はてなキーワード: 聡明とは
10年ツイッターをやっていたら一部のフォロワーがゆっくりと限界人間になってきた anond:20240505130439
元記事は同世代のフォロワーを分岐による無常で見ているが、自分の場合はかつて輝いて見えた年上の人がすっかりダメになってしまった、というパターンで最近悲しみを覚えている。
今時子供がネットをやってるなんて当たり前の事だが、当時はまだスマートフォン社会ではなかった頃で、インターネットをやってる小学生なんてなかなか周りで出会えなかった。そんな時代。
暫くしてまだ「最近出てきた新しいホームページ」だったTwitterにアカウントを作ると、必然的にフォロワー全員は年上だった。それも2、3個上とかではなく、10も20も上という人ばかりだった。
現実世界ではとても対等に話せるような年齢の人ではない人ばかりと話す事が出来たので、相手が大きく見えて常に恐縮だったし、なんだか自分も大人になったような気がした。
「あの頃とても大きく見えたお兄さんお姉さん」だった彼・彼女らの殆どは、どちらかというと悪い意味で変わっていないか、悪化したかだ。
その人が20代ぐらいの頃はさほど気にならなかった言動も、年を重ねるごとに「この人30過ぎててまだこんななのか」「もうこの人50ぐらいじゃなかったか?まだこんな事言ってるのか?」という負のブーストがかかってしまう。
加えて、自分より年下の10代からハタチそこそこぐらいの今時の子たちは、かなり聡明な子が多い。
そんな若い子たちを見ていると無意識に比較してしまい、余計にその思いが強まってしまう。「私より年下の子ですらこんな聡いのに……」と。
オタク友達としてフォローしたはずなのに、いつの間にか性犯罪の話しかしなくなったフォロワーが何人いることか。
まあ、性犯罪は悪い事だというのは正しいし、男女平等だったら良いねというのももっともなのだが、だとしたらせめて、フェミニズムに真剣になったらどうだろう。と思ってしまう。
真面目に活動とかするなら分かるんだけど、やってる事は誰かのツイートをRTして仮想敵にぷりぷり怒ってるだけという感じで、なのに「自分は真面目に社会問題に取り組んでる!」と思っているのが悲しい。
あと、彼らは本当にインターネット歴が長いのか謎なほど、ソース確認意識が弱い。
例えばヤフーニュースの見出しだけ見て連投で怒り出したりするが、記事を開いて中身を見ればそうじゃないのはすぐ分かるのに。みたいな事が多い。
特に去年多かったのが、「イーロン・マスクが次はこんなクソ改修をするぞ!」を焦って拡散し、結局ちょっと調べればデマだと分かる、というようなやつ。
いや、見出しで釣りあげようとするニュース記事も実際にトンチキ改修を結構しがちのイーロン・マスクも悪いけど、それよりインターネット何年目よ。
デマを拡散したり、扇動的なツイートに簡単に釣られたりする人をTLに残すのは危険だ。
あまり酷いようだと本人もミュートにしたり、最悪フォローを外す。10年来の仲でも簡単に切れてしまう。
無害なだけで残念に感じる事は他にも色々ある。
40代になっても「良い高校出身なんだ!」と自慢してくる人(しかもこういう人に限って言うほどの名門ではない、地元ではちょっと上の方ぐらいの高校)
40代になっても毒親に虐げられた話を延々と続ける人(しかもこういう人に限って言うほどの毒親ではない、どのエピソードを聞いても口調がサバサバしてる以上の問題行動が出てこない)
三十路越えてソシャゲ運営のいちいちの動きに一喜一憂しヒステリックになり癇癪を起こす人(「きっとこういう事情があるんだろうな、残念だけどしょうがない!」と割り切ってる10代がすぐ上に居たりすると悲壮感が凄い)
など、挙げれば例は尽きない。
これが悲しい事に、同じ年代の人が皆そうという訳ではなくて、例えば仕事でそこそこ自己実現出来ていたり、オタク仲間で絵を勉強して今やイラストレーターとして食えてる人とかは、かなり人格的にも安定し、上記のような事が起きない。
トラバ元の記事では、ライフステージが進行した者としない者の対比を描いているが、「結婚しているかどうか」は自分の感じる体感では実のところ微妙だ。
というのも、結婚してからクソ旦那系の話題にしか飛びつかなくなってしまった人とか、逆に結婚相手に過度に依存してしまってメンヘラみたいになってしまった人などもいて、精神の安定と結婚の有無はあまり関係ない気がしてきている。
