どっちが好きかという話
学力、運動、外見、行動について、あれだけ比較される時期は人生で他にない
努力は皆多かれ少なかれしてるんだ
だから、学生は理不尽な、あるいは理不尽でなくとも現実を突きつけられるような自尊心との喪失と戦わなければならない
翻って社会人の良いところは、それぞれ少しずつ別の仕事をしているところだ
全く同じ存在、しかも年齢まで同じな者が一箇所に居るというのはあまり存在しない
例え仕事仲間が自分より優秀でも、逆に劣っていても、お互いの得意分野ではそこそこ戦える状況になる
例えば、月あたりの生産高が500で、社内の順位が100人中90位、1位の生産高が1000だったとする
これはとても悔しいけど、500分の給料を貰うと考えると納得ができる
500というのはある程度絶対的な値なんだ
これが学生だとこうならない
テストの点数が500点で、学年の順位が100人中90位、1位の点数が1000点だったとする
500点というのに意味が生じない、あくまで90位という相対位置だけが重要視される
また、90位じゃなくて例えば10位でもそれほど嬉しさがない
実際、中学生の時に150位/250人から20位/250人に上がったことがあるが、嬉しいのは1ヶ月だけで
あとは「上の19人に比べてどうか」「前回より良かったか悪かったか」という相対的発想にしかなれなかった
集団生活の秩序という名目のもと、一部以外は全て同じであることを求められる
すると、どうしても皆残りの違いに注目せざるを得ない(学力、運動、顔立ち、体格、性格、行動)