東日本大震災の被災3県のひとつで生まれ育ち、今もそこで暮らしている。
予備知識なしで8月6日に観て、衝撃を受けた。
その後ネットを徘徊してさまざまな感想や批評を読み、膝を打つやらウロコが落ちるやらして今日また観てきた。
2回目のいちばんの目的は、最後のシーンの尻尾を確認することだった。
初めて観たときには、そこまでに観たものに呆然としてしまって、あの尻尾の造形に気づかなかったのだ。
そして、2回目の思わぬ新発見もあった。
それは私の心の中で見つかった。
例の火炎からビームのところで、我知らず、「やれ」と思っていた。
やっちまえ。東京をめちゃくちゃにしてやれ。
あのボートやらクルマやらが津波のメタファーだということは初見でわかった。そうとしか見えない。
震災直後(とはいえネット環境が復活してからだが)は、YouTubeに上がった津波の映像を繰り返し見た。
見るたびに身体が硬直し心拍数が上がったが、取り憑かれたように繰り返し見た。
それがこの映画で娯楽の一形態として観れるということに、何かしらの典型的な効果はある。
おそろしいものを踊りや装束や物語にすることで、ひとはそれを消化してきた。
もうひとつの効果が、東京に対する復讐だと気付いたのが今回だ。
あの場面で私は、悲しみと怒りで胸が張り裂けそうになる。
原発再稼働を進める政権が君臨し、それを支持する人達が過半を占める東京。
各種指標が経済だと思い違い、生業(なりわい)を見つめるまなざしを失った東京。
それを、ゴジラよ、焼き尽くせ。
東京を、赦すな。
やっぱりご都合主義のヤシオリなんざ失敗して東京核攻撃、長谷川石原もチリに還る それでもなおやったか?やってない、でこその破壊神ゴジラだろ それができないのが庵野と日本の限...