自殺した若者達のルポ読んでるけど、全員に共通してるのが普通の家庭よりも親の愛が大きいんだけど、子供の汚い部分や本音に向き合おうとしない一方的な愛の押し付けになってて、今の社会と似てるなーって思った。愛情とか正義とか都合のいいもので、不都合なものにフタをしようとしてるとこ。
結局のところ、問題の大半は立場が上の人が「無謬性(自分が正しいと信じて疑わない状態)」のまま発言や命令を押し付けること。結果や立場がついてきたら人にああいう態度が取れるけど、偉くないと無謬性を聞き入れないといけないと錯覚する環境。無謬性を貫こうとしてる人間ほど排除できる方法ができた途端に日本は驚くほど良くなると思うけど、排除するという行為自体がまた無謬なんだよなぁ…。(他人に批判されないという意味で)神様になりたい人と、その神を排除できる強権的な神様を求める心は紙一重なんだよなぁ…。じゃあ、無謬性がどこから来てるかというと、宗教的なところでは目上の人が絶対だと言い張る「儒教」で、教育的なところで行くと「子宮から生まれたのがいつかだけで偉いかどうかが決まってしまう」という体育会系の「部活思想」なんだよなぁ…。日本の前時代的なところを中世揶揄する人もいるけど…。いや、「儒教」と言うのは多分言い過ぎで、厳密には「バカな年配者がが都合よく解釈して教えこんだのが根源であろう、本来の意味がかなり削ぎ落とされたエセ儒教」なんだよなぁ…。うん
ゴメン読む気しない