はてなキーワード: 無気力とは
欲望を実現するための具体的な方法論においてはバランス感も大事だろうけど、その欲望を生み出す信仰だとか納得だとかは心の底の底まで貫くものをたった一つだけ持った方が幸せになれるような気がする。
中庸とか言って反復横跳びするような真似はせず、大事な一つ以外には一切の疑いも迷いも捨てる。自分の信仰も心の持ちよう次第ではいくらでも曲げられてしまうものだと思わず、この世でたった一つだけ確実に存在する所与の真理とみなす。
ヒューマニズムだとか人権思想だとかコミュニタリアニズムだとか宗教規範だとか、その他の価値は全てただ一つの真理に基づいた行いを現実的に実践するための手段としてのみ存在させる。
おれは実存主義的な生き方が一番美しいと思ってたけど、こういう生き方の方が遥かに美しいような気がしてきた。
似ているようだけど、ほんの少しの違いが決定的に違う。
ちょっと嫌な事があれば「でも結局全部意味ないしな……」と思えてしまうような、論理にお膳立てされた「好きに生きよう」ではない。一度全てを論理的に疑って無限の還元主義へと陥るような小賢しいメタ思考を挟まず、ただ情熱と信念のみによって信仰の獲得を成し遂げる。
別に宗教規範に限らず世俗的価値観にせよ個人の感覚に依拠した価値規範にせよ、やっぱ無垢の信仰は満足に生きるにあたって大事な気がする。
人生の楽しさを感覚で味わえないから、せめて理屈だけでもと生きる意義を論理的に追及してみる。そして考えれば考えるほど、今まで所与の事実だと思っていたものが快不快の多数決に過ぎない規範へと後退していく。
寄る辺なく存在しながら、じゃあ好きに生きるしかないか……と思いつつ、そもそもが人生つまんなくてこんな事考え始めてるので、改めて振り出しに戻っても活力が湧くとは限らない。何なら虚無感だけが残って、余計無気力でつまらない人生になるかもしれない。
一度虚無へと至ってしまったら、もう二度と無垢の信仰は手に入らない。
でもあんまり一つの信仰だけを貫いてると、何かのきっかけで打ち砕かれるような事があったら自殺しちゃいそうだなとも思う。
ここまで強烈に徹底はしなくともそれなりの強度でこういう生き方をしている人はいて、そういう人が信念を支えきれなくなるといわゆる中年の危機的なやつを迎えるんだろうか。
妻がとある出来事で精神的なバランスを崩していて、なにかあるたびにそのことで愚痴を言うようになった。もともと性格的にネガティブで愚痴っぽい性格だったんだけど、それが輪をかけてという感じ。
妻とはもうずいぶん長いから愚痴を聞くこと自体はもう慣れたものなんだけど、最近はそうでもないように感じる。
最近は、愚痴を聞くたびに「またその話か…」と思ってしまうし、なんなら聞いているうちにイライラしてくる。そして、愚痴を一通り聞いた後はひどく疲れを感じてなんだか無気力になる。いまは自宅で仕事をしてるので仕事の合間に愚痴を聞いているのだけど、愚痴を聞いた後は仕事に戻るのに時間がかかってしまう。妻の方はスッキリしているようだが、こちらはひどく気分が澱んでしまい、スマホをいじったり何かしらの家事をするなど、多少の気分転換をしないと仕事のようなエネルギーを必要とすることができなくなってきた。
この日記を書いているのも妻の愚痴を小一時間ほど聞いて澱んだ気持ちを拭うために書いている。ここ最近はとくに妻のメンタルが不調なので仕事がめっちゃ溜まってて、今日も徹夜だな…
小さい子供を見ていると、いつも余裕がない。
おもちゃを見れば自分のものだと主張し、ご飯の時間も隙あらば遊ぼうとするし、いつもなにかせかせかとしている。
大人もそうだ。
満員電車では席の取り合いをするし、大きなターミナル駅では人にぶつからないように歩くよりも、相手をどかす歩き方をする方がいいと言わんばかりだ。
余裕がないのは悪いことではないと思う。
おれは母親から「エレベーターのドアを閉めるのはかっこ悪い」と言われたことがある。
理由を聞くと「閉める」を押して縮まる時間なんてたかが知れてるから、余裕がなくてかっこ悪いということだった。
それを聞いておれは母親が余裕のない人へマウントを取っているのだと解釈した。
