こんなに月がきれいな晩にいうのも何だが、
何か物語があり、何かのカップリングがあると、すぐどいつもこいつも、
男「月がきれいですね」 女「死んでもいいわ」 ラブラブEND みたいな掌編マンガやドラマを書き始めるが、
あれはなんだ。
嫌いな理由①
「月がきれいですね」は漱石(が言ったことになってる)の気の利いたジョークであり、
その意味を汲めないやつが消費的に使っていること。
I Love Youをまんま和訳すると、当時の日本人には直接過ぎる。
だから「月がきれいですね」という当たり障りのない事を「そうですね」とやり取りすることで、
2人の気持ちは通じ合っていることを確認するから愛の告白なのだ。
「そうですね」とか「私もそう思います」だ。それで2人は見つめ合うーーーなら良い。いいじゃないか。
なのにさあ…なんなん…
嫌いな理由②
「月がきれいですね」と「死んでもいいわ」はまったくニュアンスが違うし、情の質も異なる。
なのにそれを無視して、無視して、ただ近代の文豪が言ったという権威に乗っかってキメラにして、
それでいてなお、ちょっと自分の作品を文学・詩的にしようとしてる姑息さが嫌いだ!
「死んでもいいわ」は二葉亭四迷がツルゲーネフの「片恋」を訳す際に用いた言葉だが、
(はい、もうこの時点で何人かは、「エッこれ漱石の言葉じゃないの!?」とか言ってるからな、ここで!)
ヒロインのアーシャが主人公に抱きしめられて返した言葉だ。唇が主人公の胸元に触れるか触れまいかの
アーシャは主人公に、片思いしてるわけ。そんな主人公に熱い抱擁をされて、
彼女はきっと、熱に浮かされたように頭に血が上り、緊張し、そして幸福の絶頂を味わったんだよ。
だ・か・ら・こ・そ、「死んでもいいわ…」なんて言うわけ。もう今の幸福を例えるなら、
死んでも惜しくないほど幸福だと。
分かる? 「死んでもいいわ」はなんなら、I Love Youやあなたを愛しています なんて生易しい沸点の言葉じゃないの。
これで「月がきれいですね」と「死んでもいいわ」の言葉の取り合わせがいいわけないよね?でしょ?
ほら。
ね、みんな嫌いになったでしょ?
分かりすぎる
読んでくれてありがとう。共感してくれて嬉しい。
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読んでくれてありがとう。 実例を、とのことで、何か著名なものを、と思ったのだけど申し訳ない、、 たぶん著名な作品で例はないや。 これを書いてる時に頭のなかで想定していた...