皆「大した事してないけどなんか適当なインターネットしぐさをする事で社会活動に参加してる風ムーブ」をしなくてはならない何かを抱えてしまっているのだろう。
けど、今から取り返そうという努力をするでもなく、新しいものも吸収しなくなる、好きなものの話はいつしかしなくなり浅瀬の知識もないニュースの話だけ、どんどん話が合わなくなる。
あなたは「Aという、何の根拠もなく、なんとなく『それっぽい』というだけの理由で広く信じられている話」を否定しようとする。
Aのような、何の根拠もないのにみんなが信じているやっかいな作り話はネット上にそれこそ雨後の筍のように溢れている。今日も今もこの瞬間も生まれ続けている。
こういうものを否定しようとしたときに、あなたはいつも困難を感じる。
それは何故かというと、Aという「何の根拠もない話」を「否定するための根拠」を挙げなければ、人は一度信じた話を疑うということが出来ないからだ。
相手がある程度論理的な人間だったらまだマシだ。「Aだったらこういう矛盾がある」という、論理学でいう「反例」をひとつ挙げれば十分だからだ。
実際には、それでも「無闇に信じるのではなく疑いを持って見る」という程度にしか相手を変えることができない方が多いかも知れない。
非常に聡明な人間をしても、「そもそも根拠なく信じていたこと」に「全く根拠がないのだから完全にデマだと思って見る」というほどの信条の変化を起こすのは困難なことなのである。
更に悪い場合、相手が「反例」という概念が理解できない。ある理論が矛盾することを示す例が一つあれば、その理論そのものが机上の空論であり、なんの信頼性もないものであるということが証明できるという、論理学の常識がない。
のみならず、自分が何の根拠もなく信じていることを否定する話にこそ、100%の、何の瑕疵もない証明が要るとすら考える。
「Aが矛盾する」ことを示すために「Bという可能性もある」というような話をすると、「Bが正しいという証明をせよ」と迫る。こちらが言いたいことは「Bと同じ程度、あるいはそれ以下にしかAの信頼性もない」というくらいのことなのに、そういう微妙な理屈はバカには通じない。
一度Aという理論を「なんとなく」の雰囲気ででも信じてしまったら、100%絶対の信頼性を持ってBという別のストーリーを証明しない限り、思い込みを絶対に変えないことが、そういう奴らには「賢くて疑い深い」とすら自己認識されているのだ。
デマが広がる理由、衆愚が衆愚たる理由はひとえにここにあると言っても良いくらい、これは根源的で如何ともし難い愚民社会の病巣だ。
頭が悪いということは、「反例が理解できない」ということ。「証明」という概念に対して、狭く幼いイメージしか持たないこと。
知性というものに対して低いレベルの理解しかしていないからこそ、バカは自分がバカだと気づかず、いつまでもバカのままでいる。
自分が何を信じているのかを客観視出来ないバカは、自分が何を疑えているのかも正確に理解することができない。
デマにハマっている奴ほど相手をデマ呼ばわりするというのは、つまりこういうことなのである。
そのうえでヤカラ諸君にはその子のことを単なる肉便器として侮っていてほしい。
”清潔でとにかく無口でテンション低いのが平常運転だけど、自分の価値をわかりきってる美人”
が合意の上でそういう男に股を開いて、ハメ撮りや乱交も喜んで受け入れる・・・・・・
そんなシチュエーションに何よりも興奮するんです私は。
多分、中学時代の経験がこういう性癖に影響を与えているのだと思います。
メガネ黒髪無口なのにもかかわらず学年No.1人気があった憂いのある美人の同級生が、学校最凶と悪名高かったヤンキーの同級生と付き合っていたんです。
「非常階段の踊り場でバックでヤったw」とヤンキー君が男連中に自慢してたらしいのを小耳にはさんでほんと最高だったし感謝感激だったんですよ。
贅沢いえば……
「反社・ヤカラにいいように肉便器にされそのことを喜んでいたのにもかかわらず、
大企業勤めの同年代とシレッと結婚し落ち着いた聡明な美人の家庭人として豊洲や二子玉や品川や小杉のタワマンに住む」
そんな締めくくりであってほしいものです。
とにかくですよ?
