はてなキーワード: メイクとは
笙野と小西の勤務先は、原作は都市銀行と広告代理店であったが、ドラマ化ではドラマ内で両人が頻繁に顔を合わせても不自然ではないように、同じ職場(商社)とした
同じ職場にした方が纏めて撮影できて楽なのはわかるが、こういう小さなところから改変は始まるのだなという学び。
原作では朱里が短大に進学した設定があるが、本打ちでは、同設定に関して、「短大に進学するよりも専門学校に進学する方が近時の 10 代、20 代としてはリアリティがあるのではないか」、(短大進学の原因となっている)「父親のリストラはドラマとしては重すぎるのではないか」等の議論を経て、高校受験の際に、父親が勤める会社が不景気になり、母親から「高校は公立でいいんじゃない?」と言われて本当は友達と一緒に制服がかわいい私立校に行きたかったけど、「うん、そうだね」と笑って受け入れたという設定に変更する旨のプロット案を送信した。
「何故わざわざこんな謎の設定変更を?」みたいな謎改変に至る思考プロセスが詳らかに言語化された日本初の資料だと思う。「本当は友達と一緒に制服がかわいい私立校に行きたかった」のあたりは特に、キャラクタをどう捉えているかが最高によく出ている。
しかしながら、本件原作者の上記返信内容をみる限り、本打ちメンバーで議論した内容・意図が十分伝わっているとは思えない状況であったことがうかがえる。
内容・意図は十分すぎる程伝わってると思う。本当に心底どうでもいいことをわざわざ考えて議論してることを何より誠実に伝えてるプロットとして自信を持って欲しい。
朱里が田中さんにメイクをしたが老けメイクとなり失敗するシーンをカットするか(制作サイドでは、該当女優の肌がきれいすぎるため映像ではうまく表現できない等の理由でカットしたい)等で制作サイドと本件原作者でせめぎ合いがあった。
映像制作レベル低すぎない?ハリウッド映画の特殊メイクしろって訳じゃあるまいし、映像でそのまま見せられなくても演技、演出、照明、カメラワークで何とかしようとしないのか。
A 氏によると、まだ撮影していない旨を回答すると本件原作者から撮影変更を求められるのは確実であると思ったが、A 氏は当該撮影シーンは客観的にも問題ないものだと思っていたこと、及び当該シーンの撮影のために 2 か月にわたってキャスト・スタッフが入念に準備を重ねていたため、撮影変更はキャストを含め撮影現場に多大な迷惑をかけるので避けたいと思って咄嗟に事実と異なる回答をしてしまった。このことは反省しているということであった。
仕事でよかれと思って嘘をつくの、どうしてもあるよね。わかるわかる。
でも自分が助かろうと思ってつく嘘は絶対バレるし、バレた後の処理を考えてないと破滅するんだよね。これ絶対バレた後のこと考えてなかったでしょ。
A 氏の認識では、この時初めて「創作するな」という話が C 氏から言われた。A氏はこの時点でもこれまで同様ラリーを続けて本件ドラマを作っていくのがいいと考えていた。
ここまで来ても噛み合わないの、恐怖を感じる。
C 氏は A 氏に対し、オリジナルで挿入したセリフをマストでなければ削除してほしいと言ったところ、A 氏は、それでは本当に本件原作者が書いたとおりに起こすだけのロボットみたいになってしまうので本件脚本家も受け入れられないと思う旨答えた。
ここまで来ても噛み合わないの、恐怖を感じる(2回目)。
本件ドラマ 5 話のダンスのシーンで使われた音源は、配信許諾が取れていなかったので、配信で使用出来る別の音楽に差し替えた。しかし、セリフで「シャー・ルク・カーンの『マルジャーニ・マルジャーニ』!!」と笙野が叫んでおり、セリフはすでに収録していたため、差し替えることが出来なかった。そのため音楽とセリフの不一致が生まれた。
許諾の有無なんて調べりゃわかるよね。というか調べてるから差し替えできた訳で。
いいものを作ろうと思ってるプロのスタッフが揃ってこんな初歩的なミスを犯すとか不思議で仕方ない。
