はてなキーワード: 住み分けとは
「こんなもんに金払うなんてどんだけ依存してるんだよwww」的に。
2chなんかも末尾P=●購入者=金払ってまで2ch使いたがるキモい奴扱いで馬鹿にされるよね。
twitterも同じ事になるのでは。
分断された日本のインターネット というのを読んだけど、結局狭いところしか見てないんじゃない?
ソーシャルゲームがさも革命的なもののように言って数百ブクマされてたエントリ の逆パターンだね。
MMORPG はテレホ時代からあって、それが Geek 向けだった頃から、ソーシャルだったよ。Ultima Online は成功した中では最も古く今でも続いてる MMORPG の一つだけど、機械的な狩りやレベル上げをさせるような後発のクリゲーに比べたらよほど自由度が高く生活感があってソーシャルな側面が大きい。
もっとさかのぼれば、IRC にだってニフティサーブなどのパソコン通信にだってソーシャルな側面はあったよ。ぶっちゃけ人間が複数いれば、どんなものでもソーシャルになりえる んだけどね。
ソーシャルゲームってのは、そうした大きなソーシャル性のあるゲームから劣化縮小させたもの。Ultima Online のように自由にやりたいことを見つけられるのが 本質的には MMORPG なんだけど、"頭動かしたくない人" にそれは本格的過ぎたわけだ。だからクリゲーという単純作業やレベリングだけに集中させるような MMO が現れた。しばらくして、クリゲーの中でアイテム課金をもっとえげつないやり方にしてゲーム性を犠牲にしてでも廃人を育成するような方向性にしたものが生まれてきた。その MMORPG から生まれた腐った一端を濃縮してガラケーや SNS に持っていって成功したのがソーシャルゲームだよ。
腐った一端と言ったのはね、MMORPG があくまで擬似世界を楽しむ為のゲームであるとするなら、その世界のバランスを犠牲にしてでもお金を取るというのは廃人以外にはついていけないし、ゲームとしては腐ってるってこと。事実、MMORPG では行き過ぎてプレイヤーが離れたり、騙されてた人もそのおかしさに気づきだして、そういうやり方はだんだん下火になってる。同じアイテム課金でも、ゲームバランスを崩壊させない、無課金とできることには差がつかない、おしゃれアイテムや時間を買わせるようなサービスが主流になってきてる。
ソーシャルゲームにもゆくゆくはそういう波がくるだろうとは思う。ソーシャルゲームの主流ユーザーはネットゲーマーよりもさらに "頭動かしたくない人" が多そうだから気づきは遅い (ユーザーは騙され続ける) だろうが、いずれ変化は来るだろう。
いつの時代も "頭動かしたくない人" 向けのサービスってのはあって、IRC やニフティサーブに僕の先輩たちが夢中になってた頃は "頭動かしたくない人" はダイヤル Q2 とかをやっていた。パチスロとパチンコみたいな狭い世界の中でも、パチスロは覚えることが多いからってパチンコやる人がいたりする。僕らから見たら殆ど一緒じゃねーの?って所でもそういう住み分けがある。
分断もくそも、ネットもリアルももともと様々なものが住み分けしてる。ソーシャルゲームを異質なものに感じるのは、それに名前がついたから。ソーシャルゲームと名前がつくことで、それが及ぼしたり関係している事象を多くの人が意識するようになる。名前がついたら、名前を知ったら、さもそれに関係する問題が最近出来たように感じるだけだ。
ソーシャルゲームとそれ以外に見られる図式のようなもの・・・ "より多くのユーザーを未開拓の層から掘り出すために、より頭動かしたくない人向けに劣化縮小したサービスが低コストで乱造される" のは、ずっと昔からいろいろなパターンで繰り返されてきたことで、今に始まった事じゃない。
逆に言えば、コメントを喜んでいる連中は物語世界に入ることを拒絶しながら見ている。
それは、ラノベ的な楽しみ方であり、一人よりも二人、二人よりも大勢のほうがずっと楽しい。
俺が求めてるのは一人で楽しめるアニメなんだ。大勢で楽しむラノベ的アニメではない。
ここでニコ動に進出する企業が失敗ばかりしている原因が分かってくる。
つまり、ニコ動というのは全ての動画をラノベ的に、メタフィクション的に楽しむ場所なのではないか?
