2017-11-12

骨髄バンクの思い出

もう10年以上も前のことだが、一度だけ、ドナー候補になったことがある。

通知が来たときはとても驚いた。

そして、しばらく経ってからドナーに選ばれたら、なんとしても提供しなければという

使命感というか熱意のようなものが湧き上がってきたことを覚えている。

登録の時には説明を受けていたので、家族同意必要なこと、5日ほど休む必要があることは知っていた。

早速、家族候補になったことを連絡し、職場上司にも事情説明した。

最大の問題は、家族の説得だが、これは正式ドナーに選ばれたら何とかしようと考えていた。

それから、程なくしてドナー候補としての説明をするので指定病院に来てほしいという連絡が手紙で来た。

指定病院に行くと、骨髄バンク担当者(コーディネーターというのだろうか)と説明担当する医師に会った。

そこで、どんなことを話されたかは、もうよく覚えていない。

自分以外に4人候補者がいること

ドナーにならなかった場合検査のために提供した血液検査結果は資料として保存することに同意してほしい。

こんなことくらいしか覚えていない。

あと、やたらと全身麻酔危険性を話されたことを覚えている。

その他の話の内容とよく覚えていない。

しかし、話を聞いているうちに、自分の骨髄提供意志萎えていくの感じていた。

何と言うか、医師骨髄バンク担当者の話し全体の雰囲気が、要約すると

私たち別にあなた提供してもらわなくてもよいのですよ。

たまたまあなた候補になったので仕事として説明しているだけです。

のように感じられたのだ。

もちろん、これは俺の主観であり、医師担当者の方には、そんな気はなかったのかもしれない。

しかし、俺には、彼らからドナーになってほしいという熱意というか雰囲気が感じられなかった。

これが、俺の意志萎え理由だ。

俺が話したことで覚えているのは、レシピエントとの手紙のやり取りの話が出たときのことだ。

レシピエントから手紙は要らない、こちから手紙を出す気はないと言った。

理由は、もしもドナーとなって骨髄を提供した後に、レシピエントから手紙が来なかったらかなりヘコむと思ったからだ。

自分からレシピエントに出さないと言ったのは、何を書いてよいのか分からなかったのと、上から目線傲慢な内容なって、レシピエントに負い目を感じさせるのではないかと思ったからだ。

それから、また暫くして、ドナーが別の人に決まったので、俺のコーディネートが終了したという連絡が来た。

自分以外に4人候補者がいたので、自分ドナーから外れる可能性が高いことと思っていたので、とくに残念だったとか、悔しいという感情も湧かなかった。

ただ、あぁ、終わったなと思っただけだった。

その後、ドナー候補になることは無かった。

候補になってから、5年後、ドナー登録を取り消した。

自分のほかに4人、同等の提供候補者がいるのなら、別に自分ドナー登録を取り消しても影響は無いだろうという考えと、5年間、連絡が来なかったのだから、今後、連絡がくる可能性は低いだろうと思ったからだ。

  • 医者も何か不備があった時に自分が責められる立場になりたくないんだろうな それでもヤリたいかって何か求道者みたいだな

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