はてなキーワード: 南京事件否定論とは
Dragoonriders まあ、こうして知見が溜まるのは、素朴な疑問って大事だよな、と言っておく。疲れると思うが存分に書いていただきたい。
単に文系アカデミアでのキャリアパスを聞かれて答えただけならこんなに疲れねえよ!
文系の論文を読みもせずにお気持ち表明学問だと決めつける連中,
文系がどういう資料を使って研究してるかもろくに把握せずにエビデンスがないエビデンスがないとわめく連中,
査読されてる雑誌は今日日たくさんあるよと何度も言ってるのに査読論文がない! って吹き上がる連中,
こんな連中が寄ってたかって文系への偏見に満ちたコメント垂れ流すのは「素朴な疑問」とは呼ばねえよ! 素朴な疑問って大事だよねとか微塵も思わねえよ!
丁寧に水の機序について説明してくれる科学者が現れてくれたから水からの伝言って大事ー>< とか思うか? 思わねえだろ?
現代医療について解説してくれるお医者さまが出てきてくれたからホメオパシーって大事ー>< とか思うか? 思わねえだろ?
「パリのテロについて大騒ぎするなら、中東で日々起こっているテロについても大騒ぎしないとおかしい」式の論法。
前提にあるのは、同種のものは同じような権利をもっていて、それゆえ同じように扱われるべきだ、という倫理的要請である。
この場合はパリの人間と中東の人間は同種のもの=人間であるはずなので、この二つに関して違った対応をするのはフェアでないことになる。
この論法はかなり使い勝手がいいのだが、それゆえいい加減な主張に使われることも多い。
たとえば、
元記事は、交尾の後にメスの交尾器を壊してしまうクモの発見について、自分より先に他の研究者が発表した、という内容。
引用したブコメが言いたいのは、「クモ研究の発表は一番でなければならなかった、だからスパコンも一番でなければならない」よって「蓮舫の発言は不当である」ということである。
「発見の発表」と「スパコンの性能」は同種のものだろうか。「発見の発表」が一番でなければならないというのは当然で、二番以下にはほとんど意味が無い。一方「スパコンの性能」の場合でも一番がえらいというのは当っているが、二番以下であっても相応の評価が得られる可能性があるわけで、蓮舫が尋ねたのもそこだったはずである。
あと、
南京事件否定論にすら場を与えねばならないと言っていたのだから、日本のテレビがいつどんな番組を流そうが文句言う筋合いはないだろうが。本当につまらないやつ。
元記事は東浩紀のツイートで、パリのテロで世界中が大騒ぎしているにもかかわらず日本のテレビがバラエティ番組をやっているのを見て、「地上波しか見ない人とそうでない人の情報格差が開く」のを実感した、と言っている。
ブコメが言っているのは「南京事件否定論のようなトンデモにさえ場を与えなければならないと言っていたのだから、テレビのバラエティ番組に文句をいうのはおかしい」ということ。
「南京事件否定論」と「バラエティ」はとりあえず「好ましくないもの」という点で同種として、「場を与えなければならない」と「文句を言わない」は同じだろうか。「私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」(by ヴォルテール)の名言があるように、表現の存在を許容することと文句を言うことは両立しうる。東浩紀の発言にいつも一貫性があるとは私も思わないが、少なくともこの発言に関する限り、ブコメの批判は適切ではない。
こういう「AのことをCと言っていたのだから、BのこともCと言わなければおかしい」という論法は、とりわけ批判されがちな有名人に対してはかなり雑に使われることが多いように思う。