佐世保高1女子殺人事件では加害者の少女がこう供述しているという。
「人を殺してみたかった」と。
それに対して少なくない人が疑問を感じ、「興味本位で人を殺せる人間なんていない、きっと怨恨に違いない」という。
本当にそうだろうか。
思春期の少年少女の妄想として「人を殺してみたい」という感情は、本当に異常な感情なのだろうか。
自分語りになってしまうが、私は昔とある小動物を虐待し、衰弱死させてしまったことがある。
小動物とは言っても、いわゆるペットとして至ってメジャーな動物の子供だったのだが、私はその時この動物を虐めてみたいと思った。
近くに捨ててあった物干し竿のようなもので何回も頭や身体を殴り、最後には目を衝いて潰した。
私の周りには偶然誰もおらず、私を止める者は誰もいなかった。
そして夕方、あの子はどうなったろうとふと思い出して公園の隅の茂みを見に行った。
その子はまだ生きていた。そして、私の様子に気付いた友達も茂みに集まってきた。
駆けつけてきた私達の保護者は、誰がこんなことを…と言っていたが、目の前にいる私がそんな残虐なことをするはずがないとでも思ったのか、疑われることはなかった。
私は自分がそれをやった張本人だと言うことも忘れ、皆で餌をあげたらどうか提案した。
そして、その公園の滑り台の下に小さな段ボールの家を作り、しばらく回復を待とうということになった。
翌日、その子は死んでいた。怪我が原因による衰弱死かなにかだろう。
私は親づてにそのことを知り、残念だねと悲しんだ。
長くなってしまったが、このように何も知らない子供が大人から見ると異常とさえ映る残虐性を持つことは、決して珍しいことではない。
それを長い人生の過程で身につけた倫理観や他者への共感性などで徐々に徐々に押さえつけていくだけのことだ。
我々大人は、この子だけが特別だなどという甘い幻想を捨て、一歩間違えれば誰でも引き起こしかねない今回の事件を二度と起こさないよう、根本的かつ徹底的な倫理指導をしていくべきだと思う。
動機の供述なんていちばん信用できない部分なんだからそこから立論しちゃダメだよ。 どうせ「殺してみたかったんだろ!?(机ドン)」「うう…」「よし、『うん』って言ったな。供...