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2014-09-01

攻殻機動隊SACの続編が見たい

なんというか、サザエさん時空に耐えうる作品なんだよな、SACって。

刑事ドラマみたいにシーズン化してほしい。

2012-05-18

永遠巫女から見たZUNの須臾

Twitterに流そうと思ったけど、長すぎてうまくまとめられなかったからここに流す。

始めてこういうの書くから駄文になるのは確実だけど、やらせてください。かねてからの夢だったんです。妄想核融合で爆進する!

永遠巫女」という曲について考察してみる。第一作目「東方靈異伝」の第1面から5面、ゲームプレイすればテーマソングを除いてまず最初に聴くことになる曲だ。それはつまり、まさに東方project最初の曲ということになる。

ではなぜ、最初の曲なのに「永遠巫女なのだろう。私は、ZUNはこの曲に大きな思いを込めていると思う。(実際にそんなことを述べていたこともあったりする)

ちなみに、この曲はいくつかアレンジがあるが、新しくなるにつれて暗くなる印象を持つ。

かなり初期の作品だが、この曲を聴かずに東方は語れないと思う。是非聴いて欲しい。

曲名の「永遠巫女」を霊夢のこととする。ヤメテヨ。ここを「博麗の巫女」と捉えたら完全に別の意図なっちゃうヨ。その解釈もありかもしれないけど、ここでは一応霊夢一人ということにする。

ここで考えたいのが、幻想郷寿命のこと。二次創作で最も多いネタといっても過言ではないだろう。「霊夢のいる幻想郷」は他の妖怪幻想郷にとってほんの一瞬。すぐに寿命が来る生き物としてZUNは人を表現する。

けど、ZUNは「霊夢のいる幻想郷」という、まさに「一瞬」をずっと映し続けている。どう考えても俺らの感覚では10年は経ったのに、向こうはサザエさん時空間が流出しているかのごとく少女少女のままだ。 時に小町、貴方はこんな経験がないだろうか?

私はペットを飼っている。私はここ数年間ずっとこいつと散歩している。毎日毎日、こいつはよく飽きないものだ。俺は飽きた。

そこからは「永遠」を感じることができる。こいつとずっと毎日散歩をし続けるんだろうと確信する。

だが現実はそう甘くない。こいつも、今年でシニアの仲間入りだ。最近腸に異常をきたして入院した。 私は、こいつが生きている時間は見る側によっては一瞬にすぎない。永遠は一瞬で終わるものだ、と感じた。そんなとき永遠と一瞬の境界はなくなる。

「一瞬」と「永遠」は両立できるものだ。私は、神主はそのことを表現するために今までずっと「霊夢のいる一瞬の幻想郷」を表現してきたのではないだろうかと思う。そして、これからもずっと彼は表現し続けると思う。酒と共に。

それに、幻想郷常識的な概念が通用しないという点も深く考える所がある。幻想郷には、一瞬を永遠に変える力もあるのかもしれない。そういえば、似たような名前の程度の能力を持ったお姫様もいたような気がする。

そこでこの曲。妖怪人間より遥かに長生きという設定は、靈異伝の時点であったのだろう。更にこの作品は1作目。いくら神主といえど、人気が出るか多少は不安だったと思われる。ゲーム自体にも瞬間の儚さを感じられるこの作品の最初の曲からZUNの「永遠」という言葉解釈を伺うことができる。須臾は永遠の始まりであり、須臾こそが永遠なのだ東方projectの主人公は儚く舞い続ける。

そこまで考えて神主は第一作目道中曲の曲名をつけたとしか、私には考えられない。だって凄く良い曲なんだもの

2010-08-09

ドラエモンロボット漫画アニメ)か?

んー、なんかこの話色々論じられてそうだけど

面白そうなんで絡んでみる。

まず、ロボットアニメではない派の言い分はこういうことだ。

ドラエモンは「愉快な人外」であるということ。これはオバQやハットリ君といった

同じ構造を持つ作品、「ケロロ軍曹」に留まらず「ラブやん」なんかも系譜に入ってくると思う。

つか、この系譜はあり過ぎて最早収集がつかない。人間以外のなにかがポンと現れて

現実と非現実との橋渡しになる作品は山ほどある。つか、これの始祖はドラえもんじゃないよね。

俺がふと考えた限りでは代表作はおそらく「ファウスト」だ。

要するに「愉快な人外」というのは、メフィストフェレス的なものなんだろう。

これが重要なのは、「通常の世界に住む主人公」を「非現実世界」へ橋渡すこと。

この物語構造上の形式は「ロボットである」という事実よりずっと重みがあるだろうなぁ。

ドラエモンは「愉快な人外」であれば話が成立するけれど、「ロボット」である必然性には乏しい。

鉄腕アトム」は最初から「未来」の話であり、「アトム」が現実未来を橋渡しているわけじゃない。

物語構造的には、ほとんど類似点は無いと言える。

ロボットである、というのはキャラクターにつけられた属性であり、「オバケである」とか「忍者である」と一緒で

物語の形式上の大きな意味を持ってはいない。だから、あくまで形式の話をすると

ドラえもんは「ロボットまんがではない」って結論になるんじゃなかろーか。

もちろん「ロボットである」ことに力点を置いて論議することも可能だろうし

ドラエモンロボットであることから始まる系譜、あるいはそこにいたる系譜ってのも

頑張れば作って作れないこともないけれど。

あともう一つ。ドラエモンが「ジュブナイル」であるとか「ビルディングス・ロマン」であるって議論も可能だけど

残念ながら、ドラエモンサザエさん時空で終始した物語である以上、これは構造的には確定出来ない。

大長編一つに区切れば、あれはビルディングスロマンだと思うけど。

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