一見すると関東連合と区別つかないようなヤカラの皆さん(できれば学歴弱者の前科持ちであってほしい)は、どんどんこういう女性にアプローチしていってほしいんです。
そうしてくれると私、ドピュッドピュッと良く精子を出すことができるのであります。はい。
余談ですけどねえ。
「この手の女子は才女、育ちが良さそうに見えるだけで実は反社の情婦がお似合いのアッパラパー」
むしろ彼女ら女子校で学年生徒数少ないのに例年東大何人も受かるような中高一貫校に中学受験で入ってたりして、私立専願ながらちゃんとお馴染みの難関大出てたりするんですよ。
受験生時代から英語と世界史が妙に得意だったりしちゃってね!!
それなのに、それなのに……
大学進学後、男なんかに影響されて腹や尻にタトゥー入れてみたり、乱交(反社様やヤリサー幹部様、複数の強き者から求められる悦び)に忌避意識なかったりしてもう最高。
なんのための実家暮しだあ!笑
「6年前」「小学生の頃」に紛失したニンテンドースイッチを発見 パワーワードの連続に「時空が歪んでいる」
はあ……
パワーワード←嫌い
時空が歪んでいる←嫌い
「Switch買ってもらった小学生がもう高校生なの…?」←大袈裟過ぎ
「小学生が高校生になってる事実の方が怖いんだけど」←大袈裟過ぎ
嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い……
無論「もうそんなに時が経っちまったのかい!」とびっくりすることは誰にだってあるだろう普通の感想だ
折に触れてお思いになるでしょうねと思う
聡明さを感じない
奇怪なものに感じる
私は、こういった自分にはとうてい受け入れられないシロモノを正したいのだろうか?…いや違う
私はただ怖いのだ
周りの人々がそれをたやすく扱えるようになっていく一方で、自分はいつまでも独りぽつんと取り残されるのではないかと
人は普段どんな会話をしているんだろう?
おかあさんへ
あたたかな日差しが段々とギラギラとしたものへと変わりつつありますが、お元気ですか。
突然こんなお手紙を送り付けてきて、とても驚いていることかと思います。お話したいことがあったのですが、なかなか会った時や電話では上手く話せる自信がなく、LINEというのもなんですからお手紙にしました。 ずっと言おうとは思っていたのですが、情けないことに公務員試験の勉強が全く進んでいません。何故かというと、心の調子を崩してしまったからです。おかあさんもご存じの通り、私は妙に考えすぎる性質で傷つきやすい心の弱い人間です。ちょっとブルーになることくらいなら21年生きてきてよくありました。しかし、昨年の夏の終わりごろから眠れない夜が増え、どんな日でも床に転がって天井を見つめることしかできないようになり、これは生活に支障をきたしているという自覚が出てきました。大学のカウンセリングを利用したところ、専門機関の受診を勧められ、現在カウンセリングとメンタルクリニックに通院しています。病院の先生が言うには適応障害(不安障害・うつ)になるらしく、服薬もしています。おかあさんは薬があんまりすきじゃないから嫌がるだろうなあと思って黙っていました。でも、よく考えたらおかあさんの社会保険で受診しているし、仕送りで貰ったお金を支払っているので、きちんと伝えるべきことでした。ごめんなさい。
今は朝起きる、カーテンを開ける、ご飯を食べる、皿を洗う、お風呂に入る、眠る、そういった何気ない生活で精いっぱいです。やりたいことを考えてうきうきしたり、映画や小説を楽しんだり、明日を楽しみに眠ることがなかなか難しくなってしまいました。引っ越したことは良かったと思っています。日々のルーティンを改めて少しずつ作ることで、なるべくゆっくり丁寧に一生懸命生活することが出来ているような気がします。今までの手を伸ばしたらすべてに手が届くような小さな城にずっと籠城していたら、多分私はカーテンすらあけられていないでしょう。