おれはそんな経験を通して、エレベーターの「閉める」を押せない人生もまた余裕がないと思うようになった。
それからは、必要な場面ではボタンを押すし、必要ない場面では押さないことにした。
今おれは「閉める」ボタンを押したいほど焦ってるな。とか
こんな文章を綴る気になったのは丁度そんな時に夢で思い出させられたからだ。
僕はきっとこれからもこの思いに蓋をして、また何でもない時に思い出して苦しんで。
そんな気持ちを引き摺らない為にこうしてここに思いを吐き出し、決別しようと思う。
今まで文章らしい物なんて書いた事がないから読みにくいかも知れないが、もし、もしも貴女に読んでもらう事が出来たなら最後に伝えたい事がある。
届くかも分からない、届いても実らないラブレターだがそれは貴方がそれ程素敵なひとだった何よりの証拠だから胸を張って読んで欲しい。
僕は小学校の時から給食が嫌いだったから母親の作るお弁当を食べられる学校に進みたくて中高一貫の私立校の受験勉強に努め無事進学した。
そこにはマイナースポーツの部活があり、勉強しかせず好きな人なんて考えたことも無かった僕は「スポーツで活躍すれば漫画の世界みたいなモテモテ人生が送れる!」と思いその部活に入部した。
最初は同じ部員というだけで一目惚れもなく、部活自体が楽しかったこともあり当初の目標からかけ離れたレベルで部活にのめり込んでいた。
その熱を同期に伝播させたかった僕は貴女や同期の仲間に練習に誘い、共に高め合っていた。
秋になって自分達の道具を揃える為に顧問の車に皆で乗りこみ遠出をしたあの日。
車の中で部活の話だけでは時間が余ってしまった時、恋話にもつれ込んでいった。
僕は浮いた話など全く無かった。
今思うと羨ましかったんだと思う。
そんな貴女に負けたくない、いや、仲間なんだから同じ様になれれば。付き合う事ができれば。
僕はそんなに器用では無かった。
なんなら自身の好意を上手く隠す事もできず、性に目覚めた中学生らしい助平な男のままアプローチをしていただろう。
日夜布団の中で見ていたAVからしか恋愛の仕方を学んで来ていなかった僕にはどうしようもなかった。
でも、部活の方では少しでも格好をつけられる様に毎日努力をして、いつしか地方大会・全国大会にまで届くレベルになっていた。
と言うのも僕はその彼氏とも仲が良く、僕が貴女の事を好きな事も伝えており応援されながらも大きなライバルとして存在してくれていたのだ。
彼曰く、将来の為に勉強して良い大学に進む為に集中する、との事だった。
彼は僕に対して「次に彼女を幸せにできるのはお前だと思う。絶対に逃すなよ。そのまま大人になって結婚まで行ったらスピーチは俺がしてやるから!」なんて激励までしてくれた。
男泣きを経験したのはこの時が初めてだった。
僕は彼の将来を応援する為に、また彼の心に報いる為に真剣に貴女に恋をしようと決心した。
僕はまたここで失敗した。
振られたらどうしよう、と傷つくのを恐れて一歩を踏み出せなかった。
傷ついていたのはあれだけ素敵な彼氏と別れた貴女だというのに。
僕に残っていたチャンスはここで無くなったんだと今思う。
いつの間にか高校に進級した僕は個人枠で全国大会に出場が決定した。
全国に行ける嬉しさで更に部活にのめり込んでいった僕とは裏腹に貴女や同期の皆は県予選で敗退してしまい、勉強に段々と集中する様になっていき距離が段々と広がっていった。
結局全国では何も結果を出せないまま、貴女に何も伝える事ができないまま、部活の引退のシーズンまで向かった。
かなりショックではあったが妙に納得してしまった。
僕は大会で結果を出したくて(貴女に見てもらいたくて)練習を頑張り(勉強を怠け)その結果、何も得ることは無かった。
貴女の気持ちがどこにあるのかを考えず、ただただ自分が幸せを追い求めていただけだった。
僕の事を応援してくれていた彼には何をしていたんだ、と呆れられたが慰めてはくれた。
本当に貴女の周りには相手の気持ちを汲み取り行動する事のできる、それでいて自分の夢の為にも努力できる人達で一杯だった。
僕はやっぱり不器用だ。
僕は運良く現役で大学に受かったが、貴女は甲斐なく浪人してしまう。
気持ちに踏ん切りをつけられていなかった僕は何とかしたくてもう一度貴女にアプローチした。
