「人が何に怒るか」はスカラー量では表せないんだ
【実録】Twitter民が「ポケモンGOの記事」にイチャモンをつけてきた / 徹底的に戦ってわかった「クレーマー5つの特徴」 | ロケットニュース24
https://rocketnews24.com/2019/07/15/1235582/
のブコメ
いや、そうじゃないでしょ。
=====
確かに反論することを決めた後の論理的になりきれてない対応や、自分冷静ですよアピールは不快だった。
でも「複垢疑惑を持たれてキレること」そのものを批判するのは違うぞ
筆者も普段はどんな暴言でもスルーできるが、ポケGOプレイヤーとして侮辱されることには敏感なのかもしれないだろ。「複垢疑惑を投げつける」ことはポケGOプレイヤー、あるいは筆者にとって最高ランクの侮辱かもしれないだろ。
自分が怒らない事柄に人が怒っているからといって「あいつはキレやすい。俺のほうがおおらか」と思うのは浅はかだと自覚しろ
そしてそんな雑な思考の原因の一つが「怒りの沸点」とかいうクソ概念だ。
もしかしたらこの言葉を産んだ人々にはこんな意図はなかったのかも知れないけど、現代の我々には少なからず「人がどんな行動をどれくらい不快に感じるのかはだいたい決まっていて、一つの直線上に並べられる」と思ってこの言葉を使っている人がいるらしい。
そんなわけないことくらい、少し考えればわかるよなあ?
極端な話「殴られるより冷蔵庫のプリンを勝手に食べられる方が不快」と感じる人がいたとして、それ自体はなんら批判されるべきことじゃないんだよ。それが自分のスルー可能な量を大きく超えているのなら、プリンを食べた人につっかかりに行ってもいい。つっかかり方次第では批判されるかもしれないけど、それはまた別の問題
人は何に悲しんでもいいし、何に笑ってもいいし、何に怒ってもいいんだよ。
---
やっぱ概念的には沸点より地雷だよな。