とにかく今は卒業を目指して必死に生活を続けていこうと思っています。将来は全く分かりません。来月には急に元気になって勉強をバリバリするのかもしれないし、一年後も同じように立ち止まっているのかもしれません。でも、とにかく生活を続けて生きていきたいのです。おかあさんはいつも私のことを聡明だと褒めてくれました。私はそれがいつもうれしくて、おかあさんやおとうさん、おにいちゃんにとって自慢の家族でいたいと思っていました。それは今も変わりません。でも、今の私には私が愚かでどうしようもない化け物に見えてしまって、気持ち悪くて仕方がないのです。
以前アイラブユーの翻訳について話したことを覚えていますか?おかあさんはそのとき、「果物あるよ、食べる?」だと言いました。私とおにいちゃんの健やかな生活が一番の願いで、愛だとおかあさんは言いました。それがどういうものなのか最近ゆるやかに理解できつつあるような気がします。無気力なこの日々の中でも、おかあさんおとうさん、おにいちゃんにごんちゃん、友人たちや推したち、私のすきな人々が皆健やかで幸せであることだけは確固たる願いとしてあります。そして、同じように自分の安寧を願うことができません。とにかく今は、私が私という化け物をおかあさんと同じように愛せるようになるまで、立ち止まるべきだと思っています。なかなか難しいことかもしれないけれど、自分のことを第三者と一緒に分解して見つめ直すというライフステージなのだと腹をくくるしかありません。私がこうなってしまったのは誰かのせいというわけではありません。元々私は脆弱な人間で、今までの大学生活というか、この21年間身の丈に合わない無理をしてきたんだと思います。
これは決して将来を諦めたわけではなくて、がんばる器量はあるのだということだと思っています。スマホのバッテリーが段々消耗して充電が完璧でなくなるように、私は今がんばる気力すら賄えない状態なのです。本当に情けない娘ですが、どうかこれからも見守ってもらいたいです。このお手紙をしたためたのは、おかあさんに気を遣ってほしいわけではなく資金面での義理を果たすためです。これからも私のことなんか気にせず、笑ったり踊ったりしていてほしいと思っています。でも、やさしいおかあさんがこんな手紙を読んで気に病まないわけがないと心のどこかでは分かっていて、この手紙は資金面での義理を建前とした私の懺悔なのだと思います。大学のカウンセリングの先生とおかあさんが話すこともできるそうなので、考えてみてください。このことをおとうさんに共有するかはおかあさんに任せます。呆れて怒るかもしれません。というか、今おかあさんが呆れて怒っているのかもしれません。どうか何か伝えたいことがあればお手紙でお願いします。
おかあさんが悲しむことと、おとうさんに怒られることがなによりも嫌だと思っていたのに、こんなことになってしまって本当にわけがわかりません。本当に自分が嫌になります。身勝手なことばかりしてごめんなさい。家族のことは大好きだけれど、多分お互いにとって良いことがないのでしばらく帰省はしないと思います。 今年もおかしな気温になりそうなので、おかあさんも熱中症には十分気を付けて良い夏にしてください。お酒はほどほどにして、どうかおかあさんらしく過ごしてください。
ガンリンはよくあるアンフェだけど、闇が深いのは発端となった呉座先生よね
幸せ絶頂のはずなのに「女に学問いらんだろ、どうせ理解ある彼くんに養われるだけ」「女の学者は遊びでやってる」といったアカデミック女性叩きをスタート
若くて可愛く聡明な女と結婚できたものの、妻は御しやすい女ではなかったのだろう
それでムカついたのかほぼ妻を名指ししたような愚痴をするようになり、愚痴がいいねされ、いいね稼ぎのためにエスカレート
さえぼう叩きもやるようになり、女性全体への差別発言とセットで問題となり、大河の考証担当から降板され勤務先の大学で懲戒処分を受けた
さえぼう叩きをやっていた時代にはTwitterは鍵垢にしていたので、「プライベートな内輪の発言が漏らされただけで、公で名誉毀損する意図はない」としていたが
鍵垢とはいえ4000人フォロワーがいる中で、4000人でさえぼうへの陰口を楽しむという異常な状態だった
悪口言ったぐらいでキャンセルカルチャーするなとアンフェらは呉座擁護に励み、その中で一介の駆け出しの学者だったガンリンは学問そっちのけでアンフェ活動にまみれて大学に解雇された
