友人と話していてもやついたことを書く。
友人の同業者の話を聞いていた。
その人は同業他社に転職したそうで、近況報告で愚痴を友人に言っていたそうな。
曰く、
と。
それに対して友人は、準備や掃除なんてやるのが当たり前なのにそんなこともできないんじゃやってけないんじゃない?
たいした腕もないのに当たり前のこともできないんじゃ上達もしないと思う、とぶっていた。
正直、不快だった。
友人自体は、きちんと将来を見据えて昔から計画をたて着実に技術を身につけていまがある人で、自尊と自負に溢れている。
頭もよく実力もあり、まぁ多少そのせいで他者に厳しく、たまに「言いかたよ…」とげんなりしたり、自分の言いたいことをべらべらしゃべってこっちの話はあんまり聞かないなぁと思うこともあるが、人として気持ちのよい人と思っており仲良くしている。
というかたまにぐだぐだ飲みに行く飲み仲間である。
つまり、言葉が過ぎるタイプであるということは理解していたうえで、わたしは不快だと感じたのである。
これがなぜなのか、ずっと考えていた。
べき論ふりかざして関係ないことあげて人格否定したからだなぁと思い至った。
詳しく書くと特定がこわいので書かないけれど、その常識は他業種からみたらちょっとそこまでふりかざすものじゃないよね、という気がしたのもある。
というかそのへんの事前準備は必要だけど、それって業務時間内にやるもんじゃないのか?という。業務の一部では?
そうやって時間外で何かをすることを強要していて、業界が傾いて人がいねぇとか言われてもそらそうだろ搾取が目に見えてるじゃん…と…。
まぁそれはいい、他業種からはわからないポイントがあるのだろうなと思う。
ただそれをやらないからって、そんなんだからやってけないし腕も上がらないとか言うのは違うだろーーー!!
それと!これとは!!別の話!!!
あるいは心構えの部分の話しか?
知らんけど。
少なくとも、そんなんだからあいつはダメみたいなことを言う権利はなくない?
根性論か?自分はそれでやって来たし、は尊重するけど、だからできない人はダメ、はわたしは納得できない。
思い至った、とか書いたけれどまだもやついてる。
友人がナチュラル他者下げしたのにショックを受けただけなのかもしれない。
今まで他者に対して言い方きっついと思ったことはあれど、わたしに対して言われたことはなかったからよけいにか?
思ってることはあるだろうけど言わないのは優しさかな。
難しい。