いやもちろんフィクションに限ったことだけど。
この楽しみ方に合致するのは、物語世界に入り込む必要がなく、また入り込んでくることを望んでもいない題材が必要だ。
いわゆる萌えとか、4コマが原作みたいなやつ。まぁラノベ原作なら何でもいいような気もするが、ラノベがラノベとして機能するのは地の文なんだよね。
地の文を消しちゃったアニメ化は全くラノベ的ではなく、チープなファンタジーもどきになっちゃう。ハルヒがラノベ的な性質を持ったまま成功したのは、キョンの語りが地の文だったからだ。
キョンの語りがなければハルヒは全く違った評価を受けていたかも。
ここでAVも説明できそうな気がしてきた。
通常のAVというのは、フィクションと同じくその世界(セックスしてる映像世界)に入り込んでみてる人がオナニーするように出来てる。
これをそのままコメントつきのニコ動にもってきても全く意味が無いのは、ラノベと同じだ。
つまり、コメントは「物語世界から一歩引いてあれこれおしゃべりする」ものなんだから、AVが普通にAVやったらコメントどころではなくみんなシコシコするのに忙しくなってしまう。
そこで重要なのは、メタAVとでも言うべき、通常のAVから離れたものになる。
一番簡単なのは出演者がブサイクであるということだろう。ブサイクなら、その映像内世界は全部「AVっぽいものを並べただけ」になり、ブサイクなAV女優が「感情移入させない装置」として働く。
だから、これはニコ動的であるといえる。ブサイクなAV女優ではシコシコしようがないし、ネタとして楽しむ(=ラノベ的に楽しむ)のが本来の活用方法ということに。
でも結局のところ、ラノベ的に見る、ネタとしてみるというのはその人の姿勢なんだから、コンテンツは関係ない。
ただ、通常通り物語世界に没入することを求める従来型のフィクションをニコ動で「ラノベ的に」見ようとすると、ラノベ的に見ようとはしていない人々がいるのでコメントが荒れたりするということだけだ。
無論、俺も「ネタとして楽しむ」人々に対して「もっと普通に見れないのか」と荒れる元になるようなコメントをしてしまったことはある。
表面的にはやらおんによってネタ化されたものをただ消費するだけのその他多数の人と、やらおんによってネタにされる可能性があると(良い意味でも悪い意味でも)期待している人とのチガイじゃないですかね。今前者側にいる私から見たら普段自分がアニメに寄生して好き勝手言ってるくせに、相手に同じことやり返されたら(ネタとして消費されると)ファビョるって心底ダセェと思うけど、実際自分もそういう状況になったら多分動揺してこういうみっともない姿を晒すと思う。自分がやりだまに挙げられたとき「ただのネタブログだろ」で済ませられる人はあずまんくらいだと思う。このひとだけは別にアニオタに否定されても痛くも痒くもないだろうからね。 でもそうじゃない私はあんまりマジレス格好悪いとか他人には言いにくい。
ただそれ以上に多分人種そのものがちがうとおもうんよ。
個人的な意見だけど、評論家というイキモノは、いかなるものについてもなんらかの評価・意味を見出せずには食べられない人たちなんだと思う。多分頭はメッチャ良いんだろうけど、そのせいかめちゃくちゃ精神的な胃袋が弱いか舌が敏感すぎて、ちゃんと加熱調理しないとそもそも体が受け付けないタイプなんじゃないかな。
しかも無駄にお行儀いいから目の前に差し出されたものはいちいち全部食べてしまう、という。食べなきゃいいのにってのは私らの感覚であって、この人らは多分食べ物を残せないんだわ。ああこれだからインテリは嫌だ。自分がわがままであることになんの自覚もない。いや自覚があっても開き直る図々しさ。それでやせてればまだ食べれるものが少なくてかわいそうと思えるが、実際にはデブだから救いようがない。もち詰まらせて死なねーかなー んで、そういう人たちがやらおんというナンセンスそのものの存在に意味付けをしようとすると、勢いネガティブな評価を付けざるを得ないでしょうねそりゃ。
