2013-06-21

らりっていこうぜ

鬱病のひとは、自己評価が低いのではなく、現実通りで正当に事故を評価しているのだそうだ。逆に、「平均的な人」は、「自分が平均以上だ」と思っているのだそうだ。つまるところ「生まれるなんて可哀想だから産みたくない」「現実問題リスクが大きくて産みたくない」はこの現実通りに評価しているビョーキなんじゃないだろうか。

生命存在なんてこの世のバグで、生きていないのが普通だ」と、作中の天才キャラに言わせたミステリSF?)作家がいたけれど。冷静に理知的論理的に考えてみれば、私という個人など生まれさせられてしまたから今もまだ生きているだけで、何か明るい未来を作る一員に成れているかというと、努力に見合った幸せを手にしてるかというと極めて怪しいし、この地球上の資源を浪費している以上のものをこの世に生み出してなんかいない。死への本能的な恐怖だけが意味のない毎日を続けさせている。

じゃあ、どうすればいいのかというと、もう我々はラリっちまうしかねえよ、これはもう。

まじめに考えたら、どうしたって暗くなるしさ、そういう「きちんと考えて正当に判断する」のはビョーキなんでしょ? じゃあもう馬鹿みたいだって、みっともなくったって恥ずかしくったって、自己評価を無根拠に高くして、「子供がいるって幸せだよ♪」という無根拠な説得(?)に、そっかーそうだよね素敵そう♪ って、無理矢理にも共感するしかないよ。

だって産みたくないのは、生きたくないのは、ビョーキなんだよ。それがきちんと考えた結果だとしても。ビョーキは直さなきゃ! 考えてみれば人類含むありとあらゆる生物種が絶滅していないのは、生きたいって子供欲しいって思ったからで、つまりさ、それが普通なんだよ。思えば私の父母は完璧育児をした完璧人間ではない。おかげさまで私は完璧人間ではないし、でもだから子供を作っちゃ駄目かっていったら、私くらいの不完全さならべっつにいけるんじゃない?

例えば白い紙に赤いライトを照らせば紙が赤くなるような、生命なんてそんなものだというような気がしている。月の周期で潮が満ちる。そういう感じで、生まれてそしてそのうち死ぬんだろうってふと思った。うまく言えないけれど。

そう結論が出たら少し楽になって、真面目に考えて鬱鬱とした結論しか出せないのがばかみたいになって、考えるのをやめてみた。

みっともなくったってもう少し調子乗ってばかみたいな判断をしていこう。それが健全なんだよ。せっかく今のところ生きているんだからね。らりらり。

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