2015-01-26

嘘は季節を冬にする

1

課長、お先に失礼します」

 

金曜日

書類から目を離し、おつかれさま、と

返事をしたとき彼女

すでにコート羽織り、

ドアを開けようとするところだった。

私の声に気付くと振り返り、もう一度、

失礼します、と笑顔を見せて、

急ぎ足に帰っていった。

 

机に目を戻しながら、

私は少しだけ頬を緩めた。

彼女はきっと、

15分前に帰った、向かいの席の後輩と、

いつものバーで、

将来を語らうに違いない。

 

会社近くでの逢瀬は、

誰に見られても構わないという

二人の意志が込められているようだ。

 

2

奴ら、結婚するのかな。

 

西へ向かう私鉄ロングシートに座り、

そんなことを思いながら、ふと

見上げた中吊り広告に揺れる、

不倫」の文字。

瞬間、暖かな気分に影が差した。

 

3

浮気してるのか!?」

私の問いに答える代わりに、あいつは、

彼女の家の合鍵をぶらつかせた。

「お前、あの子……奥さんに悪いと思わないのか?」

 

そうだ、あの子私たち大学2年の春、

二人で新入生を勧誘していたとき

あいつが熱心に口説いて、

半ば強引に入部させたのだ。

夏休みには付き合い始めて、

彼女卒業と同時に結婚

「何で勧誘したかって、一目ぼれしたからですよ」

披露宴でそう言って、皆を笑わせていた。

娘さんが生まれたのはその5年後だったか

「一度は子どもを諦めていた。

妻には本当に感謝してる」という言葉と、

頬に流れた涙は、今でも鮮明に覚えている。

結婚なんて……と斜に構えていた私が、

遅れること2年で独身貴族に別れを告げ、

息子を得て、家庭一筋で暮らしてきたのも、

あの涙を見たからだった。

 

そんな回想を、あいつの言葉が遮る。

「あ?バレなきゃいいんだよ、そんなもん。

言うだろ?『嘘も方便』って。

彼女の家から帰る途中で適当に買い物して、

いろいろ探し物してた~、って

言えばいいだけ」

そしてあいつは、口を歪めながら、

続けて言った。

「お前も一度浮気してみな。人生変わるぜ」

 

その言葉は、

私の心にしまっていた、

永遠の春の温もりを、踏みにじった。

 

4

中吊り広告は、私の思いなど

知らん顔して、まだ揺れていた。

 

あいつは春を謳歌する。

だが、そのためにつく嘘は、

花を枯らし、葉を枯らし、

秋風を冷やして、季節を冬にする。

 

5

課長お早うございます

 

月曜日

すでに着席していた私へあいさつすると、

彼女は、意味ありげな、

特別なほほえみを、後輩に向ける。

彼も、また、上気した表情でほほえみを返す。

そんな二人を見て、私はまた頬を緩めるのだ。

 

あいつの嘘が冬にするならば、

二人の真実は春をもたらすのだろう。

 

誰もいなくなった、夜の会社で、

こんな文章を書いている。

の子携帯番号は、

学生時代から変わっていない。

あいつの真実を告げるべきなのだろうか?

 

私の季節は揺れている。

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