私なんかは、いちいちなんらかの評価・意味付けせずともなんも考えずに口に入れて、口に合わなかったものはマナーなど気にせずところかまわず吐き捨てられてしまう。育ち悪いんで、作法とかあんまり気にならない。味覚もオコチャマかな。だから全く違う人種だといつも感じる。 正直私にはこの人らの生き方って理解出来ない。生きてて楽しいかな、と思うし、何人かの人は楽しくない時もあるって口に出して言ってるけど、たとえ楽しくなくてもそうせざるを得ないイキモノだと考えると、あんまりそこを叩く気にはなれないな。どうしようもないんだから。だから、別の生き物どおし、ちゃんと住み分けろよと思うんだけれどね。
なんかコンプレックスでもあるのか?
ある。というか明確に書いたつもりだが。私はとにかく頭が悪いのです。
とりあえず何でも読むけど、上の評論家がたのように強い反発も感じ無いし逆に深い感動を覚えることもない。単に消費することしか出来ないわけで、ネガティブ方向でもいいからこんだけごちゃごちゃと考えられるくらいなにか頭のヨサゲなひとというのは、実態がどうであれ羨望と嫉妬の対象ですよ。
前記事の蛇足。以下はニコニコ御三家に対するとあるキモオタのイメージ。
知識不足の上、それを補うため妄想が働いているし、女性の消費者をあえて無視しているので資料的価値はゼロだよ。
元の御三家は東方が自分(の投影)を受け入れてくれる母親的存在として、ボカロは自分の思い通りになる人形のような存在、アイマスはバンブレと同じく成長に寄り添うことを許可してくれる子供のような存在を提供してたと思う。言い換えると当初は
(空白)=???
アイマス=大人一歩手前向け
のような構造で消費されるのが基本だったと思う。特にアイマス動画が荒れるのは珍しかった。当初は住み分けがなされていたのを覚えている人もいるだろう。東方は最初から満遍なく多くの人を抱え込んでいたせいかいつでも荒れてた気がするけれども。
まどマギよりはるかによく出来てる男にとってのJUNEものの世界として機能したのは東方だろう。東方はしばらくは男性的な役割を要求したりさらに対人関係を結べないやつは人にあらずという現実の圧力、他にも時間や性的な役割といったものを脱色脱臭した世界として機能しており、その中でオタどもが自己を表出することが可能だった。東方妖々夢がでたあたりから、多くの人がある種の女性をJUNEものに惹きつけたように「これだ」ってわらわらと引き寄せられる様は、当時見ていてかなり衝撃的だった。永夜抄における姫様とニートの関係は今でも大人気で、紅魔館のペアは男どもの好みによって本来の関係性を大きく変質させられたものが半ば公式として成立しているのが面白い。(お嬢様との関係においてメイド長の胸が貧乳でなければいけないのは彼らにとってかなりの必然性がある)
そういう感じで2007夏~2008冬くらいまでは独特の空気みたいなんがあったと思う。(あの頃はコミケで毎回30冊くらい購入してたなぁ)んでも、結局エロ路線に侵食されていってる印象がある。自己の投影や掘り下げから先の出口の展望を見いだせなかったのかもしれないし、キャラ付けが進むに連れて虚構とはいえ他の虹キャラのような肉体性をおびて、もう自由に自己の物語を紡ぐための道具としては使いにくくなったのかもしれない。そうなったらあとは今までのアニメキャラと同じくエロにしか使えなくなる。魔理沙と霊夢の使いようによっては可能性は無限だと思うんだけど、誰でもそこまで創造性が強いわけでもないだろう。
他の御三家にも変化はある。 最初ボカロはジェンダー的に見ると最初から女を性的な道具扱いするという最低のジャンルだった。初期はどう見てもただのエロシンボルですほんとうにキモかったです。それがだんだん家族性をおびて穏やかな世界になっていってる。多分女性が入ってきたこと、「歌ってみた」によって現実における関係が形成されて行ったことなどが大きいと思うけど正直良くわかんね。
アイマスは東方の少女たちだけの世界の先にある、対人関係を意識した大人の世界への入り口みたいな役割を果たしてたと思う。しかしだんだん百合的な世界観が強くなっている。今ちゃんとプロデューサーの存在を出せてる世界ってどんだけあります?涼くんが出るちょっと前あたりからなんかおかしくなった気がする。詳しく知らないんだけど、アイマスって今だに女性の人口が御三家の中で圧倒的に低いんじゃね?
