日本人は時間の観念に優れていると言われてきた。時間管理のもっとも重要なのは体感時間の精度を高めることだよ。キミィ。かのナポレオンが時間意識と称したもの。
日本男児たるもの女性といんぐりもんぐりしてる間にも時間の観念を持たねばならない、と。つまりだ、ここで時計をこまめに見て予想時刻とのズレを算出するのだ。
いま7:28かなと思ったら7:28:50でした。誤差50秒。どんなもんだい。誤差が30秒以内なら10点、1分以内なら5点、3分以内なら1点、10分以内なら0点、それ以上ならマイナス3点。まず100点から。
いやはや我々が現実と思っているものは、仮構の現実、歪められた現実だったのだ。それはリアリティのワンノブゼムに過ぎないであるから個人や集団にとって最良の選択はいわんや世間一般で言う現実とは相容れない部分も少なくないのであるからして。
これまでの現実観念を抜本的に捨て去り現実そのものを再定義・再ルール(re-rule)せねばなるまい。これが我々の結論。
そして時間の観念を再構築する手っ取り早い手法がこれ。いま流行のゲーミフィケーション(gamificationゲーム化)。
時間の観念を形成する最大のメリットは期限を守れることにあるのではない。そんなものは副産物にすぎぬ。本当の効果は時間のつぶさな分割化にある。
「ゆっくり反省する」と我々は言うがそれは間違いだ。下手をすると不毛な思考の連鎖に陥る。役に立つ反省の仕方を教えよう。正確には「ゆっくり行動しながら内省的な気分で反省する」が正しい。
ネットノマドにも分かりやすい言葉で言うとプログラミングにおけるステップ実行だ。つぶさな分割という視点は時間の観念ひいては人生そのものをも揺るがすことを覚えておこう。