現代の日本には、自己責任という言葉が常識として浸透してしまっています。これは、自分の人生が大変なことになってしまった場合、誰にも頼ることはできず、自分の責任として泣き寝入りするしかないという概念です。
自宅の近くに保育所ができれば、騒音問題が生まれ、自宅付近の地価が下がる可能性があるでしょう。老後、老人ホームに入ろうとすれば、相当なお金がかかります。そのときに、自宅を売却してお金を作ろうとしても、地価が下がっていたら、困ってしまいます。
「日本の未来のためには、少しくらい我慢すべきだ」と言う人は、こうして困っている老人にお金をくれるのでしょうか。くれませんね。むしろ、自己責任ということで、こうした老人は無視されることになります。
誰だって、待機児童問題の解決が重要であることは理解できます。しかし、その解決のために、自分が犠牲になることは、自己責任が叫ばれる社会では、難しいのです。そもそも、日本人の過半数は、老後のための貯蓄が足りていない状況にあって、他者のことなど、気にかけていられません。
自己責任が強く求められる社会では、全体のために犠牲になる個人はいなくなります。杉並区の保育所問題が明らかにしたのは、地元住民がひどいということではなくて、自己責任が求められる社会の限界なのです。
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