はてなキーワード: 顔バレとは
馬鹿のおかげで2chに投稿規制がかかっているので、こっちに書く。そのうち、自分で再投稿するかも。
いろんな情報を総合しながら彼女のビデオを改めて見てみると、彼女にAVに出演する理由は無かったのではないかと思う。
彼女がAVを楽しんでいるという意見もあったけど、よく見ると引きつっている気もする。デビュー作がおどおどするのはあるにしても、他の作品でも目が踊って落ち着かないし、「あたしって、こんな頭の悪くてふしだらなAV女優なんです〜」という演技をわざとしている感じ。
嫌いな食べ物を無理に飲み込んで笑っている表情というか。
実際、いくつかの作品では顔のアップで頬にぽつぽつが出ているシーンがあるのだけど、あれってストレス性のものなんじゃないかな。
その一方で自分で出演を公言したり、彼女のブログとされるページでは、最後の投稿に自分の写真を添付したりして、自分のAV出演を誰かに伝えたいのではないかと思う。「犯行現場に敢えて足跡を残す泥棒」みたいな。
もちろん、その「誰か」はこちらからはわからない。家族かもしれないし、元カレかもしれないし、別の誰かかもしれない。理由だってわからない。でも、自分の顔バレをどこかで意図している気がする。伝えたいというのは、愛情ではなくて、当てつけで。「お前の知っている女は、今、こんなことしているんだよ、目を見開いてしっかりみやがれ」って。
ひとつだけ確実に言えることは、AV出演を考えたときから今まで、信頼の置ける男性がそばにいないということ。あれは彼氏のいる女性のセックスではない。平行して麻倉憂を見ているのだけど、彼女のAVは、彼氏のいる人の作品。日常的な彼氏とのセックスを楽しんでいて、その延長でAVに出ている感じ。だから、麻倉はいつでも相手に笑いかけることが出来ている。素人と絡む作品も見たけど、相手をリラックスさせようと笑いかけている感じがある。でも、きよみ玲の作品は、それと断絶している。普通にやったら引いちゃうようなことを無茶してやっている感じ。
だから、彼女を実際に知っている人は、彼女のストレスがどう顔に出ているかを確認しながら、少しいたわってあげてください。場合によっては、メンタルな病院に連れて行くことも含めて。
目的別にブログを複数持つのは、なかなか効果的な手段だと感じた。
意味合いが多少違うが、「身内には口外できない趣味」を持っているような例でも、それは有効と思われる。
同人誌描きなどは特にそうだと思うが、世間の価値判断基準からすれば口外するのをはばかられるようなジャンル――エロ絵・猥褻系(SM・猟奇・GLBT・女装など)・ドラッグなど薬物系・軍事系・その他――に係わる事をつづるブログの大半は、ざっと見た限りは匿名で綴られているものが多いように思える。
そして、それらブログの著者の大半が匿名・職業も非公開であるのは、ひとえに「社会的生命の喪失」を殊更に恐れることの裏返しにほかならない。
残念ではあるが、社会的に逸脱した趣味を持つ者たちは古来からも『カブキ者』として排除されるのが日本の社会というものである以上、ブログが浸透しつつある現在においてさえ、そういう者達が「日の当たる存在」になることが無いのは、一種の宿命なのかもしれない。
作家やミュージシャンなどはそうと聞くが、「定期的に喉元までゲロのようにこみ上げて来る(by大槻ケンヂ)」衝動を文字・音楽・絵画といった形で吐き出さずには生きていけないタイプの人たちというのは、確実に存在する。もちろん中には、そういった衝動を『芸術』にまでたからしめる事で、アーティストとして糧を得て生きていける者も居ることは居るだろうが、同時に大多数はそういった懊悩を抱えつつ他の手段で生計を立てざるを得ない。
また性的・その他「収入手段にはほぼなり得ない」ような妄想がふだんから頭から離れず、さりとてそれを忘れ切る事もできない者など、世間にはゴマンと存在する。そういった者の多くは、「こんな自分は、ひょっとしたら病気なんじゃないか」と自覚しつつ、そういった悩みを他者に不用意に語ったり・あるいは知られたりして、自分が周囲や社会から「好ましからざる性癖の者」として排除される事を恐れ、だが同時に「こんな自分を分かってほしい・できれば趣味の同じ者どうしで語り合いたい」といった欲求を持っているものである。
だいたい、一般人かどうかを問わず、職場・家庭・趣味などの各面で「外部に見せる顔」が違うのは、じつは当り前の話でもある。
特徴的な例で言えば、プロ野球選手の山本昌が趣味の世界では「ラジコンキング」であったり、本職が音楽・ゲーム製作のプロであるにもかかわらず『ニコニコ動画』へPV投稿を行なう、などの行動が挙げられる。
