2015-04-25

ジャンル作品リアリティ

十年以上前、部屋に初めて水槽を置いた。40センチ水槽だった。

底に砂利を敷いて、ペットショップで買ってきた何種類かの水草を、

鉛スポンジで束ねたままの状態で砂利に植えた。外掛けフィルターを付けた。

メダカを飼う予定だったが、その前に本やネットで学んだ「水作り」をやろうと思って、

近所の池でヌマチチの子供を二、三匹捕まえてきて水槽に入ってもらった。

 

自分の部屋の机の上に水の空間があること、その中で魚たちが動き回っていること、

その異質感、非日常性にすごくわくわくした。魚の姿形の不思議さや美しさにも惹きこまれた。

さなヌマチチブたちが底を這っているだけの水槽を、暇さえあれば眺めていた。

 

ただ、水槽の非日常性にわくわくするのも、実際はほんの少しの間だけだ。

経験を重ね、知識が増えることで、アクアリウムの楽しみ方もどんどん変わってくる。

希少価値の高い魚が欲しくなったり、魚よりも水草のほうが好きになってきたり、

水草レイアウトのパーツとして魚を選ぶようになったり、様々な器具を試すのが楽しくなったり。

水槽の非日常性がもたらす興奮は、やはり初心者けが味わえるものだろう。

 

 

例えばアクアリウム世界を描いた小説映画があったとして、

アクア上級者”として登場した人物が、アクアリウムをやっている理由を聞かれた際に

自分の部屋に水の空間があるという非日常性にすごく興奮するんだよ」

などと答えてしまったら、その時点でその作品は失敗作となる。

他の部分でどれだけそれっぽい描写がなされたとしても、決してリカバリーできない。

こういうのは、「作品のけれん味を出すためにあえて」だとしてもやってはいけないレベルことなのだ。

特定ジャンルを描く作品は、そのジャンルについてのリアリティを守る責任がある。

それができないなら、ジャンル作品として紹介してはならない。

 

 

ヒカルの碁緒方九段アクアリスト(小中型魚と水草なのだが、アクアショップで店員に

「いつものエサを少し多めに」という頼み方をした。これはアクアリストからすると

自然なやり取りに見えてしまうが、ヒカルの碁囲碁漫画から、大した問題にはならない。

 

うろ覚えだが柴門ふみ漫画で、合コン女性陣をうんざりさせたAVマニアの男が、

「すげーんだよあのパンティーの色が!」みたいな台詞を吐いていた。

これも別にAV業界を描いた漫画ではないから問題にはならない。

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