初期の頃はよくありがちな被害妄想や車での徘徊が多く、身体が元気なので家族の負担が大きかった。車は懇意にしている整備士さんに協力してもらい、こっそりと物理的に破壊した。免許を取り上げてもなんの意味無いから。
中期になると家中を徘徊するBOTと化した。台所でタバコを吸い、トイレに入り、洗面所で手を洗い、顔を洗い、目薬をさし、ベッドに戻り、またタバコを吸いに台所を目指す。この一連の流れを一生ループしていた。夜中とか関係ないし、蛇口は捻りっぱなしだし、タバコや目薬は速攻で無くなるし金が非常にかかった。
そしてちょうど1年前、山奥にある精神病院の認知症病棟に入れてもらえた。認知症病棟は2つあり、(パワー系や徘徊系の病棟)と(植物系の病棟)がある。うちの祖父は後者。
今は目も耳も不自由なので、もはやコミュニケーションは取れない。ただ時々、あることばを発する時がある。「ありがとう」だ。
肩をトントンと叩いたり、手をさすったりすると言うのだ。ありがとう、ありがとう、と。
祖父は頑固な性格で、俺とは衝突しがちだった。俺には父親がいなかったので、男らしさを見せることにこだわりがあったらしく、とりわけ俺に対しては厳しく頑固だった。
掴み合い殴り合いの喧嘩もした。恥ずかしながら俺は24歳の頃に当時70後半の祖父に挑んでボコられたことがあり、以降ビビって挑まなくなった。そうして俺は勝てないまま、祖父は祖父じゃなくなってしまった。
そんな頑固で、腕っぷしが強くて、俺をボコっていた、あの祖父が。車椅子に乗り、くそまずいおかゆ?みたいなワケワカラン食事をとり、ありがとうしか言わなくなった。
この前の週末も、病院でくそまずそうな色つきの豆腐みたいなやつをスプーンで食べさせていたら、案の定言いやがった、「ありがとう」と。
礼なんて言わないでくれよ。ごめんな、こんなまずそうなもん食わせてしまって。ありがとうを言いたいのはこっちの方なんだけどな。もう言ってもわかんねえか…でも、ありがとう、ありがとうな、じいちゃん