2019-07-18

京アニ放火について思うこと

今日10時半頃に京アニスタジオに男が立ち入り、ガソリンを撒いて放火した。

ガソリンに引火し急激に燃え広がった炎は3階建ての建物を全焼させた。

22時現在消防の発表で33人の死亡が確認され、重軽傷者は36名とのこと。

酷い事件だと思う。考えさせられる。心が痛む。

ネット上でも各方面から様々な反応が起こっている。

公式的な機関人物から無事を祈る声明が発表されたり、

個人からは悲しいだとか、つらいだとか、感情的な反応や

犯人に対して叱責を浴びせる反応もある。

こういった事件を目の当たりにして思うのは、

人間の愚かさと、無力さと、無常さ。

人っていうのは、大抵は明日も生きているのが当たり前だと思って生きている。

こういう事件が起こると、それは実は幻想なのだと思い知らされる。

人為的しろそうでないにしろ、決して明日この身が生を有しているとは限らないんだ。

亡くなった人は、死なないために何ができた?

おそらくは、何もできなかっただろう。

私達は死ぬときは本当に無力だ。

運命がそうさせた、と思うしかないぐらい、何もできない。

何の脈絡もないまま死ぬ

私達が生まれた事自体合理的理由がないように

死にも合理的理由がない。

まれたか死ぬ

そういう生を生きているんだ。

私達全員が。

人っていうのは、生きているうちは何か失敗しても取り戻せるような気がしてしまものだけど

本来、今のこの時間は決して取り戻すことができない。そういう時間を生きている。

人は簡単死ぬ

人は死んでしまうと、もう戻ってこない。

どんなに生きたくても死んでしま生命がある。

そういう真理を、改めてただただ受け止めて、自分に照らし合わせること。

自分が生きていることを、もう一度改めて認識し直すこと。

本当に自分がやるべき事をやっているか、考え直すこと。

個人としてこういった事件に際して、唯一できることだと思う。

犯人を裁くのは法廷の役目であり、私個人の役目ではないし、

そして悲しもうが寄付しようが何をしようが、亡くなった方々にはもう何の力も及ばない。

別に悲しむ事が悪いとかではない。

悲しむことが今必要なら、悲しめば良いと思う。

だって、いつ死ぬかわからない。

でも、奇跡的に今、生きようなんて思わなくても実際生きていて、

ある場所では生きたくても生きられなかった命があって。

から、今を怠らずに、精進して生きなければいけないと思う。

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