このように御三家の間でクルクルと役割を循環させ合っているのが面白い。 オタ自体の欲求は同じところにとどまっているのに対して、御三家の供給はどれも限界があるということだろう。 今は東方が一番幼稚で、次アイマス。今はボカロが一番マシなくらいだとと思う。多分ボカロの性的玩具としての消費はあらかた飽きられるまで消費されつくしたのだろう。このタイミング表の商業ベースに乗り始めたというのも実に興味深い。今はMMDなどのクロスオーバー可能なテクノロジの提供によって3つの間での需要のまわしあいが行われているけれども、それも尽きたときにその時4つめが誕生するかもしれないし、それはラブプラスのようにニコニコとの親和性が低い分野なのかもしれない。
まどマギにしてもオンリーイベントの出典一覧見ると結局エロが主体になるところを見ると、女性と違って男性は百合があろうが男にとってのJUNEものがあろうが、何時まで経っても卒業なんて出来ないのかもしれない、一度オタの世界に入った人間は大人になることはできないのかもしれないという絶望感をひしひしと感じる。何時までも二次少女と一緒に過ごすというわけにはいかないと思うんだろうけれどな。まぁそんなことを確認するまでもなく、百合オタの先駆者としてのたまごまごの人とか見てれば、オタの道は誠に修羅なのだと思うけれども。
今日、夕方勤務で一緒に入った田中あやさん(仮名)とはちょっとあまりにも暴言が過ぎてやっていけそうもない。
多分、宇和島市内(東か南高校?)に通ってらっしゃると思うんだけど。
コンビニ歴あなたより長いしwwwwww()とか腹筋ツリそうになった。
彼女他の人についてもハラのなかでそう思ってるだろうって言いふらしてやろうと思う。
まあ言ってみれば田中さん(仮名)は人を支配下に置かないと気が済まない、幼い人なんだよねー。
ちょっと彼女はとてもじゃないけど私には共同作業をする態度を取れないようだから、”住み分け”をお願いしたいと思ってる。
プログラミング言語ヒエラルキーにおける罵倒 http://anond.hatelabo.jp/20070502200124
phpのいやなところ / perlのいやなところ http://anond.hatelabo.jp/20070522174725
LL編プログラミング言語ヒエラルキーにおける罵倒 http://anond.hatelabo.jp/20070503000905
1年くらい前にKENTWEBでCGIを覚えた私はどれくらい時代にとり残されているんだろう http://anond.hatelabo.jp/20070427114039
PHPで自称ギークとかアホか。 http://anond.hatelabo.jp/20080527201030
文系の大学出身の人が気軽にプログラマになることはお勧めしません。 http://anond.hatelabo.jp/20080830010043
[Perl][PHP][Python][Ruby] 無題 http://anond.hatelabo.jp/20080731154801
プログラミング始めてみた(笑) http://anond.hatelabo.jp/20080201185253
日本が誇るスゴ腕geekの紹介 http://anond.hatelabo.jp/20090102145542
PHPの比較の素晴らしさ加減は正常 http://anond.hatelabo.jp/20090617130518
言語による分野の住み分けがすでにできてるんだよ http://anond.hatelabo.jp/20110220120714
なぜJavaの求人が多いのか考えよう。 http://anond.hatelabo.jp/20110220101806
LL言語が後退局面に差し掛かっている件 http://anond.hatelabo.jp/20110210084023
