと同じで、ただ単に自分の都合の良い解釈をしているだけなんじゃないかと思う。僕の考えでは、犬や猫を可愛いと言って首元をワシャワシャ出来る人は、余裕があるから出来るんだと思う。余裕があるから、ナチュラルに犬や猫は自分より下の生き物だと自覚しているから、首元をワシャワシャ出来るのだと。強者の余裕。絶対にペットとご主人様の立場が逆転しないという余裕。だからあんなに近い距離で触れ合えるんだと思う。僕は、映画「猿の惑星」を見た後に猿の赤ん坊を見ても素直に「可愛い」と言えない。犬や猫も一緒で、人間と違う生き物はみな平等に生きているんだなと思うし、野良猫を見かけた時は「頑張れ」と思う。「可愛い」なんて思ってしまったら、死ぬまで面倒を見なきゃいけないんじゃないかという義務感におそわれる。人間じゃないからこそ、見て見ぬ振りが出来る。僕が優しくするのは人間までだ。犬や猫は、結局、犬や猫だ。
そして愛着のわかない我が子をネグレクトするんですね