2020-04-15

自己責任が、国を破壊する近未来杉並区保育所設置問題から見える未来

自己責任とは、全体のために犠牲になる個人がいなくなること

 

現代日本には、自己責任という言葉常識として浸透してしまっています。これは、自分人生が大変なことになってしまった場合、誰にも頼ることはできず、自分責任として泣き寝入りするしかないという概念です。

 

自宅の近くに保育所ができれば、騒音問題が生まれ、自宅付近地価が下がる可能性があるでしょう。老後、老人ホームに入ろうとすれば、相当なお金がかかります。そのときに、自宅を売却してお金を作ろうとしても、地価が下がっていたら、困ってしまます

 

日本未来のためには、少しくらい我慢すべきだ」と言う人は、こうして困っている老人にお金をくれるのでしょうか。くれませんね。むしろ自己責任ということで、こうした老人は無視されることになります

 

だって待機児童問題解決重要であることは理解できますしかし、その解決のために、自分犠牲になることは、自己責任が叫ばれる社会では、難しいのです。そもそも日本人の過半数は、老後のための貯蓄が足りていない状況にあって、他者ことなど、気にかけていられません。

 

自己責任が強く求められる社会では、全体のために犠牲になる個人はいなくなります杉並区保育所問題が明らかにしたのは、地元住民がひどいということではなくて、自己責任が求められる社会限界なのです。

https://kaigolab.com/money/13188

 

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん