http://allabout.co.jp/newsdig/c/83419
山移 玲の駄文を信じて疑わない人間は以下のページを読むといい。抜粋しておく。
http://tspsycho.k-server.org/ent/ent043.html
本当に優しい人は、「我慢してあなたのため」とされることをあまり快く思わないでしょう。
自分で頼んでもいないことを苦しい思いの中で「あなたのため」と言われてされたら、かえって困ってしまいます。
他方、人を踏みにじってでも自分の利益を得ようとする人ほど、「私は我慢して貴方のために」として差し出されたものを喜ぶことになります。
実際この「美徳」は、現代社会では悪徳商法でよく利用されてしまいます。
「こんなに時間をかけて説明したのに、どうしてくれるんだ!誠意を見せろ!」と脅すわけです。
「我慢が善」という感覚が身にしみついている人は、「しかたないか」と必要もないものに契約してしまうわけです。
真摯な宗教としての姿を失った日本道徳は、実はその実体は「愛情の強制」と言えるものになっているように思われます。
そしてその「強制」において、実は人を愛していません。
「~のためには~しなさい」という話の筋を失った情緒道徳は、実は、「私に気に入られたければ」「皆に嫌われたくなければ」と暗黙の中で脅していることになります。
子供は、親に愛されたいから、皆に愛されたいから、「良い子でいよう」と思うのです。
子供にとって、愛されることは生死にかかわるような重大なことなので、愛されるために親の言うことを何とか自分自身に取り込もうとするのです。
ところが、この「道徳的しつけ」が「~しなきゃ駄目でしょ!」という怒りを伴うにつれて、実際には子供を愛していないことの表現になってきます。
大人は「それも愛情だ」と言うかもしれません。それは大人の言葉の世界では通用するかも知れませんが、子供には通用しません。そして人間の心のメカニズムには通用しません。
子供は、親に愛されようと、必死になって親の言うことを聞こうとします。
しかしその親の言うことが、子供を愛していないということです。そして親の言う通りにしても、愛されません。そもそも愛が欠けているからです。