「科学的とはどういうことか」を考えさせられますね〜。ぼくは「外から流れてくる数字や言説を信じず、まずは自分の体で試して、確認すること」が科学的だと思うかな。そこから探求が始まるわけですから。自分のことばで語れるようになります。
ただまぁ、それはどちらかといえば文系的・哲学的な態度なのかもしれない。ガチの理系方面の人って、「科学的であること」をどのように言語化するのか気になる。現代になって、また変わってきてるのかな。
より身近なレベルでは、「外から流れてくる数字や言説を信じず、まずは自分の体で試して、確認する人」は純粋に魅力的だとも思うかな。
「科学的」という言葉は、文系視点だろうと理系視点だろうと意味が大きく変わるわけがない。
しかし、彼は自身の認識する「科学的」なものを「文系、哲学」的なものだと考えている。
そして「理系」の人間が「どのように言語化するのか気になる」と書いている。
「ああ、理系の人は科学的なものをそのように解釈するのですね」
と、あくまでも「違う視点からの見解」「別の解釈」「一つの意見」ということにしてしまいたいのだ。
「理系」からの反論が予想できるのは、自分の間違いを知っているからに他ならない。
元来そういう性格なのか、現実を直視しないための逃避なのかは知らないが、彼らは簡単にポジティブワードに釣られてしまう。
あのツィートでは
という部分。
他の部分をスルーし、こういう言葉だけに釣られて「その通りですね」と同意を示す人は詐欺師の格好のターゲットになってしまうのだ。