「これをやってもらうといくらですか?」
なにかを店にお願いするときに、お客さんが値段を聞くのは、言質を取って安心したいのである。
だから確認をする。確認しないで、請求に驚くのは自分に落ち度があるとされるからだ。
そして、お客さんは「そもそもプロなんだから、そのぐらいわかるだろ、わかるのが当然で、やってみないとわからないですねというのは逃げにしか聞こえない」という。
金を払って依頼するかどうかは、まず値段を聞かせてもらわなければ判断がつかないというわけだ。
しかし、店側も下手に答えるとまずい。
店側としては、金額を伝えてから作業をして、それが割に合わなかったとしてもそれ以上請求できない。
そこでやや高めに伝える。簡単にできたらラッキー、手こずっても諦められる金額だ。
だが、これはあくまでも、それなりに数をこなせた場合の話であって、仕事の総和が少なければ、あるいは損をした額が大きいと、取り戻すことは難しい。
金の使い道がある程度決まっていると、金額によっては頼めないこともあるだろう。
それはわかるが、なるべく安いところにお願いしたい。ただ、それだけの人には店側としてはきて欲しくない。その人に使う時間を「いいお客さん」のために使いたいからだ。
予算が決まっているとか、実は金がないなどなら、事情に合わせた提案ができる。
また、依頼する気もないのに興味本位で何案も見積りとったり、相見積もりとってバックれる人間が一定数いるだけで、店側も牽制するようになり、その結果、お客さん側も気分が悪い対応を受けることになる。
このような問題を解決することにエネルギーを使っている場合ではない。時間は有限なのだ。
私自身が客の立場だと、愛車の車検を行きつけの工場にお願いするときに特に見積もりはとらない。だから、車検が上がり、請求書が届いたときに初めて額を知ることになる。もちろん修理が必要なときには連絡がきて、大体の見積りを伝えてくれる。
古くて面倒な車なのも分かっているから、この金額がかかるのなら実際にそうなのだろうと思っているので支払う。
店もお客も対等に、お互いを尊重しつつも、自分の主張をしあえる関係、つまり信頼関係が結ばれていれば、このように煩わしさを感じずに見積りができる。
お客も店を選び、店もお客を選ぶというのはこういうことではないだろうか。