今更ながら、デジタル時代の絵描き(漫画書き)ってのは試練に晒されてるなあと思う。
アナログ時代、ペン入れで一番難しいことは、滑らかでヨレのない長い線を引くことだった。
デジタル時代はそんなの、ちょっと画面の倍率を調整すれば簡単に出来るようになった。
これは一例だが、デジタル化が普及するにつれて、かつて「こんなのを手で描いたんだよなあ」と尊敬を集めていたことが、今ではそれほど強い印象を残さないということが非常に多くなった。
職人として難しいことに挑戦する気概、「人間の手でそれを表現する」ことの達成感に価値がなくなったら、絵を描くということの意味はまだ残っているのだろうか。
これはただの、技術革新についていけなくなったロートルの困惑に過ぎないのか?
しかし、職人的、感覚的技巧を拠り所としない絵なんて、描いてて何が楽しいのだろう?
漫画は、それを描くことが喜びであるからこそ描く、という漫画家の手を離れて、ただのオペレーターの流れ作業になっていくのだろうか?
自分は、ゴールデンカムイのような、いかにもコミスタ(クリスタ)ですという自由すぎる描線は、汚くしか感じない。
この期に及んで、何故Gペンを模したツールを使っているのかわからないくらい、Gペンでは絶対に引けない線を引いている。
ペン画のニュアンスもへったくれもない線で豪快にアウトラインを取り、これまた如何にもデジタルでございというトーンの多用で画面の密度を作っている。
それはクリスタで作画するなら100%正解のやりかたなんだろうけど、これが次世代の漫画のスタンダードになるんだろうか?…と考えると…。
読者はそれでも、絵が綺麗だ、細かいと喜んでいる。
このまま、描線の美しさ、達者さなんて何の価値もない時代になってしまうのだろうか。
もしくは、そのレベルの「こだわり」が当たり前に表現出来るまで、「デバイス」の進化を待たなきゃいけないのか?
なんだか本末転倒な気がする。
昔も今も読者は線画の美しさには時間を割いていないのではないでしょうか? 時間をかけて書いたコマでも一瞬で読み進めてしまうとかなんとか。
なんだかんだいってどんなに便利な道具が出てきても敢えて道具を使わずにやるっていうことも一定の価値を持ち続けるんじゃないかと思う。 どんなに自動車や電車が発達してもジョギ...