ガンリンは30すぎ独身非常勤というまだ何者にもなっていない人で、そういうのがアンフェで身を持ち崩してもまあよくある話
呉座は学者として評価が高く、著書はベストセラー、もちろん金は十分にあり、嫁は若く可愛い、と恵まれているのにああなった
なくすものがいくらでもある強者男性が何故いいね集めに夢中になってせっせと中傷してしまったのか
特許は切れてるってのは知ってるんだけど、でも特許切れを待って、切れた途端にパワプロとほぼ同じシステムで出してきたウマ娘には疑問を持つし、
それとこれとは別だと分かっていても、コナミの訴訟を特許ゴロと批判する人達が、同じ口でAIを批判するのを見るとやっぱり疑問が湧いてくる。
ぜーんぜん違う問題だってのは分かってるけど、片方は合法だから問題ないからOK(倫理観は問わない)、
もう片方は倫理観に問題があるから駄目(合法違法は問題としない)と言うのはあまりに自分勝手過ぎると思う。
それはそれとして、決して上手くはなかったけど味があって好きだった絵描きさんがAI絵師に転身したのを見てるので、
もう解決するには「赤ちゃんの買い取り」ぐらいしか思いつかないんだけど、聡明なお前らならどうすればいいとか考えある?
新生児のDNA検査させて両親の確認が取れたら双方に1000万円ぐらいあげてさ。
■追記
生まれたら◯◯万円!小学校入学で◯◯万円!とかいうと育てなきゃならん。
anond:20240305210310 これを書いた者です。
予想以上に構っていただけたこと、また示唆に富むコメントをたくさん頂戴したことが嬉しかったので、追記します。
性別: 女
その他:
・性的にやや潔癖な方だと思う(なので特筆するようなことじゃないかもしれないけど、交際人数≠性交渉の経験人数です)。肉体関係から始まる恋愛はしたことがないので、かなり抵抗感がある。
・友人はまあまあいるが、こういったことで悩んでいるのが周囲にバレると恥ずかしいため、この件に関しては特に言っていない。
恋愛経験: 経験がないという旨を本人の口から聞いた(取り立てて検証はしておらず、検証手段もないため、真偽不明)。
その他:
・大学院で同じ授業をとっていたため、そこで知り合った。
・研究室は私とは別のところ。
⇨おっしゃる通り!!!いつか腹を括らなきゃとは思ってるんだけど、自己愛からか傷つきたくないって思いが先行しちゃう。みんなこんな辛いこと乗り越えて、人に好意を伝えてたの?だとしたらすごすぎる。
(私は煮え切らないことをぐちゃぐちゃと書いている時点でだめです…)
⇨目から鱗だった。身近な人間がシスヘテロばかりだったので、その他の可能性を考慮したことがなかった。でも性的指向や性自認について聞くのって無理じゃない?カミングアウトの強要になりかねないし、なんとなく察していくことしかできないのかなって思った。どうしたらいいんだろう。
⇨大きい話だからいまいち実感は湧かないけど、言い得て妙だな、と。「ぬいペニ」という強い言葉を初めて知った時、酷い話だとは思いつつ、こういうことってありうるなと感じてしまう自分もいた。その上で、自身にもそれが適用されるかもしれないことがものすごくこわくなった。みなさんが指摘される通り、多分恋愛においては、言うか言うまいかみたいな葛藤って普通の段階なんだろう。友人からの好意の「露出」について、ある種加害性を持つものとして「ぬいペニ」という明確な名前が与えられたことで、そしてそれを知ってしまったことで、過度に怯えている側面はあると思う。
⇨不快に感じた方には申し訳なく思います。上記の通り、本人からそういった主旨の話を聞いていた。表現については、わざとキモさを狙って書いた面もあるし、重苦しい執着心が無意識に出ていたとも言えるかも。ただ決して相手を見下しているつもりはないし、私1人が心乱されている現状を踏まえると、見下すなんてできる立場にはないです。
受け身の恋愛ばかりしてきたのが全部裏目に出てるな、とつくづく感じる。これまでの報いを受けている感もある。色々な意味で、自分の未成熟な部分が、マイナスに作用しているのを目の当たりにするのは苦しい。