これからweb開発に携わりたいと考えている人にお勧めの言語 http://beta.anond.hatelabo.jp/20110220013933
※はてな匿名ダイアリーの標準スタイルシートでデコるバッドノウハウ http://anond.hatelabo.jp/20100827202157
webサービス分野ではphpが殆どだけどwebでない企業向けやSI案件ではphpは殆どない
つまりNTT,IBM,fujitsu,hitachiとかそういうSI系ね。もうこれはほとんどJAVA。
何故なら彼らの発売しているAPサーバはJAVAのAPサーバだしね。
Cosminexus,interstage,webshere等、彼らの販売する主力はJAVAのAPサーバである事からもそれは明白だよね。
言語の使用分野が明確に分かれてるんだよ。
後単価はphpは凄い安い(今時Perlはないだろw)、SIのJAVAエンジニアの7割と言ったところか。
なぜ単価にそこまで差がつくのか?
SIのJAVAエンジニアはコーディングの他に仕様の把握が非常に重要となってくる事がしばしばある。
ドキュメントや仕様検討なんかがむしろメインだろ。とすら言える位だ。
よってPHPの方が習得も簡単だし、仕様もシンプル。よって単価が安い。
そういう差がすでにあるよね
住み分けてる人間はそこが自分のホームで、既に承認を得ているからわざわざ別の主張で承認願望を満たさなくてもいい。
侵入してくる奴はアウェーだから、自分の正当性を認めてもらうことで承認願望を満たさなければならないから喚き散らす。
自分の嗜好を肯定してもらう手段として他の嗜好を否定するというやりかたは、マーケティングではよく見られる(日本では少ない)けども、
個人がやるとお前のようにただのヘイトスピーチにしかならないから人格疑われるだけで終わる。
大抵、精神的に未成熟か、余裕のない人間の行動パターンだけども。
まぁ相手のホームに乗り込むんじゃなく、街頭演説で何喚こうがそれは自由さ。
じゃあちゃんと住み分けろよ。
これは良い、あれはダメ、という優劣をつける音楽論を語ってるんだろ?
なら「優劣なんか無い、楽しんだもん勝ちやー」の人は関わらずに黙ってなさいよ。
「お前の○○は間違い、不勉強」
「昔のアムロの価値がわかっているのか、説明してやるから聞けボケ」
みたいな風にやるべきで。
mixiとかtwitterのようなネットコミュニティとして考えるなら定着しないと思う。
少し前まではネットコミュニティとしてのfacebookという捉え方だったので日本で流行ることはないだろうと思っていた。
だけど他の国のfacebookの使い方は既にネットコミュニティってレベルじゃないらしい。名刺がわりにfacebookアカウントを知らせるらしい。こんな感じでリアルの延長として使われるようになるなら日本でも定着すると思う。
例えば、住所録とか携帯電話のアドレス帳の代わりにFacebookが使われるようになる。こうなったら自分だけ使わないわけにはいかない。
ただ日本人の場合、本音と建前の使い分けがはっきりしてるから、上のような形でfacebookが普及した場合オフィシャルな自分のfacebook。プライベートな自分のmixi、twitterって感じで住み分けが起こるような気がする。
プロフに食いついてきたらしいキモい絡み方をするオッサンがいてどうしようもなくなったからTwitterやめたというエントリーがあったが、書き方はともかく、あれに感情的な反応を返しているいい年をしているであろう人間がやけに目に付いた。
正直言って嘆息ものだと思う。
「空気嫁」というのは最初はネタとして使われていた言葉だったかもしれないが、今では実際に空気を読むという行為がネット上でも当たり前のように求められる場面が多いことを理解していない。