もっともこれらは、実名・顔バレが起きてもさほど差し支えは無いジャンルでの話だが、一方で「一般社会でも有名な声優がエロゲ・エロアニメに出演」などになると、オモテ側での商業活動に偏見を持たれる要因ともなりかねない以上、必然的に“隠す”方向に傾くのは多少は止むを得ない話ではある。
それにそもそも、日本の社会は歴史的に『ホンネとタテマエ』を使い分ける事で成り立ってきた経緯がある。公の活動はタテマエで回し、夜の居酒屋などではホンネを吐く。良い悪いの問題ではなく、『そういう“二階建て”文化』を我々は現在に至るまで営々と構築してきたわけで、そうなれば「日常では言えないホンネを、ブログでは開陳する」行動に走る欲望を、誰が止められるというのか。
しかしよくよく考えれば、こんな事を延々と増田に書いてる時点で、しょせんは俺も同じ穴のムジナなのだろう。
というわけで、少しだけ本音を言わせてもらうならば
という事です。わらい。
http://d.hatena.ne.jp/n_euler666/20080823/1219510473
やおいとかコミケを知ったのは1980年代の同人バブル真っ盛りのころ。
少なくとも女性向けでは当時はあまり「買い専」とか「買い手と売り手」という住み分けはなく
ほぼ書(描)き手(サークル)=読み手(購入者)だったと思う。
自分のサークルでやられたら迷惑な事は良識のある人はやらないし、サークル=購入者ということは狭いジャンルまたは
大手だと顔バレしてるしみっともない。
男性向けはどうか知らないが、女性向けはもともと閉鎖的で、痛い行為すると悪目立ちしやすい環境もあって値切る人って
ほとんどいなかったんではないかと思う。
演劇部の友人に薄くてキラキラ表紙に男キャラがくっつきあってる本を読むサバドに
そのころはオフィシャルがうるさいジャンルがなかったが、少女マンガに乳首を描いたら大騒ぎになるご時世だったので
それを知っている仲間というのは世間一般の目(特に親・学校)に対しては秘匿されていた。
自分のきっかけは演劇部だったが、当時の腐女子は漫研や美術部経由で同人知った人が多かったんじゃないかと思う。
サークル活動も先輩の原稿を手伝ったり、イベントに連れてってイベントでの設営や印刷所の事とか教わった。
「この前面白いって言ってた本この人が書いたのよっ」て先輩にさらに年上の書き手紹介してもらったりして
自分にとっての同人って常に上の人の目があったので、
イベントではお行儀よく、周りの人がやってないことをするのはマナー違反だと思っていた。
イベント会場で迷惑行為やほかの人がやっていない事(カートを机の上に置くとか)をしていた人についてはイベント後のお茶会wで
誰が注意の手紙を出すかと相談していた。
(当時は奥付に住所を書くのが当たり前だったし、イベントごとにどのサークルも通販用の住所が掲載されたインフォメペーパーを作っていたので住所はすぐわかってしまう)
今思うと先輩とそのお知り合いは自治厨っぽいが、イベントで問題を起こさないようにという自浄作用でもあったような気がする。
何で値切っちゃいけないかうまく言えないが、当時の先輩も、周りの人も値切っている人は一人もいなかったんで、
値切るという行為はちょっとみっともなく感じる。
今はコミケに行ったことない(たぶん同人誌即売会という名のつくものには行ったことないと思われる)書き手でも読み手でもない人が
同人誌購入について発信できる時代になった事に年を感じた。
大手のたしなみって言葉が懐かしい。
顔バレして困るとかやましいとかじゃないよ。
知ってる人に見られる可能性は確かに低いかもしれない。
それなら、一番問題な、知らないうちに知ってる人に写真を見られているという問題はまあ起こりにくいといってもいい。
でも、知らないうちに写真を撮られてネットに載せられているって事自体が、
気持ち悪いし、不愉快だ。
これが自意識過剰というならそれでもいいが、これを不快に思う人は少なくないと思う。
自分の顔は個人情報、プライバシーなんだから勝手に晒されない権利があってもいい。
ないと困るってこと。
いくらなんでも自意識過剰すぎでしょ。
ネット上にスナップ写真をアップされたことで仮に日本の1億人に見られる「可能性」があるとして、
99.9999%の人にとってなんら意味を持たないんじゃないの。
さらに件の写真のような単なるスナップショットで仮に本人が特定されたとして、
何らかの悪影響が想定されるわけ?
地下鉄の写真で顔バレして困るなんて、どんだけやましい思いで地下鉄乗ってんだよw
って話にならない?
akibablogで笑い顔マークで顔隠している理由は想像できるよ。
なんと言っても大手サイトだし、あそこにいる自分を知り合いに見られたくないって気持ちは、アリだとは思うから。