んー、なんかこの話色々論じられてそうだけど
面白そうなんで絡んでみる。
まず、ロボットアニメではない派の言い分はこういうことだ。
ドラエモンは「愉快な人外」であるということ。これはオバQやハットリ君といった
同じ構造を持つ作品、「ケロロ軍曹」に留まらず「ラブやん」なんかも系譜に入ってくると思う。
つか、この系譜はあり過ぎて最早収集がつかない。人間以外のなにかがポンと現れて
現実と非現実との橋渡しになる作品は山ほどある。つか、これの始祖はドラえもんじゃないよね。
俺がふと考えた限りでは代表作はおそらく「ファウスト」だ。
要するに「愉快な人外」というのは、メフィストフェレス的なものなんだろう。
これが重要なのは、「通常の世界に住む主人公」を「非現実の世界」へ橋渡すこと。
この物語構造上の形式は「ロボットである」という事実よりずっと重みがあるだろうなぁ。
ドラエモンは「愉快な人外」であれば話が成立するけれど、「ロボット」である必然性には乏しい。
「鉄腕アトム」は最初から「未来」の話であり、「アトム」が現実と未来を橋渡しているわけじゃない。
ロボットである、というのはキャラクターにつけられた属性であり、「オバケである」とか「忍者である」と一緒で
物語の形式上の大きな意味を持ってはいない。だから、あくまで形式の話をすると
ドラえもんは「ロボットまんがではない」って結論になるんじゃなかろーか。
もちろん「ロボットである」ことに力点を置いて論議することも可能だろうし
ドラエモンがロボットであることから始まる系譜、あるいはそこにいたる系譜ってのも
頑張れば作って作れないこともないけれど。
あともう一つ。ドラエモンが「ジュブナイル」であるとか「ビルディングス・ロマン」であるって議論も可能だけど
タイトルぐらい正しく書け
ドラえもんをドラエモンと表記している時点で、お前には圧倒的に読み込みが足りない。 そしてドラえもんがギャグマンガであってそれ以外の何かではない。
表記なんざ通じりゃなんだっていいよ気にスンナ。 しかし、純正なるギャグマンガであることを定義するのは死ぬほど難しいと思うけどなぁ。 構造的に見てロボット漫画ではないよね...
ドラえもんの作品内でギャグ漫画であるという台詞が出てきたと思ったんだが、ちょっとどこにあったかまではわからん。 時間かかってもいいなら探してくる。
作品内で〇〇漫画だといわれたからってその漫画が〇〇漫画だとは限らないのでは。 そもそもギャグマンガと野球漫画は両立しないのか。
作品内でそう言われれば、少なくとも作者がそのつもりで描いていることはわかるから。 そういうことを言い始めると「○○マンガ」の定義をそれぞれ決めていかなければならなくなる...
生活ギャグという分野をずっとやってきて、この辺で集大成みたいな作品を書きたいと思い立ったわけです。SFあり、ナンセンスあり、夢も冒険も、その他何もかもブチ込んだゴッタ...