結婚してそろそろ一年経とうとしているので、主人との会話で「子供をどうするか」という話が出てきている。
私自身は20代後半で主人は私の一回り上なので、そろそろ考えないと育児のための資金をどのようにするかが問題になってくる。
普通なら「子供欲しいなら、作ろっかー」というノリで作れるのかもしれない。
しかし、私は一度適応障害で仕事を辞めたことがあるので、ストレスがかかってしまうことに対して二の足を踏んでしまう。
「成長を見るのも楽しいかもしれないな」
「これは私に耐えられるのだろうか?」
という不安にも襲われる。
「これで私が不妊だったらすっぱり諦められるのかな」
という考えにもなる。
病気になる前は、
という強い気持ちがあった。
だが、今はその気持ちが揺らいでしまって、
「子供は欲しいが、ちゃんと育てられるのだろうか…」
という風になってしまっている。
この様に思うようになったのは親のことを客観的に見られるようになったからかもしれない。
父親は子供から金を借りて呑みやパチンコに行っていたり、呑み屋のねーちゃんの連来保証人になってしまったりとあった。
「俺が死んだらこの家のローンはお前たちが払わないといけないんだ」
という風に事あるごと言っていた。
また、成人して帰省すると家政婦扱いをし、
「お前たちの教育ローンのせいで金が無い」
とばかり言ってくる。
このような扱いを受けてきたので、私は父親との関係は悪い。
母親は宗教に嵌っていたので幼少時はそれなりに連れ回されていたが、成長するに従いそれはなくなっていった。
そして、母親は、
「私はこの宗教に入っていなかったら、ヒステリーになって毎日当たり散らしていたわ」
と言っていた。
母親との関係は良好だったが、母親は私が成人する年に亡くなってしまった。
これらの要因があるため、里帰り出産はできない。
むしろ、したくない。
このように、クズとヒステリーのおぞましい血を引いている私が子供をのびのびと育てられるのかがわからなくて不安で不安で仕方が無くなる。
せっかく生まれてきた自分の子に対して、父母がやってきたことをやらないという絶対的確信が持てないのだ。
幸運だったのは、主人の実家はのびのびと仲良くやってきたご家族なので、主人の性格も無理をして壊れるぐらいなら無理をしなくて良いという感じで、のほほんとしている。
その主人ののほほんとしたところを影響してか、主人と一緒にいるときは心穏やかにのほほんと過ごせる。
子供を産んでも、今のように心穏やかに過ごせるのかがわからないという漠然とした不安がある。
しかし、年老いた時に子供がいてくれたら少しは寂しさが紛れるのだろうかという打算も正直に言うとある。
完全にどっちつかずになってしまっている。
おそらく、実際に育児に奮闘されている方が見られているのかもしれない。