http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20150123
いくら語り口をソフトにしても、ブログを書いて意見を発表するという行為自体は、「自分の理想を説く」宗教的行為と何ら変わりない。論理的に語っているから免罪されるというものじゃない。「宗教は、非論理だからNG、科学は合理だからOK」と思ってるのかもしれないけれど、「宗教を信じるな」という意見は、十分暴力的なものであり得るし、それは「多様性を尊重しよう」という主張にはならない。つまり、「理想社会なんて信じるのはやめましょう」的な合理教だって、暴力的行為に結びつく可能性はあるし、もっと言えば「暴力に訴えるのは止めましょう」教(=反(狭義の)テロリズム)だって、アメリカを見れば分かるように、十分暴力的な主張だ。
問題は、まさにその「ちきりん」的な、『テロリズム(暴力)というのは、非現実的・野蛮な何かであって、「反テロ」と言えば誰もが首肯するだろう』という思い込みじゃないのかね? 現実には、まだまだ暴力性(=(広義の)テロリズム)こそが思想実現のための有効な手段である、ということを認めた上で、一般に合理的で知的で論理的で洗練された…と自分自身思っている人が、自らの暴力性に対してもっと自覚的になることこそが重要なんじゃないかと思うよ。それは、たとえば、アメリカはもう少し謙虚になった方がいいんじゃね?という意見であり、同じ意味で、暴力について語るちきりん自身も、もう少し自らの暴力性に対して自覚的になるべき、という意見なんだけれどもね。いくら「テロに遭うかもしれなかった自らの被害者性」をしたり顔で語ったとしても、そこは免罪できないと思うよ。
まあ、このエントリ自身がそうであるように、「匿名での発信」というのは、自爆テロと同じく「弱者の暴力」だということは否定しないね。そして、増田や2chで発信する人間は、もちろんその暴力性に自覚的だよね? …と期待しつつ。