2021-04-18

[] #93-3「栄光の懸け箸」

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「音を立てるほど勢いよく啜るのは、麺に汁が絡んだ状態で口に運ぶためだ。物事には理由がある。その理由無視して、従来のやり方を抑え込む方が愚かだ」

「えー、でもそれを気にする人がいるってのは分かるでしょ」

個人の気にする気にしないレベルで是非を求めたら社会は回らん。何が正しいか間違ってるかも分からず何もできなくなる」

こういった法律に縛られない、慣習的な何かを俺たちは漠然と“かくあるべき”と思っている。

からこそ、その“かくあるべき”を常識だとか文化だとか、作法という言葉で簡潔にまとめられるんだ。

理屈が伴っているかどうかが重要なんだよ。米を炊く時だって、研ぐ段階から軟水を使うだろ」

「え? 米を洗う時にも市販水って勿体なくないすか」

「米は洗ったり研いだりする際にも水を吸うだろ。本当に勿体ないと思っているなら、最初から最後まで水道水を使えばいい」

「あー、なるほど」

「お前アレだろ? 座って用を足せと周りに言うくせに、流す時に蓋しないタイプだろ」

「おい、トイレ中に食事の話はやめろよ」

「逆だ、逆」

しかし、こういったルールの“延長線”を誰がどのように引いているのか、そして妥当なのか。

実際には誰も把握していなくて、共有できているかも怪しかった。

なので話を掘り下げようとするほど墓穴にハマりやすく、誰も出られなくなってしまうわけだ。

それでも概ね見解は一致していたから、さして険悪にはならなかった。

「でもマナーとか言われちゃうとなー」

「そりゃあ似非マナーとか、古臭いルールは無くなってもいいさ。でも、全てがそうじゃないだろう。箸の持ち方だって変わらない」

だけど話題が箸の持ち方になった時、なんだか雲行きが怪しくなってきた。

切り出したのは俺だったが、これは七面倒なことになると言ってから気づいた。

この時、ラーメンを食べている彼らの手元は三者三様だったんだ。

「えー、箸の持ち方くらい自由でいいじゃん」

「そりゃあ、まあ、ちゃんと持てた方が行儀は良いかも知れないけどさ」

「箸の持ち方ひとつで窮屈になる社会が良いとは、とても我は思えん」

「オイラ、この持ち方でも支障ないし」

「お前の持ち方は、さすがにクセがありすぎる」

「えー! “箸の持ち方くらい自由でいい”って、さっき言ったじゃん」

「そのセリフを言ったのは、おまえ自身だ」

ここで意見割れ割れた。

俺みたいにちゃんと持つべき派、多少なら構わない派、どんな持ち方でもOK派……

それを直すべきか、指摘するべきか等など。

皆その持ち方で、食事を数え切れないほど行ってきたんだ。

まり、この議論人生の一部をかけているに等しいといえ、それ故にみんな必死だった。

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