でも、実際会うってなって、服を新調したりちょっとメイク変えてみたりして、浮かれてる時間はやっぱり悪くないなと思う。一緒に遊ぶのは、もちろん最高に楽しい。子供っぽいことだけど、辛いのと楽しいのが一気にきて情緒がおかしくなりそうです。ずっとこんな調子。
ひとまず、今回は色々なご意見うかがえてとても勉強になりました。
とりあえず頑張って前に進んで(場合によっては綺麗に引き下がって)、後悔のないようにしたいな。
何かと言うと、10年ほど前にとあるセンセーショナルな事件があった場所を見に行ってきたのだ。女子高生による同級生殺人事件である。今回は、そのレポとそんな悪趣味な聖地巡礼を決行するに至った経緯の2点を、書き手である私の過去の自語りを多大に含めながら書いていこうと思う。事件の現場を特定して見に行ったイチ野次馬の実録として読んでもらえれば幸いである。
はじめに言っておくが、私はこういった事件が起きるたびに容疑者の地元は出身高校は云々……と嗅ぎ回るような野次馬ではない、とだけ表明しておく。しかしこういった行動に出ている以上、完全否定はできないところはあるが。
はじめに、その事件の内容を説明する。2014年に起きた、女子高生による同級生の殺害事件である。当時15歳の加害生徒Aが、同級生であるBさんを自室に連れ込んで絞殺。動機は「体の中を見てみたかった」「人を殺して解体してみたかった」といったものだった。(以下、それぞれ加害生徒=A、被害生徒=Bさんと表記)
事件の具体的な名称・地名については関係者に迷惑をおかけしてはいけないので伏せさせていただいたが、手口が特徴的なため、調べれば聡明な読者諸君においてはすぐピンとくるであろう。
事件の現場となった場所は、事件発生からほどなくしてネット上では特定されていた。私は現場となったマンション名をgoogleマップで検索、自宅からのルートを検索し向かった。
(ちなみに事件現場のマンションは、事故物件掲載サイトの「大島てる」さんにも掲載されている。Aの実家も)自家用車を走らせ、現場に到着した。所要時間は割愛させていただく。
現場は国道に面しており、すぐ近くには駅や大きなアーケード街があった。駅が近い故か、市営のコインパーキングが現場マンションの向かいにあった。車をそちらに止め、徒歩で現場に向かった。
ここで、あらかじめ大事な前提を記載しておく。現場の敷地内には立ち入っていない。
敷 地 内 に は 立 ち 入 っ て い な い
そこまですると流石に不法侵入になってしまうので、面した道路から歩いて観察するだけにとどめた。私もそんなことでお縄になりたくないので、その点はご理解いただきたい。
現着し、まずはマンションの外観を観察してみる。10階建てでおそらくオートロック。今ではどの部屋にも人が住んでいる気配がある。現場となった5階にもまた、どの部屋にもカーテンがはまっていた。10年も経ってしまえば、その近くの人々の生活もすっかり元通りのはずだろう、という考えが自分にはすっぽり抜け落ちていたことに気づかされた。
マンションの裏手には駐車場が2台分ほどある。ただしもしかしたら、隣のビルに入っているクリニックの患者用かもしれない。駐車場付近から見上げると、当然マンションのベランダが頭上にずらっと見える。AはBさんの殺害後、証拠隠滅のためにスマートフォンを5階のベランダから投げ落としたのだという。彼女のスマートフォンが落ちていたのはこの辺りだろうか、と思いをはせる。
駐車場からさらに路地を入ると、住宅が斜面に立ち並んでいた。ここから先は進んでいない。途中で引き返したのは、非常に坂道が急でその後の体力を考慮したためだ。この町の特徴的な地形ではあるが、国道から一本細い路地に入っただけで急峻な坂道になる。西側には海があり、その海岸線近くまで山地が迫ったこの街の地形故だ。
マンションに数秒黙祷し、周辺の探索に移った。国道の向かい側には小さな商業施設があり、昔ながらのブティックを中心に、1フロアだけのイオンやダイソーが入っていた。ブティック中心だからか、店内は年配の女性が多い。日本のどこにでもある、田舎の商業施設の風景に心が安らぐ。商業施設の1Fからはアーケード街に通じており、今どき珍しく賑わいのある商店街が広がっていた。雰囲気で言うなら、福岡市天神の新天町商店街にかなり近い。