ネットユーザーの実際の比率がどういったものかは生憎手元に資料が無いが、「一般人」とされるユーザーの率が高まり、SNSやTwitterといった同一システム上で多数同居していることは想像に難くない。
ネットは「彼ら」だけのものではなくなっていることに対し、彼らも理解はしているもののその認識はまだ浅いのではないだろうか。
特定の思想・理念をもって当初構築されたネットという文化圏は一番大きな枠としてあるが、その思想・理念は法やプログラムされたシステム上の制約ではなく、現実世界における「平和」だとか「環境保全」といったスローガンに近しいものであり、実際のネットというのは多様性を許容した世界でしかない。
それぞれの文化圏の中に更に細かい文化圏があるが、それらが利用しているシステム上で同居するため分かりにくい。
そして、その分かりにくさのために、あっさりとその枠を踏み越える事ができる。
ボーダーレスと言えば聞こえはいいし、確かに大きなメリットなのだが、踏み越えてほしくない人間たちもいるのだということを彼らは往々にして忘れている。
多様化し、様々な文化圏があることを理解はしていても、それを認識した上での行動ができない。
趣味、嗜好、年齢、性別、色々と要素はあるが、その文化圏が何の集まりなのか。
現実世界における領域の住み分けで考えればすぐに分かるであろうはずなのに。
多少なりとも共通するものがあれば、年齢や性別、下手をすると国家や言語の枠すら越える事ができるが、彼らはその共通事項すら確認しない。
そのため相手の文化圏と自分の文化圏が重なる部分がないにもかかわらず、その「住み分け」ている領域を「踏み越えてしまう」
そして「踏み越えてしまった」彼らはそれを指摘されると、決まって「ネットの理念(ネットという文化圏)」を持ち出してくるのだ。
彼らが守りたいものはネットの理念などではなく、文化圏の違いに気付けない、空気を読めない自分に対する免罪符でしかないことに彼らは気付いていない。
「空気を読む」という行為はネット上でも必要とされていることであり、それができない人間はネット上であっても疎まれ、排斥されるようになってきている傾向が現実世界により近くなっている。
ネット上に居場所を見つけ、ある種の自由を得ていた彼らが、既に現実世界同様に疎まれる場面をこのところ特に目にする場面が増えてきた。
いや、教育と分離した「国語学」なんて存在し得ないんですって。
例えば「文法」ってのも国語学では扱うけれど、言語学において「文法的に間違ってる」って言葉はありえないんですよ。
ところが、国語学っていうのは「文法的な正しさ」、文学・文法・言語における「聖典」を構築する学派なんですよ。
いわゆる、モダンからポストモダンの移行期に「文学」と言われるジャンルが分派して
保守層が国語学へ移行していった。国語学には教育分野からの要請が強くあるからね。正しい日本語がなければ日本語教育は出来ない。
だから、国文学っていうのは教育・アカデミズムなしでは存在し得ないジャンルだし、保守こそが存在意義。
それなしで存在している国文学があったら、それは「国文学」ではないです。単なる文学研究です。
そういう学問だから「国文学」とジャンル分けされてるわけで。増田さんのおっしゃるとおりであれば、ジャンルわけいらないでしょ?
国語学・国文学と言語学・文学の関係は、神学と宗教学、考古学と文化人類学のそれなんですよ。
ほんと、いい加減なこと言うなぁ・・・。
ちなみに、「日本語学」は「言語学として日本語に特化した領域を取り扱う」という意味を指す場合もあります。
「国語学」は国の言葉を正しく構築する(ポストモダンの現代では「理解する」といった語彙は使われません)学問です。
昔、ソシュール辺りの構造主義ショックがあったころ学者さんたちが散々大喧嘩して決めた住み分けですよ。
イデオロギーであることを自覚しながら必要に迫られて存在するのが国語学。イデオロギーから抜け出すことを志向したのが言語学。
これ重要。