その際、サントラ盤のジャケットに🄫NTV と記載されていたところ、小学館から本件ドラマのサントラ盤でありドラマの要素を使用しているにもかかわらず、🄫NTV(日本テレビ)のみのクレジットであることはおかしい。販売を延期してほしいという要求があった(CD の中にあるブックレットには本件原作者名を記載していた。)。
著作権者表記だけで、原作付きドラマの権利をどう思ってるかがよく現れていていいと思います。
限られた予算では、大規模な撮影が難しく、美術セットを多くは作れない。こうした場合には、原作とは場所の設定を変更するなどして撮影が行われることがある。
地上波では、残虐なシーン・過激な性表現等に配慮が必要なため、原作のシーンやセリフのカットや変更等が必要になる場合がある。
自動車用品店に「燃費向上グッズ」ってあるじゃん。そんなもんで燃費向上するならとうの昔に各自動車メーカーがやってると思うんですよね。
…という話と同じで、改変してより面白くなるならドラマスタッフよりも先に漫画家なり編集なりが認識してやってるんじゃないですかね。
ほんの10年前の写真でも髪型や眉毛の形やメイクのやり方が異様に古臭く見えて「美しい」とはとても思えないものが多い
そういえばガングロメイク、ギャルメイク、韓国メイクはどんな美女もどんなブサイクも同じような塗りにしてあえて全員画一化させて美女とブサイクの格差を埋める働きがあると思う
でもそれとて10年も経てば美女はやっぱりどんな変なメイクでも美女に見え、不細工は「古臭い」というマイナス要素が加わってより悲惨になるのだろう
平安美人や浮世絵も別に当時はああいう顔が美女と思われてたわけでなくあくまで当時の「二次元美女のイラスト」であり現実の美女の基準とは別物だったらしい
でもノーメイクで服選ぶヤバさと天秤にかけた結果、めんどくさくなって行かなくなるのよ
男もメイクすると気分変わって良いよね
昨今漫画アニメのエロ表現が過剰に露出していると言われる。それは個人的にもなんとなくわかる。
十数年ほど?前、「ふたりはプリキュア」をGoogle検索すると「ふた◯りプリキュア」がサジェストに出てきてしまうという事実を知った時は、子を持つ親として戦慄した。(ちなみに、増田はふた◯りにはまったく興味がなく、検索なんてしたことがないことは一応念を押しておく。)
インターネットはコミケの18禁同人誌と児童書が横並びに並んでいるような空間なので、ちょっと目線を横に振るだけでとんでもないものが飛び込んできてしまう危険性がある。そういう場で、自分を含めてオタクコミュニティの人間が、「ここはもともと俺らの縄張り」と野方図に振舞うのは傲慢だろう。
「もともと」で言えば、学術研究のためのシステムなのだから、と混ぜっ返すことも出来る。
閑話休題。
上の例のような「セックス」を直接的/間接的に表現することに問題があるのはわかるのだが、ただ「露出の多いキャラクター」のようなデザインの問題には、個人的にいまいちピンと来ないところがある。
例えば「水着を来た少女」のグラビア写真のような構図のもの。これは非常に表現が難しいが、卑猥だと感じるものとそうでないものがある。
単に水着のデザインや構図そのものの問題だけでなく、「アニメのキャラ(派手な髪の色、極端なプロポーションのデフォルメ)」が着てると別に違和感がない、という着こなしの問題もあると思う。
現実の人間で考えても、髪やメイクをバッチリ決めたモデルのような女性が着ている場合と、こどものようなアイドルにお仕着せしている場合では、同じデザインの水着でもまったく印象が違うのは普通だと思う。
そういう点でいうと、アニメ漫画のデフォルメの強いキャラクターがある程度露出の多い格好をしていても、「変なデザインだな」と思うことはあっても、卑猥だと興奮したり嫌悪感を覚えたりすることは個人的には少ない。
もちろん、度を超したものには辟易することがある。特にこのごろは人間の骨格のデフォルメというレベルを超えたようなプロポーションで性的な魅力を強調されたイラストを以前より頻繁に見かける印象があり、デザインのための解剖学を学んだ立場としては違和感を拭えない。
一方で、世の中ではまったく規制されるべき表現とはされないが、個人的には苦手で仕方ないものがある。
表情の描き方だ。
これもまた非常に表現が難しいが、目の焦点が虚ろな(多く寄り目がちな)、まるで薬物中毒者のような表情のキャラクター絵がとにかく苦手だ。
いわゆる「アヘ顔」に近いのだと思うが、こういう描き方が性的な目的の表現を越えて、一般の漫画で「魅力的な顔」を表現するのに使われているのをみると背筋がぞくぞくしてなんともいたたまれない気分になる。(余談だが、これは言うまでもなく成人向け同人誌にありがちな表現の影響によるものだろう。)
個々の漫画を攻撃するつもりはないが、最近見かけた(より微妙な)例で言うと、「税金で買った本」という漫画が、一般向けのお仕事漫画のような内容でありながら、癖の強い表情の描き方で受け付けない。
この作品を特に上げるのは、「下手ではない」ということは確実にわかるからだ。デッサンも仕上げもハイレベルで、絵がとても上手い。ファンも多いのだろう。しかし、その技術力を使って追及している絵の魅力の方向性が、何か作品の物語、設定の方向性とズレているように感じる。
まあ、それで売れている以上は、自分には合わなかったというだけの話なのだが、個人的にはこちらの方が、単なるデザインの露出問題よりも、上の「ふた◯りプリキュア」のようないたたまれなさに近いものを感じる。
と突き詰めてみると、自分が嫌悪感を感じるのは日常的ではない、普通は恋人でもない人のそういう姿を見ないというような部分を露骨に表現された時なのだろう。
単なる水着(薄着)でバッチリ決めた人は、夏になればどこでも見られるし、人間というのはもともと裸なのだから、それだけでなんということはない。
しかし、普通近しい人にしか見せないような性的な部分への言及や、媚びるような表情を描くのは「自重されるべき表現」と感じるし、そういう「描写」(言葉、表情、デフォルメによる強調)を一般的な表現のように持ち出されることが何より苦痛で仕方ない。(これこそ「ポルノ的」と言える表現の条件だと思う。)
とかく「規制」というものはわかりやすく線を引きやすいところでされがちで、だからこそ肌の露出面積のような物理的に判断可能な基準ばかりが先行しがちだが、そういう杓子定規な処置が人間の本当の苦痛を取り除くことは、どこまで行ってもないのではないかなあ。
フェミニストを名乗るなんておこがましいと思ってるけど一応、フェミニズムの片隅にいるものとして。ひと言だけ。
女性性の尊厳は自由にしていい、という性的な固定観念のままに、一方的に女性をまなざすのは、いい加減勘弁してほしい。学校のプールでは長袖の水着を着させられてるんですよ。実質的に、まなざされもせず/消費もされてない(こっちはゾーニングしてるのに!)という特権性に甘んじてセンシティブな側面を踏み荒らされ心理的安全性をないがしろにされるのが許される時代じゃない。結局
クレジットカード会社という外圧頼みだった件については溜息しかない。自浄とか最後まで無理だったなあ、としか。……でも反省するというなら話は変わってきます。
LGBT に配慮しろとか言いながら、自分たちは女性だけを選択的に殺す。そんな人たちを助けるなんて自傷行為ですので。
追記・女性の文化を見下してるからメイクとかのセルフケアも取り入れず、なのに「不幸率ガー」 と嘆いてる時点で失笑だし、そもそも「男らしさ」とかいう古臭い性役割を降りれば話は済むんじゃない? 下駄履いてる既得権益はキープなのに救済団体用意しろとか、逆に過保護に慈悲的差別されてない? とか色々思うところはあるけど、全部脇に置いた最小限の条件❶❷だから、そこんとこヨロシクね。
自分の好きだった左目の二重がいつの間にか一重になってた。ショック。
右目も元々二重だったのが一重になったが、ついに左目も逝ってしまった。
20代半ばの男がこんなことで思い悩むのはレベルが低いことだとわかっている。けど仕方ないじゃないか。自分は精神年齢が遅れているのだから。大学卒業のタイミングでやっと身なりを意識するようになった。社会人になって自分の顔のコンプレックスに気がついた。社会人になって美形が羨ましいと思うようになった。社会人になってピアスを開けたいと思うようになった。
