2021-11-23

anond:20211123170539

こういう意見をよく見るけど、個人的には「たかが絵」という言い回しが「絵」をバカにしているとはあまり思わない。この感覚説明するのが少し難しい。

つのありがちな説明として、「現実の方がよほど影響力があるだろう」という意味で「たかが絵」という言い回しが使われるのだ、と言えば、説得できる人も少なくないだろう。私もフィクトセクシュアルなので、そのような説明は嫌いじゃない。しかし、ここで私は、一人の「オタク」として、「たかが絵」という言い回し擁護したい。

私は「オタクである一方、「たかが絵」に入れ込むこと、熱を上げること、時間金銭を(自身生活崩壊するレベルまで)注ぎ込むような、極度な「オタ活」には否定的だ。ガチャブラインド商法のような売り込み方も嫌いなので、たとえ推しアニメ推しキャラのグッズでも、そのような売り方をされると意地でもお金を出したくない。

私にとってそれは、どこまで言っても「たかが絵」だ。

そして、私にとってそれは、「たかが絵」故に尊い

それはなぜか。


さて、私が「たかが絵」を好むのは、「そのヒューム値が低いから」と説明したい。

ヒューム値とは、SCP財団創作設定で使われる、架空物理量だ。それはしばしば「現実度」と説明されるが、ヒューム値の高い実体ヒューム値の低い実体へ自らの「現実」を押し付けることが出来る、らしい。なかなか面白い設定だと思う。

まり、私は「たかが絵」を鑑賞する時、そこに「たかが絵」を見るのではない。そこに「私自身の現実」を見るのだ。

私は結局のところ「私自身」が好きなのだ。実際、私はいくらかオートセクシュアルの傾向がある。


ちなみに、永山薫先生も次のように仰っている。

https://twitter.com/Kaworu911/status/1462797280218546176?s=20

マンガひとつの読みしかできない」と東京都役人が愚かしいことを述べたことがありましたが、どんな表現でも複数の「読み」があり、解釈があり、誤読が発生します。百人の読者がいれば百の脳内で百の物語が生まれます。最多数派は「作者の意図」に近いクラスター形成するにしても完全一致はない

私は、これこそが「たかが絵」の本質であり、それ故に尊い文化的営みなのだと信じている。

から私は「たかが絵」という言い回しが割と好きだ。

それはむしろ、「たかが絵」の力を信じているからこそ出てくる言葉のように、私は思う。

しかしまあ、それ(「たかが絵」という言い回しを好むかどうか)も含めて人それぞれだからこそ面白いのだとも思う。

記事への反応 -
  • 私はオタクだと思う。   小説も、漫画もゲームも大好きだ。 ブギーポップは小学生の頃から今までずっと追いかけている。 漫画も月に10冊前後買い、新しいタイトルの試し読みがあれ...

    • こういう意見をよく見るけど、個人的には「たかが絵」という言い回しが「絵」をバカにしているとはあまり思わない。この感覚は説明するのが少し難しい。 一つのありがちな説明とし...

      • 描いてる側からしたらたまらんけどな まあサービス業は消費者に「たかが」って言い回しはされるのはある程度仕方ない ムカつくけどな

    • お前みたいにたかが絵にマジになって批判したり糾弾したりする奴のせいで、実際それを作っている人間や愛好してる実在の人間がぞんざいに扱われてるんだよ。 実際の人間に比べたら...

      • お前は実際その創作者や愛好家がどうでもいいと思ってる「蚊帳の外」の人間だから、たかが絵なんかじゃない!なんて言えるんだよな。 1.まず、私は愛好家だ 2.創作者と愛好家がど...

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん