2013-06-03

2年前に書いた日記が悲しい

2年前にgoogle documentに日記を書いていた。

感情いか一過性のものなのかがよく分かる。

今、見るとちょっと悲しい。

「臆病者は幸福さえも恐れるのです。」

と、誰かが言ったらしい。

  
  
正確な言葉は覚えてないし、誰が言ったかは興味がない。

けど、もしこの人がこの世に生きているなら、

“気持ちはわかるよ” って言ってあげたい。

「生きる事に意味なんてない。」

こっちは、僕なりの持論だ。
  
僕は今、29歳。一人暮らし東京で1R住まい。凡人だ。
  
  
  
昼間は正社員として、ソフトウェア開発の会社につとめる。

デジタルカメラ上で動く、画像処理するプログラムを書いている。

特に難しい仕事ではない。

だれでも、慣れればできる。

設計書がやってきて、その通りプログラムを書き、

テストして、不具合が出たらその都度修正する。

それを繰り返せば、デジタルカメラは出来上がる。

ワケない。

パン工場のライン作業とたいして変わらない。

体力的に少し楽で、ちょっと多めに誰かとおしゃべりするだけだ。
  
  
  
本当に意味のない人生を送ってきました。

本当にむなしい人生を送ってきました。

生きていてごめんなさい。

何度も人と心から接しようと努力しました。

何度も人間関係の面倒臭さに我慢しようとしました。

でも、だめでした。

そう、僕は何があってもむなしさを抱えてしま人間なんです。

いつもむなしさを感じてしまう。

誰といても、どんなにまわりが僕を慕っていたとしても。

好きになってくれたとしても。愛してくれたとしても。
  
  
生まれながらにしてそういう性格の奴はそういう奴なんだ。

僕は自分に言い聞かせる。決まっているんだ。

おまえに普通生き方なんて、出来っこない。

いつも、自分自分に声をかける。
  
  
キマッテイル。
    
   
その言葉地震速報テロップのように、僕の頭の中で浮かび続けている。

果して僕は、生まれてきてから本当に生きている事を実感した事があっただろうか。

一回くらいはあっただろう。いや、なかったのかもしれない。

もし、この先もこんな状態が続くのであれば

生きている意味なんてない。結局、同じ事を繰り返すだけなんだから毎日生きることに憧れながら、死んだように悩みながら、苦しみながら過ごすくらいなら、死んだ方がましだ。  
  
  
60まで生きよう、いやいや40までで十分だとか、お金がなかったら死のうとか

、生きるのが嫌になったらそこで終了とかそういうのは、もういい。

どうせ生きている意味なんてないんだから、

さっさと期限を決めてしまおう。
  
  
   
今日2011年9月2日 (金)

気分はそんなに悪くない。

いつも通り、生きる意味を考えている。

まるで、禅問答。仏の道には興味すらないのに。

ソーリー、ブッダしかし、いつまでも悩むのはもう嫌気がさしてきた。

結局、答えなんていつまでたっても出てこないし、

無駄に脳のエネルギーを消耗するだけなんだから今日からは、今までやらなかった事だけしよう。

今までやった事をしてもしょうがない。意味なんてなかったんだから。

何をしても、どこにもたどりつけなかったんだから。
  
  
これから4ヶ月で貯金を全部使い切る。全財産600万。

そして、
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
2012年1月1日 僕は死ぬ。  
  

 

2013年06月03 僕はまだ生きている。全財産は800万になった。

状況は何ひとつ変わってない。でも、あの死んでもいいって思ってから

4ヶ月間は生きている実感し、その中から幸福認識できた。

また、どうでもいいやからスタートして、生きてみよう。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん