2021-11-13

親のブログを読む(自殺願望ポエム付)

メールを整理してたら親のブログを見つけてしまった。少し自殺する気が失せたが情緒が安定しない。ブログときで揺れる自分が嫌になって、気分は最悪だ。

私は3年前以上の記憶意図的に思い出さないようにしており、親からみた自分自身を読んでもどこか他人事しか思えない。無邪気に小学生してた頃があったことが信じらないのに、記憶の残骸と部分一致するのが気持ち悪かった。

そして過去の親にも自殺を考えるほどの状況があって、それでも自分のことをちゃんと大切にしてくれていたことが感じ取れて憂鬱だ。親だって人間なんだよなーって実感した。

これがドラマだったら改心して、前向きに生きていくのが正解なんだろうな。親孝行して、看取るまでちゃんと生きなきゃいけない。ベタトゥルーエンド絶対に親の介護はしたくないが。

ももう生きることを頑張りたくないか死にたい死にたいというか消えたい。ありがたいことに世界を恨んでるわけじゃないので、透明人間にしてくれるなら死ななくても済むかもしれない。透明人間になって、隣の晩ごはんでも眺めていたい。何もできなくていいのでテレビ感覚で人の人生を見ていたい。でもなれないので困っている。

「苦しみたくない」がわがままで甘えで、その全部は私の責任だと認めるから『楽に』死にたい就活したくない、すべての締切が辛い、人と話したくない、ずーっと遊びたい、苦痛を感じたくない、痛いのが嫌だ。この場合苦痛一般的に言う「向上するための努力」を含む。

自分より辛い状況で頑張っている人に比べたら全然まれいるかもしれない。寝床明日ご飯もあるし、なにしろ親の金で絶賛モラトリアム中だ。ここでちょっと頑張ればなんだかんだやっていけるかもしれない(超楽観主義)。

だが自分めっちゃくちゃ甘いので無理なもんは無理なのだった。だって安楽的な自殺成功することに期待しちゃうくらいには甘ったれだ。「言い訳しないで死ね」といわれれば「でもでもだって」、「努力しろ」といわれたら「でもでもだって」と返すのでよろしく

それでもこの先の自分に期待するよりは自殺の方が確実性が高く、生きていても苦痛なんだろうと思う。局所的な快楽漠然とした苦痛を超えられない。その根拠なき妄想は十分に自殺理由になると思う。それに自分でさっさと苦痛を感じる器官を壊す方が楽だし早いのは事実

それでおわりなんだが、私のシミュレーションの中では、自分自殺してもそんなに影響ないかなと思っている。実際、親以外に連絡先持ってないから連絡しようがない。

だけど親のブログを読んで、死に方を再考しないといけないなと思いました。就活してないけど終活頑張ります

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん