2016-02-13

http://anond.hatelabo.jp/20160212235259

軽く調べたんだが携帯キャリア歴史の1つのターニングポイント1992年

1992年には2つの出来事があって

1つはエヌ・ティ・ティ移動通信網株式会社NTT本社から移動通信事業を完全に引き継いだこと。

翌年の1993年にはドコモ設立の運びとなった。

2つめは日本テレコムデジタルホン設立で、

これが1994年ツーカーと共にデジタルツーカー(*1)となり、なお紆余曲折を経て今のソフトバンクになる。

ちなみに1992年以前の携帯CM電話が持ち運びできるということと問い合わせ番号ぐらいしか伝えていない。

当時のことはあまり知らないがどこもこんなものだったのではないだろうか。

まあ当時はかなり値の張るサービスだったと思うので、

金のことなんか気にせずただただ電話ができればいいという好奇心旺盛な人を取り込めればよかったのだろう。

話は戻るが1992年に今の携帯キャリア3極体制の原型が出来、(*2)

まだまだ携帯電話事業に対して市井の人々の関心が今ほど高くは無かった90年代中期。

KDD/DDIグループIDOはまだよかったが、

業界の中核をなす企業でありながら少々ごたつき気味だったドコモ新興勢力デジタルホンは、

まずはブランド認知が早急だと判断したのかインパクトの強いCMを打ち出した。

http://www.youtube.com/watch?v=UcLyd1otlI?t=12s

(当時のCMはみつからなかった)この桑田佳祐が映っている部分が1992~3年ドコモ開始時のCM

「オギャーっと、ドコモ!」のキャッチコピータイアップ楽曲サザンオールスターズの「シュラバ★ラ★バンバ SHULABA-LA-BAMBA」。

キャッチコピーの語感やシュラバ★ラ★バンバの曲調からバブルの残り香のような勢いを感じるインパクトの強さ。

ちなみにブレイク前の岩井俊二監督した同楽曲PVは、

宇宙人に扮したAV女優が乳丸出しでサザンメンバーを襲うという、これまた豪勢でインパクトを残すものだった。

このときイメージキャラクターであった桑田佳祐

現在にいたるまでコンスタントDocomoCMに出演していることからも、このCM重要さは見て取れることだろう。

http://www.youtube.com/watch?v=mTtURP7HF0o

こちらはデジタルホン系列関西デジタルホンが1996〜97年に放送した「しゃべるならデジタルホンシリーズの1つである

クエンティン・タランティーノがひたすらしゃべり続け「しゃべりタランティーノ」という決め台詞をいうと

刑事に扮した千葉真一がキレるという意味の分からないCMで、

視聴者デジタルホンという携帯キャリア存在しか頭に入ってこない。

デジタルホン(現ソフトバンク)の初期を代表するCM記憶に鮮明な人も少なくないはず。

思えばこの2つのCMが昨今の携帯キャリアブランドイメージの源流なのかもしれない。

著名人が奇抜な格好したりショートコントをやってる携帯CM、というものの原型は、

今の業界体制が整うころには既に存在していたのだと思える。

それでも1990年代はまだドコモ広末IDO常盤貴子織田裕二などによる爽やか路線が主流だったが、

IDOはどこにあるの?」というトヨテツのボヤキで幕を開け、

浅野忠信豊川悦司永瀬正敏らによって展開されたAu by KDDIの初期のキャンペーンによって、

携帯キャリアCM=際物なイメージは確固たるものになってしまったのではなかろうか。

(*1):ツーカー存在デジタルホンと足並み揃えたかと思えばKDDI傘下に入ったりそれでもJ-phoneサービス採用してたりとややこしいので割愛したい。

(*2):EmobileWillcomなんかは世代の違いやPHSだったりで特殊存在だと思う。

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