なんにも集中できない(仕事中の今だってこれを書いている)。一日に何度も鏡見てる。「二重が一重になった」で検索してはブラウザを閉じるを繰り返している。このせいでもっと自分の顔がダメになってしまう…にしても一or二重でこんなにも違う。両目この酷い一重は耐えられない。
トランプの絵札に書いてある顔の二重まぶたをまじまじと見てしみじみする有様だ。
加齢による皮膚のたるみだと理解している。手軽にできる埋没よりも糸リフトだろう。整形なんてする度胸もないくせにググりまくってる。
以前からメイク系YouTuberをよく見るが、必死にアイプチしてる女子、「今日の目のコンディションは…」「朝起きた時とか下向いた時一重に...」って軽く言っていた人たちはこんなショックを受けていたのだろうか。
メイクなんて自己満でしかないから、自分に自信が持てるように、もっと好きになれるようにやればいいだけで周りはそんなにみてないんじゃないかと思う。だから変に強迫観念にとらわれてやる必要もないんじゃないかと。
そうそう
何とかすべきだよな
どんなメイクだろうが互いに受け入れあった方が楽なのに
目が悪いのか興味がないのかわからないけど化粧が全くわからない
俺は男で化粧がわからない人間なんだけど、ほんとにマジで気が付かない。化粧してるのかもわからない。
色の薄い口紅だったらつけているのもわからないし、ニキビをコンシーラーで隠してたって言われてもわからなかった。何ならすっぴんと化粧アリのビフォアフでも(ああここにニキビがあったんだ)くらいしか思わなかった。もしくはその子がすっぴんで十分出来上がってる美人だった可能性もある。
時々TikTokとかで流れる変身メイクくらいになったらわかるんだろうけどそこまでいかないと全くわからない
髪とかロングからショートになるくらいじゃないとわからない。背中まであるロングの女が5センチ切っても誤差だろ。気がつかないよ。
メイクはマナーとか言ってるけど気が付かない俺にとっては、メイクなんて自己満でしかないから、自分に自信が持てるように、もっと好きになれるようにやればいいだけで周りはそんなにみてないんじゃないかと思う。だから変に強迫観念にとらわれてやる必要もないんじゃないかと。
まあ俺が例外なだけかもしれないけどね
私は一応フェミニストの端くれ。
先生方には及ぶべくもないけどフェミニズムを思想として活動してるアカウントです。
専門外だけど、弱者男性の救済になるように動いたことがあります。
男性は統計的に※ ケア能力が低いことが知られていて、にも関わらず一部の男性は女性文化を見下してます。
女性のやってるような女々しい事をやってられるか、とばかりに拒絶するんです。
それでいて「男の不幸率は高い」とおっしゃる。
だけど弱者男性になんとかセルフケアとしてのメイクを勧めようと働きかけました。
男性のミソジニーが悔しかったのが大きいけど、頑なに不幸から抜けようとしない人たちがもどかしくて。
それを聞かせてくれよ
※ 男女の脳には違いがないと証明されてるようですが。
ごく単純な話としてさ。
モデルでも芸能人でもない、ごく一般の社会人のくせして、化粧だとか美容だとかっていう自身の能力に紐付かないものに投資してる時点で、女っていうのは社会的能力の成長の機会が男よりも少ないわけじゃん。
肌のケアとかいって顔面パックしてる間に資格の一つでも取れば良いものを、自分でその機会を潰してるじゃん。
だからなんだよね。社会進出できない女がいまも多いのって。だから男に社会的能力で負けるんだよ。仕事ができないんだよ。だから女特例で下駄履かせないと昇進できないんだよ。
化粧?いらんいらん。金の無駄や。
美容?知らんそんなもん。犬にでも食わせておけ。それより知識の一つでも入れんかい。
髪なんて伸ばしたら場合が。時間と資源のムダや。余計に髪伸ばして行く先々に抜け毛を撒き散らしおって。掃除代払えやアホどもが。剃ってこい。