まだ浪人中で勉強を頑張っている貴女を無理矢理誘って告白した。
どこまで行っても僕は一方通行の感情を伝える事しか出来ていなかった。
結果はNO。当然である。
僕の性格を知った上で「あえて」言わなかったのだろう。
就職してから自己研鑽の為に本を読む様になった僕は過去の至らなさに気付き始め、相手の事を慮る努力を始めた。
だが恋愛に対しては自身の欠点に気付いた事により奥手になっていた。
その為、彼女はできず。
偶に帰省して貴女と同期の皆と会った時には昔の性格を引きずり、「彼女は勿論、セフレだっている」なんて見栄まで張っていた。
きっと皆は察してくれていたんだと思う。
「僕が傷つかない為には仕方ない」
全国転勤で飛び回る中、地元の近くに異動が決まった。
ラストチャンスがあるかもしれないと考えた僕は貴女に連絡をした。
遅かった。いや、スタートラインに立っただけでアプローチができると思っていた自分が愚かしかった。
相当参ったのか酷い風邪を引いた。
ただただ泣いた。
だがそんな事は無い。
皆等しく頑張っていた。
元々貴女の周りにいた異性は須く相手の事を慮り、努力ができる人達だった。
結婚式、披露宴の間、僕はずっとビールを煽り続けていた。貴女と顔を合わせる事なく。
僕はここで貴女を諦める。
その為に来たのに最後の最後まで自分が傷つく事を誤魔化すためにアルコールに逃げたのだ。
恋愛を諦めて一年経った今、僕に罰としてあの日の記憶が夢として思い出された。
それとも、貴女諦めきれなかった未練がそうさせたのか。
逃げる為に煙草を燻らせながらこうして文をしたためる。
逃げるなら違う方向へ。
最後に。
僕は貴女のことが好きでした。
この恋が実る事は無いけれど、僕も貴女と同じ様に素敵な人達に囲まれた人生を目指してもう一度頑張ろうと思う。
貴女に負けないくらい新しくできた友達、伴侶と幸せに生きていきます。
多様性という単語を、個人の行動の多様さって意味で使ったのが悪かったな。強迫観念を取り去って色んな行動をしたいんだ。じゃないと労働ができん。
ちなみに個人の中に多様な視点を持つイントラパーソナル・ダイバーシティという概念もあり、個人内にも多様性は必要らしい(そうは思わないが)
学習性無力感の学習性(専門用語)と同じような感じの性質を持った無気力で、まさに「何回もやってんのにダメだ。学習(一般名詞)できてない」ということを自覚してきてて、そんで無力感がある。
そうなんだよね。自分でどうにもならんので変えてくれる何か、誰かに会うまで旅するしかなくて、その一環がこの増田。
計画を建てなきゃいけない理由は、無意味行動ループを自覚して抜けるため。また、本コミュニケーションのようなプチカウンセリング的なヤツを成立させるため。いつ返信見るかとかを考えずに書き散らかしたからあんたからの返信をもらえないってワケよ。
多様性ってのは、複数の人が集まって何かするときに、同じ考えとか似た考えの人が集まると誰の考えでも解決できない問題に出くわして行き詰まるけど、多様な考えの人が集まったら解決できる問題の範囲が広くなるよねって話。1人の行動に多様性なんかいらない。
サブスクとデバイスがどう関係しているのか分からないが、要らないものは捨てたほうがいい。
学習性無気力は、無気力になった本人じゃなくて、無気力になるような状況を作ってる奴が悪いんだが、100回も失敗してるという話からすると学習性無気力なんじゃなくて学習してないんだろうと思う。
何をやろうとして失敗しているのかしらないけど、予定を立てることは必須ではない。個人的には、毎日やるとか毎週やるとか決めてかかるといつかは出来ない日や週が来て全然やらなくなるけど、気が向いたときにだけやることは、途中でやらなくなってもそのうちまた気が向いて再開することが多くて長続きする傾向がある。
壱、行動に多様性がないので直したい
デヴァイスを4つ持ってるけど1つしか使ってないしやることが二択しかない「トゥギャッターみる」「はてブで汚言吐く」たまーにデヴァイスBでHuluを見る月1なのでガチでサブスクの意味ない。
自分も本とか読みたい!なのに行動ができない!なぜ?!