商店街は今どきのカフェや居酒屋といった飲食店から、昔ながらの八百屋にかばん屋、チェーン店のドラッグストアにアニメイトまであった。筆者は商店街と言えばシャッター街と化した薄暗い故郷の商店街しか頭になかったためまあまあ驚いた。にぎわうアーケードの喧騒の中で、AもBさんもここで一緒に買い物を楽しんでいたのだろうか。楽しい時間をすごしたのちに、あのような凶行に及んだのだろうか。そんな、彼女と一緒にお出かけを楽しんだ後にお持ち帰りして夜はムフフなことをして、じゃないんだから……と下世話で邪な形容をした。凡人かつ俗物の私にはそういった想像が限界だった。勿論、真相はAにしかわからない。
横断歩道を渡り、マンションのある側に戻る。国道沿いに北西に進むと、5分もせずに県の弁護士事務所が見えた。Aの父は敏腕弁護士だったと聞く。Aの父は、Aの母が亡くなった後まもなくして若い女性と再婚した。それがトリガーになったかは知らないが、2014年3月にAは父の殺人未遂事件を起こしている。Aと一緒には住めないと判断したAの父は、Aの戸籍を外してAの祖母の養子にし、マンションで一人暮らしをさせることに決めたという。この事実だけ見ると父親もAの扱いに手を焼いていたのと同時に、法的には娘を切り捨てた薄情者、という印象を受ける。
しかし、現地を歩いてみると、現場の近くには県の弁護士事務所があり、父の職に大いに関係していたであろう場所がある。2014年当時からあったのかはわからないが、もしかしたら父は、自分の業務で関わることの多い場所の近くに娘を住まわせようと、ひいては見守りたい意思があったのかもしれない。娘のために駅の近くかつオートロック、自分の職場からも近い賃貸物件を見繕って用意してあげていたのかもしれない、と思いをはせる。やはりやるせなさを覚える。
結果としてAの父親は2014年10月に自宅で首を吊っているのが発見され、そちらの実家もそれで「大島てる」さんに掲載されている。Aの父親の行動には怒りを覚えるところも多いが、同時にどうにもできなかったのだろうと痛ましさを覚えた。
ここまで想像を巡らせたのち、私はマンション近辺を後にした。名物のハンバーガーが食べたくなった、ヤニを吸いたくなった。そういったその時湧きあがった欲求が、私を2014年から2024年へと引きずり戻してくれた。
参考程度に記載するが、賃貸サイトによる2024年2月現在の家賃相場は、その市はワンルームで3.72万円。現場となったマンションはワンルームだが4Fの家賃が4.9万円と、その地域では少しお高めな印象は受ける。築年数も浅く何より駅近物件だからだろう。ちなみに、現場となった502号室はどの賃貸サイトにおいても今は入居者募集されていなかった。
では、なぜそのような不謹慎な聖地巡礼を決行したのか? その理由は、「私がこれまでの人生で1番執着した事件だったから」にほかならない。少し回りくどいが、私自身について、この増田の匿名性を損なわない程度にお話しする。
筆者である私は、Aと同年齢である。そして2014年に何をしていたかというと、やはり高校1年生をしていた。私とAの経歴には非常に共通点が多い。もっとも、Aの方が実家は太く彼女自身の才能も豊かなのは間違いないのだが、その内面には非常に共感できるところが多かった。Aも私も、住んでいる県も学校もまるで違うのだが、だいたい同じくらいの偏差値帯の公立中高一貫校に中学受験で入っている。抜けきらない中二病で一人称は女なのに「ボク」だったし、Aのようなかなり短いショートヘアをしていた。高1の途中から不登校児になったのまで同じだった。(一つだけ自慢。今でこそ私はうだつの上がらない無職だが、高1当時は県内模試で2ケタの順位につけるくらいには学力もあった。)
問題はここからである。高1当時の私は、少年事件について調べるのが大好きで、それをモチーフにして同級生を殺しまくるお話をケータイ小説で執筆・投稿していた。今思うと二重に恥ずかしい子どもである。
