2014-08-08

恋愛アニメファンタジー要素は必要ないのでは?

例えば、今期放送中の『グラスリップ』。未来が予知できる二人の少年少女がその仲間たちを介して様々な臨死体験を重ねて時かけよろしく未来を変えていくという内容(と筆者は思い込んでる)だが、筆者はカタストロフィー論に特に秀でてる訳でもないので割愛する。

で、何が言いたいのかと言うと、折角のファンタジー要素があんまり役立っていない上に清涼感が場全体を包み込んでるというのに

その設定だけが宙に浮いてしまっている。

甘酸っぱいといえば多少語弊はあるが、要するに恋愛というジャンルにおいてファンタジー要素は必要ないのでは?と思う事がある。

ここの会社の前作、西村純二監督でという意味において、『true tears』では、乃絵という少女がやはり電波であった事が実はあまり意味を為していなかった。

その上彼女別にシナリオ全体のキーパーソンでもなく、道先案内人という役柄でも誰かに当てつけるような恋のライバルであったわけでもない。

ただそこにいただけである

そのため、難解な譫言をペラペラ話す事に特に意味はない。

その意味から察するに、彼女自身ファンタジー要素なのではないかと時々思う事がある。

彼女主人公ともう一人のヒロインを繋げるキーパーソンとして存在していた訳ではないが、少なくとも主人公優柔不断な態度を改めさせる重要人物という地位にあったのかもしれない。

乃絵という少女は結局鶏と話す事が出来ると言ったり、また兄に主人公恋人候補を突いて貰う役割を担わせるだけに存在していた、引っ掻き回し担当だとするならば、グラスリップ未来予知もあながち必要ではないのかもしれない。

要はこのファンタジー要素も不必要ではない、何かを成し遂げるためにあえて不確定要素を残しておいたのではないだろうか。

少なくとも本編の主人公透子はこの未来予知に同じくそれを覗く事が出来る駆もそれによる繋がりを意識しているのだから恋愛アニメにおけるこのファンタジーはある一定の成果を齎すのかもしれない。

ただ、恋愛アニメ、つまり君に届け』とか『好きって言いなよ。』のような完全な青春ドラマにはこの要素は必要ないし今後も出て来る兆しはない。

恐らくそれが必要になるのは、恋愛に対してある一定共鳴共感を覚えるために必要な不確定のファクター作用する時だけであろう。

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