こういうのから逃げたくて色々予定立てたりして努力しようとしたが100回くらい失敗してやめた。スケジュールって絶対たてなきゃなんだけど、無力感がある。それに伴って無気力。
どうすりゃ治る?砂漠のど真ん中でガス欠になったようなもんだろ。努力ができんからどこにもいけん。どこにもいけんから気力がわかん。アラビアの金持ちはこういうときに車を捨てるらしいぞ!
追記。そういえば自分にとって妄想が計画の代わりだった。科学者になりたいという妄想をしまくってたら工学科に進んでた(科学者にはなってないけど)。
白昼夢を見なくなって久しい
診断はつかない程度にメンタル不安定な社会人3年生(今春から第2新卒)兼一人暮らし3年生。
地元が田舎すぎて車必須なので、車のいらないエリアに一人暮らし。しかしすぐに仕事を辞めて派遣やバイトをしてたので、更新のタイミングで実家に帰ろうと思っていたのだが、親への就活してますアピールのために受けた市役所に幸か不幸か受かってしまい、結局一人暮らしを継続している。
一人暮らし3年目でも、相変わらず実家に戻りたいので、月1回は帰っている。なるべく有給で長期休みをつくって、実家にいる日数を少しでも長くしたりしている。
でも、なぜか実家に帰ると鬱々モードになる。身体が重くて、昼寝しないとやってられないし、夜も起きていられない。とにかく眠くて無気力になる。気のせいかとも思ったが、彼氏にも「帰りたいって言うわりに、実家にいる時メンタル落ちたり疲れてる感じの時多いよね」と言われた。なんでや。今回のゴールデンウイークも10連休にして全部帰ったが、ずーっと身体が重くて頭がぼーっとして惰眠を貪り続けていたのだが、戻ってきたら普通に頭も体も動けるようになった。なんでや。でも、別に嫌とかではなくて、実家にいる時もずっと「ゴールデンウイーク終わるな帰りたくない帰りたくない」って気持ちだった。
おかあさんへ
あたたかな日差しが段々とギラギラとしたものへと変わりつつありますが、お元気ですか。
突然こんなお手紙を送り付けてきて、とても驚いていることかと思います。お話したいことがあったのですが、なかなか会った時や電話では上手く話せる自信がなく、LINEというのもなんですからお手紙にしました。 ずっと言おうとは思っていたのですが、情けないことに公務員試験の勉強が全く進んでいません。何故かというと、心の調子を崩してしまったからです。おかあさんもご存じの通り、私は妙に考えすぎる性質で傷つきやすい心の弱い人間です。ちょっとブルーになることくらいなら21年生きてきてよくありました。しかし、昨年の夏の終わりごろから眠れない夜が増え、どんな日でも床に転がって天井を見つめることしかできないようになり、これは生活に支障をきたしているという自覚が出てきました。大学のカウンセリングを利用したところ、専門機関の受診を勧められ、現在カウンセリングとメンタルクリニックに通院しています。病院の先生が言うには適応障害(不安障害・うつ)になるらしく、服薬もしています。おかあさんは薬があんまりすきじゃないから嫌がるだろうなあと思って黙っていました。でも、よく考えたらおかあさんの社会保険で受診しているし、仕送りで貰ったお金を支払っているので、きちんと伝えるべきことでした。ごめんなさい。