事件発生当時まず何を私が考えたか。「A、私の書いたの読んだの?」である。今考えると普通にそんなのはあり得ない確率であるし、ほぼ妄想の域だった。しかしそれくらい手口が酷似していた。後ろ暗い喜びと同時に、思考回路が同じという点でかなり精神的に追い詰められた。二律背反で感情が板挟みになっていた。学校に行っても、やはり同じ高校1年生が起こした事件ということでクラスでの関心も高く、「キ〇ガイだよね~(笑)」とクラスメイトが笑っているところも見かけた。今でも思い出して動悸がする瞬間である。
そしてそのケータイ小説の掲載に関しては、投稿を削除した。そのうえで、もう創作はしないと筆を折った。
そしてその後、連日ニュースがそれを報じてどんどん事件の全容が見えてきた頃には、私はネットでAの情報を漁りまくっていた。私はもともといじめられっ子で、当時はいじめっ子たちのピグやTwitterを特定して、特にアカウントは作らず毎日のように静観するという人聞きの悪い趣味を持っていたから、そういうのが大好きではあった。また、AにはASD(自閉スペクトラム症)があり、その点も考慮して医療少年院送致がふさわしいとの判決が出た2015年頃、実は私もASDの診断を受けていた。偶然にしてはあまりにも近すぎると、一方的にシンパシーを感じていた。
そしてそのうちに、Aに対してどんどん惹かれていったのだ。Aのような人の内面の深淵をのぞき込みたい、という気持ちになり、進路希望調査では心理学部のある大学を書くようになった。その後、急速にメンタルの調子を崩して精神科医療にかかったり、卒業も危ぶまれるくらいには学校に行かなかったりしたが、どうにか高校は卒業した。
犯罪心理学をやりたいです!と意気揚々と心理学部のある大学に入り、臨床心理学系の大学院にまで進み、少年司法の分野に行きたいと思い公務員試験を受け、児童相談所に勤務した。今振り返ると、「心理学がやりたい!」の起点はさかのぼればすべてAへの関心に行きつくと思う。我ながらどうかしている。
そして現在、2024年2月。児相勤務は上司や先輩からの陰湿ないやがらせに遭い、私はひっそりと公務員を退職した。今は退職してから3か月が経つ。公務員時代の蓄えでギリギリなんとか食えているが、正直来月以降の生活は先が知れない。なんでこの分野に焦がれ続けて10年間走ってきたのか? その疑問を問い詰めた時、この事件の存在が頭をよぎった。2024年のあの現場を、Aが生きていた町の2024年を見れば、私のこの思いを終わらせられると思った。以上が、私がこんな不謹慎な聖地巡礼をもくろみ、決行した理由である。
ちなみにわたしは結局、大人になってから二次創作という形で再び筆を執るようになった。どれだけ思考回路が狂気の側に近く、そのリビドーを表出させたいと願ったとしても、創作という法に触れない表現方法を選ぶことができた。私はその点で非常に適応的でポジティブな強みを持つことができたのだと、今は肯定出来ている。
話を本筋に戻すと、私はこの旅で、ようやくAへの執着に諦めがついたように思う。私は間違っていたかもしれないとはいえ、10年間走り続けてきた。そしてきっと、AはAで、医療少年院かあるいはどこかで、償いとAの人生を生きているのだろうと思い至った。やっと私は2024年の自分を生きていけるようになったと思えた。不謹慎だろうが、ようやく私はこれで前を、未来の方を向いて歩いていけそうな気がしたのだ。
最後に、被害者の方のご冥福をお祈りすると同時に、Aの更生と治療がうまくいっていることを祈る次第である。
ちなみにこの後、普通に私はその街の名所を一通り回り、観光して帰宅した。軍港の町なので、港に停泊している米軍の大きな船を眺め、海上自衛隊の博物館を見学してきた。他にも、ネイルチップが取れて応急処置にシールを買うためダイソーに入ったら、パンキッシュな服装のマダムと談笑したり。名物のバーガーを食べていたらバラエティ番組のロケの一団が店に入ってきてびっくりしたり。〇本雅美に似ていたが、声が違ったのでおそらくローカルタレントかなにかだろう。