―――「投票しよう」。
投票日の21日、朝から晩まで僕のSNSは誰かが発したこの言葉で埋め尽くされていた。
タレント、知識人、学者はもちろんのこと、そうした有名人気取りの無名の人々も、いかに投票することが大事なのかをとうとうと書き込んでいた。
「投票しよう」よりも前に言うべき最も大切なこと、それは「他人の意見に寛容であろう」なのだ。
あなたが正しくないと思ってることは、誰かにとっての正しいことだし、あなたが正しいと思っていることも、誰かにとっては正しくないということをみんなが忘れている。
SNSには「投票しよう」と同じくらいに、与党の政策に対する否定の言葉や、野党への罵詈雑言、はたまたどう見ても陰謀論が並んでいた。
どの投稿も「~に投票したら絶対にダメ」「~で日本の将来が心配」など、その選択をすることは悪であり、愚かであり、ゴミクズみたいな書かれ方がされていた。
果たして本当にそうなのか?安倍を支持するやつは悪人なのか?原発を廃止しようという人間は愚かなのか?消費税の増税に賛成するやつはゴミクズみたいな存在なのか。
絶対に違う。ある選択をした人には、その人なりの「正しさ」がある。
その正しさを認めた上で、自らの意見との違いを話すことが大前提なんじゃないか。
他人の意見に寛容になれないのであれば、僕は政治に興味を持ってはいけないと思っている。