今は朝起きる、カーテンを開ける、ご飯を食べる、皿を洗う、お風呂に入る、眠る、そういった何気ない生活で精いっぱいです。やりたいことを考えてうきうきしたり、映画や小説を楽しんだり、明日を楽しみに眠ることがなかなか難しくなってしまいました。引っ越したことは良かったと思っています。日々のルーティンを改めて少しずつ作ることで、なるべくゆっくり丁寧に一生懸命生活することが出来ているような気がします。今までの手を伸ばしたらすべてに手が届くような小さな城にずっと籠城していたら、多分私はカーテンすらあけられていないでしょう。
とにかく今は卒業を目指して必死に生活を続けていこうと思っています。将来は全く分かりません。来月には急に元気になって勉強をバリバリするのかもしれないし、一年後も同じように立ち止まっているのかもしれません。でも、とにかく生活を続けて生きていきたいのです。おかあさんはいつも私のことを聡明だと褒めてくれました。私はそれがいつもうれしくて、おかあさんやおとうさん、おにいちゃんにとって自慢の家族でいたいと思っていました。それは今も変わりません。でも、今の私には私が愚かでどうしようもない化け物に見えてしまって、気持ち悪くて仕方がないのです。
以前アイラブユーの翻訳について話したことを覚えていますか?おかあさんはそのとき、「果物あるよ、食べる?」だと言いました。私とおにいちゃんの健やかな生活が一番の願いで、愛だとおかあさんは言いました。それがどういうものなのか最近ゆるやかに理解できつつあるような気がします。無気力なこの日々の中でも、おかあさんおとうさん、おにいちゃんにごんちゃん、友人たちや推したち、私のすきな人々が皆健やかで幸せであることだけは確固たる願いとしてあります。そして、同じように自分の安寧を願うことができません。とにかく今は、私が私という化け物をおかあさんと同じように愛せるようになるまで、立ち止まるべきだと思っています。なかなか難しいことかもしれないけれど、自分のことを第三者と一緒に分解して見つめ直すというライフステージなのだと腹をくくるしかありません。私がこうなってしまったのは誰かのせいというわけではありません。元々私は脆弱な人間で、今までの大学生活というか、この21年間身の丈に合わない無理をしてきたんだと思います。
これは決して将来を諦めたわけではなくて、がんばる器量はあるのだということだと思っています。スマホのバッテリーが段々消耗して充電が完璧でなくなるように、私は今がんばる気力すら賄えない状態なのです。本当に情けない娘ですが、どうかこれからも見守ってもらいたいです。このお手紙をしたためたのは、おかあさんに気を遣ってほしいわけではなく資金面での義理を果たすためです。これからも私のことなんか気にせず、笑ったり踊ったりしていてほしいと思っています。でも、やさしいおかあさんがこんな手紙を読んで気に病まないわけがないと心のどこかでは分かっていて、この手紙は資金面での義理を建前とした私の懺悔なのだと思います。大学のカウンセリングの先生とおかあさんが話すこともできるそうなので、考えてみてください。このことをおとうさんに共有するかはおかあさんに任せます。呆れて怒るかもしれません。というか、今おかあさんが呆れて怒っているのかもしれません。どうか何か伝えたいことがあればお手紙でお願いします。
おかあさんが悲しむことと、おとうさんに怒られることがなによりも嫌だと思っていたのに、こんなことになってしまって本当にわけがわかりません。本当に自分が嫌になります。身勝手なことばかりしてごめんなさい。家族のことは大好きだけれど、多分お互いにとって良いことがないのでしばらく帰省はしないと思います。 今年もおかしな気温になりそうなので、おかあさんも熱中症には十分気を付けて良い夏にしてください。お酒はほどほどにして、どうかおかあさんらしく過ごしてください。