いったい大学で何を学んできたわけ?大学は婚活会場じゃないんだよ。ほどほどの大学に入って良さげな男を探して、あとは四年間遊ぶとかナマ言ってんじゃないよ。汗水垂らして勉強する場所なんだよ。それを勘違いして遊び倒して、単位足りないとかいってあちこちに泣いて回るゴミカスどもめ。真面目にやってれば単位なんて落とすわけないだろ。必修が足りないとか頭足りてねぇんじゃねぇの。そのくせそんな武勇伝をネットに撒き散らす知能不足女がデカい顔をするインターネット。社会。全部ゴミです。
こういうことを言うと、"清潔感" がないと仕事ができないとかのたまう輩が湧いてくる。まぁ不潔な人間には仕事ができないというのは同意するが、しかし化粧をしないと仕事ができないというのはどういう価値観なんだ?そんなことに時間を浪費している人間も、それを強いてくる人間も理解できない。どうやら男女問わず化粧をしてこない女を迫害する者もいるらしいが、まるで理解できない。理解できないというのは、迫害する側、迫害される側両者に対して言っている。される側は、そんな迫害は無視して結果で黙らせればいい。迫害する側は、それを強要することが生産性を落とすことを理解していない。そんなんだから生産性が低いんだ。
そんな意味不明な行為を、最近は男にも強いようとするものがいるらしい。やれ男は不潔だからメンズメイクをしろだとか。美容に気を配れだとか。とても正気とは思えない。
これは、要は男にも無駄な時間と金の消費をしろという要求だ。私たち女は損をしているから、同じだけの損を男にもしろと言っている。仲良く損して男女平等というわけだ。アホか。まともな頭があれば、損をしている側を救済する、すなわち女が化粧をしない側にシフトするのが当然だろ。
いま清潔感がどうのこうので男を叩いている女どもは、そのままでは生産性で男に敵わないから、男にも損させようとしているだけだ。敗北宣言だ。そんなことしている暇があるなら、お前たちも化粧をやめて自己投資しろ。
どんな気分になるのか体感してみたいよ…。
でもさ。
「ルッキズムへの加担…」
「ルッキズムへの加担…」
…という念仏が頭の中に流れ出すんだよ…。
女性をはじめとするメイクユーザーが、どうやって葛藤を、ルッキズムへの加担という非難を乗り越えてるのか知りたい。
オレは
「ルッキズムが自己完結してるならOK」じゃ到底納得できない。
だって化粧してるのは周りにバレるし、化粧してる人が多いから化粧する、それが同調圧力だろ?
「他人の見た目なんて気にしませんよ」って言ってきたら信用できるか?
できないだろ。
顔を気にする人たちが集まった社会が、他ならぬ、化粧圧力のある社会だ。違うか?
無言の圧力をかける人が100人集まれば、氷山の一角の5人くらいは有言で圧力してくるだろうさ。
氷山を下から支える氷に加わりたくない。
加担したくない。
うらやましいな。
自分は増田と同じで私自身も旦那もとくに結婚式したくない派だったけど、親族の希望で2月に結婚式をした。
まじで興味がなかったから、基本的にシンプルにしたけどとにかく準備が面倒くさかった。
周囲からの「おめでとう」は喜ばないといけないプレッシャーに感じて苦しかった。
メイクしてくれるお姉さんやお花を選んでくれるお姉さん、式場のスタッフとのやりとり、仕事でもないのになんでこんなめんどくさいことをしないといけないのかってただただひたすらに苦痛だった。
ウエディングドレスを着たとき、着たことで喜ばないといけないストレス。
言われるがままに歩いて、誓いのキスをして(人前でなんかしたくなかったのに)、誓いの言葉を言って、
手を組むタイミング、歩くスピードや方向転換の場所とか、もうただのお遊戯。
わざわざ金だしてつまんない作業させられて、当日は幸せいっぱいです!ってアピールする苦痛の時間。
いろんな人に「おめでとう」って言われて笑顔で「ありがとう」っていう虚無さ。
ディズニーランド行っても楽しめない人間だから(富士急とかのほうが楽しいと思う)(ミッキーとかの気ぐるみに喜んでる人の気持ちがさっぱりわからない)